第23話 スリーサイズ

"では、最後の選択の期日を来年の3月31日の24時までとします"

「で、その最後の選択って、いったいなんなんだ?」


 半月前の夏の終わり、天使と悪魔との七日間、合計168時間の間、僕はずっと迷っていた。天使の純真さに戸惑い、悪魔の誘惑に血迷い、僕は僕が何者であるかについて思い知らされた。


 そして告げられた、最後の選択の内容に愕然とする。


 人は善を好み、悪を忌む。

 おぎゃあと生まれたとき、汚れのないその瞳で世界を見た赤ん坊は、言葉を覚え、知識を得て、社会を知り、そして汚れていく。


"嘘をついてはいけません"と大人たちに学び、人のためにつく嘘もあるとか、誰かを守るための嘘とか、正しい行いをしても心がなければそれを偽善と言うとか、世の中のいい加減さに流されて、慣れされて、そしていつしか"所詮、世の中はこんなものだ"とか"どうせ生まれてきたのだから、楽しくやろう"とか、そんな虚勢を張って生きることを、受け入れたり、諦めたり、自己嫌悪に陥ったりしながら生きている。


 そして死んでいく。


"満足する死"とは後悔のない生き方をした者に許された矜持であって、言い逃れに過ぎない。

 人は元来生き物である以上、死を恐れ、死は終わりを意味する。


 そこに満足や希望や絶望はない――ただ無に帰るだけである。


「いや、待ってくれ、そんな重たい選択肢を僕はなんて日に決断しなけりゃならないんだ……、いや、正直に言うと、だいたいこうなることは予測はできていたんだが……」


 はたして僕を含めた人類は、どれだけの選択の間違いを繰り返してきたのか?


「だいたいその、やり直すとかやり直さないとか、人類は滅びるとか、全然意味わからない。説明を求める。これだけの重たい責任を、選択を迫られるのだから、僕にはそれを知る権利がある。そうだろう? アデール。嫌とは言わせないぞ、デリア」

 言い終えてふと気づく。


 あれ、デリアにはこの言い方だと駄目なのか……いや、そうじゃない。

 僕は、こんなふうに、求められた要求に対して、きちんと反論や譲歩を求める交渉をするような奴だったっけ。


 "やり直すか、否か"

 それが僕に課せられた最後の選択。そして同時に告げられた人類の未来。


"人類は滅びます"

 それは見慣れて、聞きなれてしまった言葉ではあったが、正直、やられたと思った。


「はい? ちょっと待て、それじゃいったい、僕は今まで、何のために……。いや、そうじゃない。あれは嘘だったのか?」


"いいえ、嘘ではありません"


「つまり、僕は騙されていたということか? 人類は滅びると決まっていたにも関わらず、それを僕が選択を誤ったら……いや、ちがうか。僕が選択をする責任を放棄したら、人類は滅びると、そう脅されて、不自由な選択を強要されていたと……いや、待てよ」

 僕は考えた。


 そうなのだ――これは嘘ではない。


 人類は滅びるとわかっていたからと言って、それはたとえば僕の時間軸では滅びないレベルの滅びであれば確かにそうだし、大きな意味で地球にも寿命はある。

 いや、でもだからといって、こんなペテンはありなのか。

「おい、冗談にも程があるし、我慢にも限界はある。それで僕に……、人類に、お前たちは何を選択させようというんだよ」


 僕に突きつけられた最後の選択――それは"やり直すか、否か"


 真っ黒のテレビ画面に、白い文字が浮かび上がる。

 別にふざけているわけではないのだろうけれど、わかりやすいように"やり直すか"と"否か"の二択が交互に点滅する。

 悪い冗談を見ているようだが、これはきっと、そう言うことではないのだろう。


 僕は選択を強いられている。

 人類が歴史を"やり直すか、否か"を


「おい、やり直すって具体的にはどういうことだよ。テレビゲームみたいにリセットボタンを押して、キャラクターを最初から作り直すみたいな、そういうことを……。それってつまり、人類が滅亡することと、どうちがうって言うんだよ」


"それはお答えできません"

「なんでだよ。そんなの理不尽じゃないか!」


"人類が未だ知り得ていない知識や技術、理論に関する情報を開示することはできません"

「お前はいったい、何者なんだ」


"お答えできません"

「今日は履いているパンツの色は?」


"履いていないのでお答えできません"

「じゃあ、スリーサイズは?」


"上から88 62 89 です"

「それはアデールのスリーサイズだ。デリアは90 60 86だ」


 なぜ、そんなことを僕が知っているかと言えば、最初にアデールにスリーサイズを聞いた後、彼女は自分でサイズを測って教えてくれた。

 デリアのサイズは、僕が直接彼女の身体の隅々を調べた。


 今、会話をしている相手は誰なんだ。


 パンツを履いていないのでわからないはアデールの真実であり、デリアの嘘である。デリアは実は下着をつけている。なぜなら彼女は常に僕の期待を裏切る。


 つまり、今僕が話をしている相手は、アデールでもあり、デリアでもある。


 だが、それがどうしたというのだ。

 僕は考える。

 今まで僕が選択してきたこと、来なかったこと。

 天使の微笑み、悪魔のささやき。

 規則事項に機密事項、そして緊急回避モード。


 僕は、いったい、誰に、何をさせられようとしているのだろうか?


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