第9話 視線の先
「デリア……ただいま」
僕は悪魔が写るテレビ画面を横目に見ながら気のない挨拶をした。暗く、少し散らかった部屋。
僕は息苦しくなり、厚手のカーテンを開けてベランダのサッシを大きく開け放った。
どうにも視線が痛い。
僕はバイトに行くまでの間、部屋の中でいくらでもアデールとイチャイチャすることができると勢いよくドアを開けたものの"部屋にいる悪魔"の存在を思い出し、思わず舌打ちをしたのだった。
実家にいた頃、借りてきたAVを見ようと自分の部屋のドアを開けたら、姉貴が勝手に部屋に入り込んでいるのを見て「アヤネェ! 何勝手に人の部屋に上がりこんでんのさぁ!」と文句を言いながらAVを背中に隠すような後ろめたさに似た感覚。
ちなみに"アヤネェ"とは才色兼備の姉、彩音の家庭内呼称であって、人前では"姉貴"と呼んでいる。
姉貴は僕の部屋のオーディオ機器を時々勝手に使って映画鑑賞をしている。一度、僕がアダルトなパッケージを施したDVDメディアを鑑賞した後、プレイヤーに入れっぱなしにしていたのを見つかり、ひどく冷たい目で見られたことがある。
それでも僕は悪くない――姉貴が勝手に人の部屋に入るのが悪い
悪くないのに、心が痛む――姉貴は機械とエロが苦手
後ろめたいのはなんでだろう――アヤネェはいつも正しく、清く、美しい
天使に見守られながら、悪魔に見透かされているということがどういうことなのか、僕は天使に浮かれてばかりはいられない状況であることをこの時、認識した。
「ちょっと部屋の中、汚いかな。掃除でもするか」
僕はどうにも落ち着かずに部屋の掃除を始めた。
「じゃあ、わたし、台所をお掃除しますね」
アデールは手際よく、台所を片付けだした。
「そうか……」
僕はあることに気付いた。
僕の感じていた違和感は、アデールをこんな暗くて狭い場所に閉じ込めておくことへの罪悪感のようなものだったのかもしれない。
部屋を片付けて"ちゃんとしないといけない"
そう思って心が落ち着かなかったのかもしれない。
何と言っても突然こんなきれいで可愛い彼女が降って湧いて出たんだ。
そう文字通り、天使は空から降ってきて、悪魔は地から湧いて出てきたのだ。
気持ちの準備が整わず"きちんとしていない"ことへの不安や苛立ちがその正体なのかもしれない。
実家は母が掃除をしていたから、基本的に清潔に生理整頓された状態が保たれていた。僕も自慢ではないが、わりと部屋はきれいに使っている方だが、そこは男の一人暮らしである。ゴミを出し忘れたり、台所の掃除がおろそかになったりはする。
そうか。ずっと見守られるということは、案外と重荷に感じることもあるんだな。
「すっきりしましたね、京次様」
アデールのエプロン姿・・・・・・どこから出してきたんだ。まぁ、細かいことはどうでもいい。
それにしても――嗚呼、なんて可愛いんだ!
アデールを邪な目で眺める僕の背中に艶かしい視線がこびりつく。
僕は振り返らずに、デリアのそれに耐えた。
これが、背徳感というものなのか・・・・・・
「さて、それじゃあ、バイトに行ってきます」
僕は逃げるように部屋を出た。後ろからアデールが着いてくる。正直、留守番して欲しいと思った。
「わたし、邪魔にならないようにしますから、もし気になったら言ってくださいね」
アデールは僕の気持ちを先回りして、なんでも僕の良いようにしてくれる――それが辛かった。
「大丈夫だよ。ありがとうアデール」
天使の微笑みが、とても眩しい
眩しすぎて、僕は目を逸らす
「ちわーっす」
間宮次郎がレジカウンターから顔を出して声をかけてきた。
「よう、お疲れー」
いつものように挨拶を返す。裏に回って事務所で着替え、タイムカードを押す。
「なんだよ、今日はやけに機嫌がいいじゃんよ」
間宮は変に気が利くところがある。
「まぁね。とりあえず、面接二件、アポは取れたからね」
間宮には、内定が取消され、場合によってバイトのシフトを変わってもらうように昨日のうちに相談していたし、今日、就職課を訪ねることも話をしていたので、"どうだった?"とは聞かずに、そういう聞き方をしたのだろう。
まったく、彼女持ちという奴は、嫌味なくらい気が利く。
「おう、いつといつだ? シフト変わってやってもいいぜ」
「ああ、今のところ大丈夫だ。悪いな。気を使わせちゃって」
嗚呼、こいつと比べても、僕はなんて矮小なんだ。気を使わせておいて、それでもなお、心から"ありがとう"という気持ちにはなれない自分がいる。わかっているのに、そういう感情が心の奥底から湧き出てくる。
今までなら、そんな自分を慰めることができたのに、今はそれができない。
それすらも、アデールやデリアのせいにしようとしている自分が、もっと嫌だった。
人の優しさや、純真さや、献身や、正しさや、清らかさや、誠実さが、僕には眩しくて、畏れ多くて、素直に受け取ることができないでいる。
自分はAVに逃げてしまう程度の人間なのだからと、貶めることでバランスをとっていたのだろうか。そしてそんな自分への罰が、この状況なのだとしたら――僕のAV選びのせいで、世界が滅びるかもしれないのだとしたら――僕はどんな顔をして"いらっしゃいませ"と言えばいいのだろうか。
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