第28話 帰省
静岡駅にアヤネェが車で迎えに来てくれた。
「良かったわね。就職決まって。一時はどうなることかと思ったけど、京ちゃん、やっぱり運を持っているわね」
いつもなら受け流せる言葉も、どうにもすべてが引っかかってしまう。
「ねぇ、ちょっと変なこと聞いてもいいかな」
駅のロータリーを出て、国道を走る。
ここから車で20分ほど行ったところに、僕の実家はある。アヤネェは、18歳になるとすぐに車の免許をとった。父も母も免許を持っていたが、姉に言わせると、いつ事故を起こしてもおかしくないくらいに、二人の運転は下手だそうだ。
僕は、車に興味を持ったことがない。東京に出てきてしまったので、車を乗る必要性をあまり感じていなかったので、まだ免許をとっていない。
「何? 変なことは嫌よ」
「アヤネェがしてきた選択で、一番重かったこと、難しかったこと、もしかしたら後悔していることってある?」
正直、即答は期待していなかったが、姉貴は予想を裏切り、すぐに応えた。
「結婚」
「あっ、ああ、そうだよね。結婚って、やっぱり人生の中では大きい選択だよね」
「変なこと聞くのね。なんかあったの。京ちゃん」
いろんなことを考えた。
アヤネエが結婚を後悔しているのかと、冗談めかして聞いたら、どうなるだろうか。
「いや、今回、就職先を決めるのに、結構、迷ったというか……」
「迷ったらダメよ。それは失敗するわよ」
僕の姉は完全無欠だ。
ぐうの音も出ない正論を叩きつけてくる。
「いや、会社そのものはいいと思ったし、社長も面白い人で、うまくやっていけそうなんだ。会社に不満はないよ。大丈夫」
「ふーん、そうなの。それならいいじゃん。何を悩んでいるのよ」
「簡単にというか、勢いというか、ほら、ぎりぎりだったし、たくさんは観てないじゃない。他の会社とか。だから、それでよかったのかなって。ちょっと安易だったかなって」
「そんなことないわよ。いくら時間をかけたって、いい相手が見つかるとは限らないわ。だからいいと思ったらそれが正解なのよ。そうじゃなかったら、結婚なんてできないわよ。あんた、今彼女いないでしょう?」
姉の言うことは絶対だ。
これほど明確に自分の価値観にしたがって生きている人を、僕は他に知らない。
「そうか。そうだよね。うん、わかったよ」
「京ちゃん、わかってないわね。私だって、失敗することあるのよ」
信号待ち――アヤネェは安全確認をしたのち、僕のほうを向いて話し始めた。
「これは秘密よ。世界が滅ぶことがあったとしても、絶対に秘密よ。わたし、離婚考えているから」
アヤネェの秘密は、僕にとって世界の滅亡よりも重い。
というか、いや、なんで僕にそんなことを話しているんだ、この人は!
「京ちゃん、気付いていたでしょう。お正月に実家に集まったとき」
信号が変わる。ゆっくりと丁寧に車は走り始める。
「あのとき、ああ、見られちゃったと思ったのよ。居間であの人と二人きりになったころ、京ちゃん、遠慮して入ってこなかったでしょう。すぐにわかったわ。バレちゃったって」
アヤネェは最強だ。
たぶん、この世界のすべてを見透かしている。
きっと世界が滅びることも、わかっているに違いない。
「ああ、すっきりしたわ。でも、いいのよ。間違いは正せばいいし、正すのであれば早いほうがいいのよ。だからあんたも、今回の就職先が、失敗だったって思ったら、すぐに転職しなさい。こんな話、就職祝いの席では言えないから、今のうちに言っておくけれど、会社は社員に嘘をつくわよ。その嘘が許容できないと思うのなら、すぐにやめたほうがいいのよ。結婚も同じ」
アヤネェが嫁いでから、こうしてゆっくりと話をする機会はなかった。
「離婚って、マジで考えているの・・・・・・リンちゃんとランちゃんがいるのに?」
「あの子達がいるから、真剣に考えているのよ。不仲な夫婦の間で育つ子供に、素敵な未来があると思う?」
「そ、それはそうかもしれないけれど、仲良くする、仲直りをするって選択肢だってあるんじゃないのかよ」
「ないわね」
「ないの?」
「ないわね。ないものは、ないのよ。たとえ、この世界が滅んでもね」
僕は未熟だ。
言葉が見つからない。
そしてそんなことを見透かされて、話題を僕に彼女ができない理由に変えられてしまった。
「前に付き合っていた彼女、ひなたちゃんだっけ? あの子かわいかったのになぁ」
その彼女と偶然駅で会った話をするかどうか迷い、話すのをやめた。
「なんで、別れちゃったかなぁ。京ちゃん、子供だからなぁ」
それはそうなのだろけれど、こうも決め付けて言われるのは心外だ。
「わかっているよ。今なら、どうすればよかったのか、何がいけなかったのか、わかるような気がする」
「それが、わかってないっていうのよ。男はね、ずっと女心ってやつが分からない生き物なの。大事なことは無知の知よ。わかったつもりでいると、痛い目に会うわよ」
この七日間で散々痛い目に会ってきた。
日向やアヤネェやあの神代社長や田嶋先生と、しっかりと向かい合って話せるようになったのは、そのお陰だということを、この数日間で思い知らされた。
そして世界は、やはり滅亡する方向に向かっているのだということも、僕は確信をした。
本当に、帰省してよかった。
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