第3話 再生

"選ぶのはあなた"

 DVDをプレイヤーにセットする。メーカーのクレジットも何も出ずにいきなりその文字が画面に浮き出る。


"あなたは選ばれた"

 画面にノイズが走る。また文字が浮かび上がる。


"選ぶのは自由"

 黒いバックに白の文字。


"選んだのはあなた"

 テレビ画面に映像が浮かび上がる。ノイズが酷いがそれは見覚えのある場所だった。それも今しがたに僕が観た光景。カメラの位置は人の視線――つまり一人称視点の映像である。右手が陳列棚に伸び一枚のDVDを手に取る。


 疑心暗鬼――そんなはずはないと思いながらも、僕は画面にくぎ付けになり、間違い探しと答え合わせをする。

 レンタルビデオの店内など、どこも同じである。普通映像だけでは区別はつかないだろう。

 しかし、伸ばしたその手はDVDを掴むことなく、床に落としてしまう。それを拾い上げようと視線は床に向き、落ちたDVDを拾い集める。


 そして一枚の作品を手にしたとき、動きが止まる。表が白、裏が黒のパッケージ。

『天使か悪魔か』


 僕はあっけにとられながらも、リモコンを手に取り、再生を中止しようと試みるも案の定、操作は一切受け付けない。

「これって、いろいろヤバくないか。おいおい、どうなっちまったんだよ」


 親元にいるときはそんなことはなかったが、独り暮らしをしてみてわかったこと、自分は案外と独り言をいうのだと。環境が変わって、ああ、自分には実はこういう側面があったのかと気づかされることがある。


 料理をしながら鼻歌を歌ってみたり、洗濯物を干しながら、ぶつぶつと文句を言ってみたり、俺って意外とそういうところがあるのかと、実はちょっとうれしくなったりしたものだ。

 家族が当たり前にいた生活は姉が就職して家を出て行き、次の年にはフィアンセを連れてきたというあたりから、少しずつ変わっていった。

 年頃になった妹は、僕との距離を意識して取るようになった。

 自分だけ取り残されたような気がしていたが、大学進学を機に一人暮らしを始めた。


 女兄弟がいる手前、エロ本やエロDVDの類を部屋に持ち込むことは極力さけていた。

 一つには見つかってからかわれるのが嫌だったことと、見て見ぬふりをされるのも嫌だった。


 才色兼備の姉は、下ネタが苦手で軽蔑しているところがあったし、文武両道の妹は、昔はそう言うことにはまるで疎かったが、年ごろになって妙に意識するようになり、扱いが難しい――俺が我慢すれば済むこと。


 そんなわけで一人暮らしを始めて最初にやったのはそのあたりの禁則事項並びに冷蔵庫に入っている物は全部俺の物という状況を堪能することだった。


 不意に冷蔵庫が"ういーん"と鳴り出し、僕をビビらせる。

 少し広めの1Kの間取りだが、台所の些細な音も聞こえてくる。


"だから私たちはあなたを選んだ"

 二人の女性の声が同時に聞こえてきた。一人暮らしとはいえ、僕はAVを見るときはヘッドフォンを付けて見る。鉄筋だから隣に聞こえてしまうということはないだろうが、今までずっとそうしてきたのだから、このほうがいいのである。

 右と左から違う声が同時に聞こえてくる。右は大人っぽく、左は子供っぽい女性の声。怖くなってヘッドフォンを外す。


 "期限は一週間"

 左耳から声が聞こえる。


 "それまでにあなたは選ばなければならない"

 今度は右の耳から聞こえる。


 これはもう普通ではない。


 "私にするか……"

 画面に女の子の映像が映し出される。色白でショートヘア。髪の色は金色で目がパッチリしている。どうやら天使のコスプレをしている。頭に天使の輪が浮いている。


 "それとも私にするのか……"

 画面に別の女性が映し出されている。予想通り悪魔のコスプレ。黒を基調とした衣装――ピンヒールにラインがくっきりと見えるパンツは限界ギリギリローライズ、衣装の黒よりも黒々とした髪は、前に垂らすと胸元まで達する。

 くせっけなのか、それとも粗雑なのか、髪にまとまりがないように見えるがそれもどこか魅力的に感じてしまう大人の色香が漂う。目元はクールで微笑みかけるよりも睨みつける方が似合っている。


 "選ぶのはあなた"

 画面は二人が並んで立っている引きの絵に変わる。左に天使、右に悪魔。

 二人とも羽が生えているが、天使は羽毛で悪魔はコウモリのように獣の翼だ。

 ヒールを履いている悪魔は、それを差し引いても天使よりも背が高く、腰の位置も高い。

 どこかで見たことのあるような。ないような、そんな二人である。

 映像は弾きの絵からゆっくり寄って行き、足元のアップから上にパーンしていく。どちらも申し分のないプロポーションであることがわかる。


 生々しい肉感が3D映像のように伝わってくる。


「いい……」

 なんてことはない。きっと僕はどんなに恐ろしい目にあっても、そこに美人や可愛い子がいれば、乗り越えられるような性能が備わっているらしい。


 親に感謝しなければならない。


 もしかしたら他に選択肢があったのかもしれない。

 だけど、僕は恐怖に慄いて、部屋をどび出したり、誰かに助けを求めたりすることなく、DVDを観ることを選んだのである。


 それが天使であろうと、悪魔であろうと、エロであれば何でもよかったのかもしれない。

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