第8話 光と影と
たとえば繁華街の人通りの多い中で、人が一般的に認識できる範囲は限らる。すれ違った人の顔や服装を普通はいちいち記憶しないし、通り過ぎていく車の車種や、街のネオンサインは視界に入っても、記憶にはっきりとのこらないのが普通だ。
アデールが言うには、僕とアデールの存在そのものを街の風景に最大限溶け込ませて、情報の重要度を極限まで下げてゆくことで、他人の記憶に残りにくくできるのだという。
なるほどと思いながら、僕はさらに疑問を投げかける。
「でも、忘れている事って、不意に思い出すことがあるよね。そういう心配はないのかな」
アデールは常に笑顔を絶やさない。僕の目をしっかり見つめて話を聴き、僕の目を見ながら話をしてくれる。
それが、なんだか、うれしかった。
「思い出すためには、まず"きっかけ"があって、それに対応する記憶を呼び起こす"とっかかり"が必要になります。たとえば、昔読んだ本の中のタイトルはわかるけれど、主人公の名前がわからないってことありますよね。それならばその本を調べれば、おのずと主人公の名前に行き当たりますよね。ですが私の言う記憶の改ざんとは、この本と主人公の紐付けを消去することになります」
癖なのだろうか。
アデールは話し終わったあとに、必ず瞬きを2回、時に3回する。そしてその違いは僕が理解しているかどうかを表情から伺おうとしている際に多い気がする。
それがどうにも、可愛らしく、愛おしかった。
大学の構内を歩きながらアデールとの会話を楽しむ――その間、顔見知りと会うことはなかった。
もし一人で来ていたら、孤独感に苛まれていたかもしれない。
僕は就職課に立ち寄り、職員に事情を説明するとすぐにいくつかの求人情報を提示してくれた。まずは堅いところで学校に来ている案件でよさそうな会社を2~3選び、設置してある端末で詳細な情報を取り寄せた。
まぁ、これなら、なんとかなりそう……かもしれない。
僕が調べ物をしている間、アデールは僕の邪魔をしないよう、部屋の隅でおとなしく浮いている。座るでもなく、飛ぶでもなく、浮いているというのが、実に天使らしい。
僕はすぐに三件の会社に連絡を取り、そのうち二件の面接のアポイントを取ることができた。一件は担当が面談中なので、折り返しの連絡と言うことになった。
大学の食堂でランチを取り、そのあと公園を散歩しながらアデールとの会話を楽しんだ。
僕とアデールの会話は、僕の質問から始まり、アデールの回答、そしてさらに理解を深めるための僕の疑問、そしてアデールの解説という流れになることが多かったが、ときどきアデールから質問をしてくれるようになった。
「京次様は、あの方のように髪の毛を結わいている女性がお好みですか?」
僕の目の前をポニーテールの可愛い女の子が歩いている。
「そうだね。僕は昔からポニーテールが好きだね。まぁツインテールも嫌いじゃないけど、やっぱりポニーテールが好きかなぁ」
アデールは一瞬淋しそうな顔をする。
アデールの髪は金髪のくせっ毛でくりくりとしていて、天使の輪が浮いている。ポニーテールは似合いそうになかった。
「そうですかぁ……」
嗚呼、そうだとも。僕はポニーテールやツインテールが大好きさ。
「京次様は、お胸が大きい、大人っぽい女性がお好みなんですか?」
今しがたすれ違ったお姉さんはそれはそれは立派なお胸をしていたが、それ以上に身体のラインがとても女性的でセクシーだった。
「そうだね。女性の首筋や腰の括れ、きゅっと上がったお尻は魅力的だよね。もちろん可愛い女の子も好きだけど、女性の色香みたいなものを感じる女性にはついつい目が行ってしまうかな」
「そうですかぁ……」
嗚呼、そうだとも。僕の理想は"手に余る"女性なのだよ!
「京次様は、短いスカートがお好みなんですか?」
嗚呼、そうだとも。というか……、世の中の男子の半分、いや、もっと大きな割合で短いスカート好きだろう!
「京次様……」
アデールは僕に何かを聞こうとして、話題を変えた。
「今日は素敵な天気ですね。わたし、飛びたくなっちゃいました」
アデールが僕に絡めていた腕をほどき、背中の翼を小さく羽ばたかせて宙に浮いた。
美しい――それはとても美しく、眩しい光景だった。
嗚呼、君は天使だ。
僕は天使に、見守られているんだ。
アデールはとてもいい子である。
彼女は今まで出会ったどんな女子よりも可愛くて、清純で、可愛くて、胸が大きくて、可愛くて、気遣いができて、可愛くて、スカートが短い。そして履いていない!
嗚呼、なんて眩しいのだ。
突然訪れた人生の春。
しかし何かが違う。
彼女は決定的に何かが過剰で、何かが欠如していた。
最初は小さな、ほんの小さな違和感だったものが、次第に僕の心に大きな影を落として行った。
「アデール、そろそろ帰ろうか」
「はい、京次様」
このあとバイトがはいっていた僕は、4時過ぎには部屋に戻っていなければならなかった。
そうか。いつもは一人で部屋に帰るんだよな。
誰かと一緒に自分の部屋に帰るというのが、とても新鮮に思えた。
「ただいまぁ」
いつもはそんなことを口にしたりはしない。
薄暗い部屋の中は、外の明るい世界と違って、陰鬱で空気が淀んでいた。
「只今帰りました!」
アデールが元気よく部屋の中にはいるだけで、蛍光灯を付けたかのように部屋の中が明るくなった。
しかし同時に何か冷たい視線を感じた。
そうだった。テレビ画面には悪魔デリアがいるのだった。
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