第5話 魔女の実験 前編

 向かいに住む祈さんは魔女だ。

 黒髪で、何だか大人っぽくて、妙にエロい。

 そして、実験のようなことを毎日している。

 実験台は俺だ。


 部屋で動画を見ていると、トントン、とドアがノックされた。


「ほいほい」


 誰かとドアを開けると、立っていたのは祈さんだった。


「ごめんね、鳳君。今良い?」

「大丈夫す」

「何してたの?」

「動画見てました」

「エロイの?」

「いえ、今日はまだ……。エンジン掛かり次第見ようかと」

「隠せよ。まぁいいや。はい、これ」


 そう言って祈さんはビーフシチューのようなものが入ったタッパーを、俺に手渡す。


「何すかこれ?」

「おすそ分け。作りすぎちゃったからさ」


 俺は密かに感動した。

 一人暮らしで、美女のご近所さんからおすそ分けをいただける日が来るとは。


「何で泣いてんの?」

「……俺、嬉しーっす。都会に出てきて、人の心に触れたっつーか」

「重いわ。いいから食べなよ。一緒に茶でも飲もう。部屋上がっていいかな?」

「へい、どうぞ」


 男の一人暮らしに入り込むとは、都会の女性は何て大胆で積極的なんだ。

 いや、祈さんは異世界の方らしいから、都会の人ではないのか。

 何て積極的な女性なんだ。


 部屋に上がった祈さんは、まじまじと俺を見つめる。

 猫みたいに大きな黒い瞳に、俺の姿が写り込んでいるのが分かる。


「そんなに見つめられると流石に照れますね」

「いいから、ほら、シチュー温かいでしょ」

「っすね」

「あと、これ、混ぜて食べてよ」


 彼女は透明な液体が入った小瓶をポケットから出す。


「なんすか、それ」

「蘇生薬。念のため」

「なるほど」


 蘇生薬まで作れてしまうのか。すごいな、魔法ってのは。

 俺は特に何の疑問も抱かず、それをビーフシチューに混ぜた。蘇生薬はかなりドロッとしていて、スライムみたいだった。


「どう? マンドラゴラとサラマンダーの鱗を砕いた粉でベースを作って、そこに龍の涙を流し込んだ特製シチューなんだけど」

「あ、美味い。何と言うか、濃厚」

「なるほど、美味いと……」


 祈さんはメモ帳とインク取り出すと、羽ペンにインクをつけて書き出す。

 その姿に、俺は少し疑問を抱いた。


「自分で味見してないんすか?」

「えっ? しないわよ。死んだらどうするの。マンドラゴラは致死性の毒を持ってるし、サラマンダーは体を発火させるんだから」

「まぁ、それなら仕方ないですね」


 少し引っかかりを覚えたが、気にしてはいけない。何故ならもう俺はこのシチューを口にしているからだ。

 ムシャムシャと、俺は大学生らしい速度でシチューを平らげた。


「鳳君、何と言うか、素直よね」

「そっすか?」

「そんなんじゃいつか騙されるよ。そっちの世界では、悪い人いないの?」

「いや? 居るんじゃないですか? 俺は会ったことないですが。最近読んだ漫画ではホストにハマった女の子が風俗に落とされてましたし」

「ホスト?」

「格好いい男がチヤホヤしてくれる場所です」

「何が楽しいの、それ」

「みんな褒められたり認めてもらいたいんですよ。金払ってでも」

「何か、生き辛そうな世界ね、そっち。まぁ、うちの世界も似たようなもんか」

「世界なんてそんなもんでしょ」


 軽い表情で重い会話を交わしながら、俺は祈さんのシチューを全て食った。

 その姿を見届けた祈さんは、トレイを回収して部屋に戻ろうとする。


「今日はありがと」

「いえ、こちらこそ。すっかりご馳走になっちゃって。あ、そうだ、これはお礼なんですけど……」


 俺はそう言って、ボールペンの束から一本新しいのを祈さんに渡した。


「何これ」

「ボールペンす。羽ペンは格好いいけど、不便でしょ」


 祈さんは物珍しげにボールペンを何度もカチカチとノックしては「おぉ」と声を出していた。


「良いねこれ。鳳君、気がきくじゃん。管理人さんにもいい噂流しといてあげよう」

「優しくて頼りになるから管理人さんにぴったりだと、あと他に近づく男には凶相が出てるから鳳以外とは近づくなと、その点を推し気味にしてもらえると助かります」

「必死すぎてキモいな」

「そういや、何で俺が管理人さんに好意を持ってるって知ってるんですか?」

「いや、私、心読めるからさ」

「そうなんですか」

「もうちょっと驚けよ」


 そこで祈さんはフッと笑みを浮かべる。


「ほんとに、変なやつね、あんた」

「ありがとうございます」

「褒めてはない。……じゃ、もし肉体の一部が変質することがあったら教えてね。経過も見たいし」

「わかりました」


 不穏なことを言いながら祈さんは部屋に帰って行く。

 ちなみに、この時俺は何もわかってはいなかった。


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