第6話 五体投地

 俺たちがリビングに戻ると、状況は最悪だった。

 管理人さんが酒を煽りながらクダを巻いている。


「だからね、百三十五歳だからって『しっかりしろ』はないじゃないですか! 私だって社会で頑張ってるのに! お姉ちゃんみたいに次元を超えて旅したいんれすよ!」


 まずいな。なんかよくわからん身の上話になっとる。

 俺は早速、その話に割って入るように「遅れましたけど、安西さんの到着ですよ!」と言って安西さんの手を引いた。


 するとガタリと今泉が椅子から転げ落ちる。


「う、うわぁ! 化け物!!!」


 今泉の悲鳴が響き渡り、予期せぬ反応に俺は怪訝な顔をした。


「おい鳳! 何だその化け物は!」

「なんだよ、初対面の人に失礼な奴だな。うちの住民の安西さんだよ」

「そんなに驚いてもらえるだなんて、モンスター冥利に尽きます」

「あんたはもうちょっと怒りなさいよ」


 俺たちが近づくと今泉は「寄るな化け物ぉ!」と叫び、それも無視して近づくとやがて白目を剥いて動かなくなった。

 恐怖のあまり気絶したらしい。


「どうしたんだ、こいつは」

「私を見てビックリしたんじゃないでしょうか? 本人、そう言ってましたし」

「ビックリって、何でよ」


 そこで俺たちはハッとする。


「安西さん、バケモンじゃん」

「モンスター冥利につきます」

「ちょっと黙ってもらっていいですか?」


 梢ちゃんはと言うと、安西さんを見て目を見開き、全身を震わせている。

 今度はこっちをどうにかしないとマズそうだ。


「梢ちゃん、違うんだ、これは」

「落ち着いて、この人、化け物だけど無害だから」

「モンスター冥利に尽きます」

「あんた黙れ」

「あ……あ……」


 梢ちゃんは震えながら椅子から立ち上がると、直立不動の姿勢で倒れこんだ。

 気絶したのだろうか。


「梢ちゃん、大丈夫?」


 俺が近付くと「触らないで下さい!」と言葉を返された。


「私は今、身を捧げているんです!」

「えっ?」

「そこの神に、私が夢にまで見た性欲の淫乱モンスターに、私は身を捧げているんです!」


 何を言っている。

 そう思ってすぐに気がついた。

 直立不動で地面に突っ伏すこの姿勢。

 これ、仏教の五体投地だ。


 俺たちが困惑していると、梢ちゃんはバッと顔を上げて安西さんに向かって「早く私を犯してください!」と叫んだ。


「落ち着きなさい、あんたちょっと恐怖でおかしくなってんのよ」

「なってません! 私は正常です」


 なお悪い。


「私、子供の頃から夢だったんです。トロルに犯されること」

「ひどい夢ね」

「な、何でまたその様な奇特な夢を?」

「兄が女戦士が滅茶苦茶にされる薄い本を持っていて……。最初は恐ろしかったのですが、どうしてもあの本が忘れられず、気がつけば何度もこっそり盗み読みを繰り返していました。そして、いつしかそうなってしまったんです」


 話を聞きながら梢ちゃんの兄の罪は万死に値すると感じた。


「鳳君」

「何すか」

「薄い本ってなに」

「男の夢が詰まった本です」


 すると、梢ちゃんは安西さんの足元にすがりつき出した。

 安西さんが「ひぇっ」と声を出す。

 化け物に化け物がぶつかっている。


「お願いです! 私をめちゃくちゃにしてください! そのぶっとい◯◯◯で私の◯◯◯を◯◯するまで◯◯◯◯◯して◯◯な◯◯◯◯を◯」

「鳳君! 私が魔法を使ってるうちに何とかして!」

「あ、今の魔法だったんすか?」

「自主規制の魔法よ!!」


 えらいピンポイントな魔法だな。


 俺はすがるように管理人さんを見たが、彼女は一升瓶を抱えたまま幸せそうな顔で眠っていた。何て可愛いんだ。思わず見入ってしまう。この穏やかな顔を守るためなら命をかけるのも惜しくないと、心からそう思った。


「いま命をかけなさいよ!」


 叫ぶ祈さんに「大丈夫です、祈さん」と声を掛けたのは安西さんだった。

 安西さんは先程の怯えをなくし、意を決した顔で梢ちゃんの肩に手を置く。


「梢さん、でしたね。残念ながら私は、あなたのご期待に応えられません」

「ど、どうして……」


 俺は、多分その時の彼の顔を、生涯忘れることはないだろう。


「私、性欲、ありませんから」


 そうか、と俺と祈さんは多分その時、同時に理解した。

 だから彼は、あんな仏みたいに穏やかなんだ。

 と。

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