第2話 食卓
向かいの祈さんは魔女。
お隣の安西さんは魔物。
そして管理人さんはエルフ。
その奇妙な住民達に出会い、俺は混乱して……いなかった。
むしろ自分がいかに田舎者であったかを痛感していた。
世界は俺が知らない間に魔女やら魔物やらエルフやら、未知なる存在と交流し、そしてシェアハウスを形成するまでに至っていたのだ。そこまで世界情勢が変わっていたと言うのに、俺は何一つ知らなかった。それが衝撃的でならなかったのだ。
うちの田舎は本当に大丈夫なんだろうか。心配になる。
陸の孤島じみているとは思っていたが、本当に情報が隔絶されているとは思いもよらなかった。
辛いよ、母さん。
「鳳さーん、ご飯ですよー」
「あ、今行きまーす」
共用リビングから聞こえてきた管理人さんの天使の様な声に、俺はつい先ほどまで抱いていた悲しみを全て捨て、一階へと舞い降りる。
如月荘は家賃に上乗せして食費を払えば、飯を作ってもらえる。
月二万五千円で、朝昼晩の健康的な食事を確約してもらえるのだ。
そしてその料理人は、あの管理人さんである。
ともすれば、迷うことはない。
そう、迷うことは……。
「何でしょうか、この紫色の物は……」
食卓に並んだものを見て、俺は声を発した。
「あ、これは安西さんの世界の食事なんです」
「デスフィッシュの煮物ですねえ」
嬉しそうに言う安西さん。
「安西さん、一個聞いてよいでせうか」
「よいですよ」
「その、デスフィッシュというのは何なんすか」
「デスフィッシュは私の世界の高級食材です。酸の湖と言う、住民も滅多に足を踏み入れない危険地域に生息する魚類でして。その鍛え抜かれた鱗とは裏腹に、中の身はぷりっぷりなんですよ。管理人さん、これほどの物を仕入れてくるとはお目が高い」
「あはは、お褒め頂き光栄です」
そうなんだ。
まるで分からない。
紫の肉片、毒々しい緑色の煮汁。
食卓の風景に似つかわしくないそれは、俺の食欲を一気に奪っていく。
「これからはみなさん一緒に暮らしますから、安西さん、祈さん、鳳さんの世界の食事をローテーションで回していこうと思うんです」
「安西さんのお住いの世界というのは、確か……」
「魔界です」
「さいですか……」
目の前の小皿に取り分けられたそれを俺は静かに眺める。
皿の周囲だけ空気が澱んでいるように感じる。
「じゃあ、いただきましょう」
管理人さんは席につくと静かに言った。
「あの、管理人さん」
「どうしたんです? 鳳さん」
「これ、俺たちが食べても大丈夫すか? その、体質的な問題で」
「アレルギーとかのお話ですか?」
「いや、そうじゃなくて……」
魔物が食うようなものを人間が食って大丈夫なのかと問いたい。
すると、安西さんがにこりと笑った。
「大丈夫ですよ、鳳さん。私の勤める社員食堂では、人気メニューです」
「社員食堂?」
「安西さんは魔界に存在する魔王城の社員食堂でお仕事されてるんです」
「一応、料理長です」
「なるほど……」
魔物にとって人気メニューだとしても、人が食って良いと言う保証にはならん。
「良いじゃん、鳳君。まずは食べてみたら?」
そう言って来たのは、先ほどの魔女だった。
「えっと……あなたは確か」
「祈」
「祈さんは、食べないんすか?」
祈さんは直接口に出さず、目で言っていた。
お前が先に食べろと。
その眼光に逆らえない。
俺は震える手で箸を使い、デスフィッシュとやらを崩す。
ドロッとして、ネチョッとしてる。
故郷にいる母のことを思い出した。
母さん……、今までありがとう。
箸でつまむと、デスフィッシュを口に運ぶ。
「うっ……」
「どうですか?」
「うっ、うぐ、うご、うごごごご」
「魔界の食事、口に合うといいなぁ」
「死ぬんじゃない? これ」
「うぐ、うごごご……うぐ? うっ? う、うまい……」
美味かった。
ブリみたいな味がする。
お袋の味だった。涙が出そうになる。
俺の言葉に、管理人さんは嬉しそうに微笑んだ。
「よかったぁ。こう見えて、結構練習したんですよ、お料理」
「うん、いい味ですね。管理人さん、デスフィッシュの活かし方をよくご存知でいらっしゃる」
「祈さんも食べましょうよ。マジ美味いす、これ」
「ホントに……? あら、ホント。結構美味しいわ」
やいのやいの言いながら食事を囲む。
実家を離れてこちらに来て、心細さもあったが、なんだか落ち着く。
住む世界は違っても、何となくみんな本質的には変わりないんだな、と感じた。
こう言うのも良いかもしれない。
「どうですか? 鳳さん。如月荘は」
管理人さんに尋ねられる。
「初めての一人暮らし、何とかなりそうですか?」
祈さんと、安西さん、そして管理人さん。
少し変わったメンバーだが、何となく俺は思った。
ここで良いんじゃないかな、と。
「はい。よろしくお願いします」
こうして、俺の如月荘の日々が始まった。
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