第3話 社会人とビーフシチュー 前編

 安西さんは魔王軍に勤めるサラリーマンだ。

 上司が怖いらしく、魔王に逆らった日には、消し炭にされるのだと言う。


「同期で入った飯田君が魔王様の部屋のシミになった時は、切なかったなぁ」


 全員で朝飯を囲っている最中、ふと過去を回顧しだした安西さんはしみじみとそう言った。

 その様子に、祈さんが呆れたように口を開く。


「安西さん、死んで帰って来なくなるのだけはやめてよね。寝覚め悪いから」

「ははは、大丈夫ですよ」


 安西さんは妙な自信を持っている。

 すると慌てた様子で管理人さんがリビングに顔を出した。


「安西さん! そろそろ出社時間ですよ!」

「わぁ本当だ! 殺されてしまう!」


 安西さんはドタドタと命懸けの出社をする。

 俺と祈さんは顔を見合わせて頷いた。

 死んだ時は温かくとむらってあげよう。


 門を抜けた途端、空間に溶けるように安西さんの姿は消えた。

 どうやら共有空間のに出たらしい。




 トロルの安西さん、魔女の祈さん、人間の俺。

 安西さんは魔界、俺は人間界、祈さんは魔法界。

 俺たち三人が住む世界は、それぞれ異なっている。


 俺たちからしたら、お互いの暮らしている世界は異世界にあたるわけだ、今はやりの。

 しかし、管理人さんいわく、世界は完全に分離しているわけではないらしい。

 いくつかの“中継地点”と呼ばれる場所を通じて交わっているのだと言う。


 そして、この如月荘はその“中継地点”に存在しているらしい。


 互いの世界は違うから、行き来は出来ない。

 だが、如月荘の敷地内は共有空間になっており、俺たちはこうして生活を共有シェアできている。


 さらに言うなれば、魔物やら魔女やらが当たり前に存在している空間はまだ人間界では認知されておらず、世界では如月荘くらいしか存在しないということを、今更俺は知った。

 俺はとんでもない場所に引っ越してきたようだ。

 まぁ別に良いけど。




「鳳くんさぁ」


 祈さんがソファでダラッとしながら声をかけてくる。


「安西さんの世界ってどんなんだと思う?」

「さぁ? 祈さんも知らないんすか?」

「そりゃあ、世界が違うんだから知るわけないでしょ」

「いや、色々詳しいみたいなんで、行った事あるのかなって」

「異世界の住民を呼び出す手法ってのはなくもないけど、異世界を渡る方法って言うのは現存のところ発見されてないわ。そうね――」


 祈さんがチラリと窓の外に目を向ける。

 釣られて視線をやると「安西さーん!鞄忘れてますよ!」と管理人さんが走って安西さんを追いかけ、門の外に姿を消していた。


「管理人さんみたいに」

「管理人さんて、何者なんすか」

「私が知るわけないでしょ、馬鹿ね」


 今だにここの事はよくわからない。

 それは俺だけでなく、他の二人も同じようだ。

 でも、どうして事情に精通して見えるんだろう。


「だって入居者の募集要項に堂々と『異世界荘』って書いてたじゃん。知らない方がどうかしてんのよ」

「モノローグを読むな」


 ふと見ると、壁の掛け時計が八時半を指しているのに気がつき、俺は立ち上がる。


「やば、今日の講義、言論文じゃん。そろそろ行かんと」

「じゃあ、私は部屋でもう一眠りするか」


 こうして、それぞれの日常が始まった。


 ○


 大学の大講義室で何となく講義を聞きながら、ボーッと思いを馳せる。


 管理人さん、今日も可愛いかったな。

 今日は、どんな顔するんだろう。


 そのような幸せな思考を働かせていると、いつしか気が遠くなり、視界はブラックアウトし、気がつけば俺は講義を終えているのだ。不思議なものである。


 サークル活動などを適当に見て周り、勧誘を受け、いまいちピンと来ないまま如月荘に帰宅した。

 敷地に入ると、庭に咲き誇った桜の木を眺める化け物と美女の姿があった。

 安西さんと管理人さんである。

 その姿は、何だか孫娘と一緒に居る祖父のようにも見えなくない。


「お二人、何をされてるんですか」

「あ、鳳さん。お帰りなさい」

「今ちょうど、管理人さんと桜を眺めていたんですよ」

「そりゃ見たら分かりますけど。安西さん、お仕事じゃなかったでしたっけ。リストラすか」


 俺が尋ねると安西さんはシュンとしおれた花の様に肩を落とす。

 冗談のつもりが、やぶ蛇だったか。

 安西さんの様子に、管理人さんは「安西さん、元気出してください」と励ます。

 その光景を見て、俺も将来退職すれば励ましてもらえるのでは、などと考えた。


「すいません、まさか図星だったとは」

「いえ、リストラではないんです。ただ……その、ご子息様に怒られてしまって」

「ご子息?」

「安西さんの会社の社長の息子さんだそうです」

「はい。魔王様の息子様です」

「魔王を社長呼ばわりするな」

「いつもご子息様には特別メニューを出していたんですが、今日はあまりに忙しくて、エビドリルのオムライスからピーチマメを抜くのを忘れてしまって。ご子息様はピーチマメがお嫌いなので」


 オムライスからグリンピースを抜き忘れたみたいなもんか。

 それで魔王に怒られて帰宅させられたのだ。


「まぁ、早退だけですんで良かったじゃないですか」


 管理人さんの言葉に俺も同調した。


「そっすよ。生きててよかったす、安西さん」

「そうですね、ありがとうございます」


 そういって、安西さんは弱々しく、にっこりと微笑んだ。

 この人も大変なんだな。

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