始まりの日、異界との出会い
第1話 最初の日の出会い
それは今から半年前のこと。
たまたまネットでその物件の情報を見た俺は、声が震えた。
都心の新築アパート。
洗面所と風呂トイレ共用。
住人による共有スペース(リビング・キッチン)あり。
一部屋二十畳。部屋にも別途流し台あり。
駅近徒歩三分、家賃一万円。
その建物の謳い文句は、その様なものだった。
大学進学にあたり、住居を探していた俺はその破格の条件に飛びついた。
進学で一人暮らしをする事にあからさまに顔をしかめていた母親も、この条件には目を光らせていた。
「学生のうちに貧乏しておくって言うのも、悪くないかもね」
その言葉には、暗に仕送りはしないと言う強い意思が込められていた。
母さん……。
訳もわからないまま住居手続きが済み、何が起こっているのか理解する間もないまま引越しを終えた。
共有スペースには冷蔵庫や電子レンジなど、ある程度揃っているらしいので、家具の購入も最低限に留めた。
上京し、俺は
畳張りの部屋だった。
心地よいい草の香りが胸を一杯にしてくれる。
部屋の掃除をして、窓を開き太陽光を取り入れる。
清々しい気分だ。
そんな時。
「あのー、すいません」
部屋の外から、不意に声がしたのだ。
「大家さんかな? はいはい、いま出ますよっと」
そう言ってドアを開くと。
立っていたのは、天使だった。
金髪、白い肌、尖った耳、大きな胸。
一瞬で、目と心を奪われたのを覚えている。
天使は、俺を見るとにこりと笑った。
「管理人の
「天使だ……」
「えっ? いや、エルフです」
「エルフ?」
なるほど。
管理人は天使ではなくエルフだったのか。
だから耳が
「歓迎します。ようこそ
「そうでしたか、あはあはは」
意味も分からずとりあえず笑っておく。
するとそんな俺の様子を察したのか、管理人さんが不安そうに補足した。
「ひょっとしてご存知じゃなかったですか?」
「と言いますと?」
「如月荘はいろんな世界で入居者を募集してるんです。世界的にも新しい試みなんですよ」
「へぇ……」
シェアハウスとは知らなかった。家賃が安かった理由に合点が行く。
国際交流の出来るシェアハウスは確かに珍しい気がする。しかも日本だけでなく、海外でも入居者を募集してるならなおさら珍しい。
ただ、世界的にも新しいというのはちょっと大仰な気もするけど。
寝耳に水だったが、それはこちらの確認不足に落ち度がある。
世の中そんなに甘くない事もそれなりに知っていた俺は割とすんなり納得した。
管理人さんが美人。
それ以上に何が必要だというのだ。
「ところで、話は変わるんですが……」
「はい、なんでも聞いてくださいね」
「管理人さんのその髪の毛、地毛なんすか?」
「えっ? そうですよ」
金髪ブロンドの美女。顔立ちは少し日本人っぽい。ハーフだろうか。恐らくはロシア人とのハーフ。エルフとか言ってたのも、彼女なりの冗談だろう。
こんな美しい管理人がいるなら、男どもが集まってくるに違いない。
早めにだ。早めにアプローチして一歩前に出よう。
「管理人さんは、彼氏とかいらっしゃるのでせうか」
「え? いませんけど……」
「ならば、こんど拙者とぜひお食事を「すいませーん」」
脊髄から解き放った渾身の口説き文句は、不意な女性の声に遮られた。
「あ、ごめんなさい。今日から鳳さんの他にも、入居される方が来る予定で」
「へぇ……」
「今、何か言いかけてました?」
「あ、大した話じゃないです。ホントに、全然、全く、これっぽっちも。ゴミと馬糞を混ぜ合わせて三日三晩煮込んだような話ですし」
「逆に気になりますね……」
「新しい入居者なら、僕も出迎えに行ってよいですかね。同じ屋根の下に住むわけですし、ついでにご挨拶を」
「ええ、もちろん」
もちろん、ただ挨拶するつもりはない。
あの声の調子、恐らくは若い女性のはず。
ここでまず知り合っておくのが吉と判断した。
ふふふ、こりゃあこれから先が楽しみでなりませんなぁっはっは、などと思いながら玄関へと向かう。
第一印象が大事だ。
もちろん初対面の女性相手に、顔と体のチェックをしようなどとは考えていない。それはもう、そうなのである。いや、本当ですよ。うふふ。
浮足立ちながら管理人さんと玄関まできた俺は、訪問者の姿を見てふと足を止めた。
でかい三角帽に、民族衣装的な服装。
奇妙な杖。
魔女がそこにいた。
何だこの人は?
こんな珍妙な格好の人間が果たして存在するのか。
そうか、コスプレだ! コスプレイヤーだ! 初めて見た! さすが都会だ! レイヤーがレイヤー(?)して歩いてるなんて!
「えっと、今日から二〇五号室で世話になるんだけど」
「伺ってます。私が管理人の綾坂です。二〇五という事は、祈さんですね?」
「そ、よろしく」
「あ、廊下は土足厳禁なので、スリッパでお願いします」
「あー、共用スペースか。面倒いから、浮くか」
女性が何やら文言を唱えると、彼女の荷物と体がフワリと宙に浮かんだ。
俺はその光景に、目をパチクリさせる。
何が起こった。
「あんたは?」
俺を一瞥して、レイヤーは宙に浮いたまま言う。
「あ……二〇一の鳳です」
「へー、じゃあお向かいさんか。よろしく。あんた人間?」
「熊さんです」
「人間ね。よろしく。私は祈っての」
「よろしくお願いします。それでその、祈さん」
「何?」
「何で浮いてるんですか?」
俺が尋ねると、一瞬の間の後、彼女は言った。
「なんでって、魔法使ってるから」
「なるほど」
俺は思った。
最近のコスプレイヤーは魔法まで使えるんだと。
俺の奇異の視線を気にすることもなく、祈さんは宙に浮いたまま二階へと登って行った。
二人だけになり、管理人さんと顔を見合わせる。
「サバサバした人でしたね。鳳さん、どうでした?」
「まぁ、付き合いやすそうな人かなぁと。たぶん」
「それなら良かったです。入居者のお三方、仲良くやっていけそうですね」
「お三方? あと一人誰かいるんですか?」
「あれ、お気付きになりませんでした? お隣に会社員の男性の方が入居されてるんですよ」
何だと?
聞き捨てならない。
既に俺の他にも男がいるとは知らなかった。
しかも会社員。
万一そやつが管理人さんに惚れては、俺にとって不利にも程がある。
一言ご挨拶せねば。
そう、決して傘下に下るのではない。これは牽制である。取り入って上手く味方にしようとかそんな姑息なことは考えてない。これはもう、そうなのである。
急いで階段を上ると、階上から祈さんと男性の声が聞こえてきた。件の男性だろう。どうやら部屋の前でバッタリ鉢合わせたらしい。
しめた、このタイミングで顔を見てやろう。
俺は談笑する二人の姿を捉える。
そこで、足を止めた。
化け物がいた。
緑の皮膚で、お腹がぶよぶよで、でかい。
二メートル以上は確実にある。体重も一〇〇キロは優にあるだろう。
何だこいつは。
呆然としていると、祈さんが俺に気づいて手招きしてきた。
言われるがまま、俺はその手に
「これ、あんたの隣人の鳳君だって」
のそ、と動いたそれは、こちらを視認するとくしゃりと笑みを浮かべた。その笑みは、一切の敵意を感じない。田舎のおじいちゃんの様な優しさに溢れていた。
顎にはお肉が乗っていて、たぷたぷである。
そのたぷたぷに、思わず指が吸い込まれそうになる。
「何をしているんですか」
「はっ」
気がつけば、俺はそのたぷたぷのお肉に人差し指を突っ込んでいた。
「はじめまして。二〇二号室の安西です。魔界に住む、トロルです」
「は、はじめまして……。その――」
なんて言おうか迷って、続けた。
「バスケとか、上手そうですね」
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