11-6 涅槃

 食事が終わり、それぞれ部屋に戻る事になる。

 祈さんと安西さんは早々に部屋に戻り、俺は洗い物をする事にした。

 流しで管理人さんが机を拭いて後片付けするのを眺めながら、俺は皿をスポンジでこする。


「鳳君がやってるの? ここの洗い物」

 流しを覗き込みながら楓さんが言う。

「え? あぁ、たまに。いくら仕事と言っても、任せっぱなしは性に合わないので」


 実家では割と親が不在の事も多く、自分で家事をこなすことも多かった。だから人に世話されると言うのは、楽でもあるが落ち着かず、時々こうして自分でやるようにしている。

 祈さんには奴隷根性が骨の髄まで染み込んでいると言われたが、その言葉を聞いた時なるほど、と思った。なるほど、と。


「意外だね」

「意外すか」

「うん。家だと君『涅槃ねはん』とか言って寝てそうだなって思ったからさ」

 なぜわかったのだろうと俺は首を傾げた。

「楓さんはやらないんですか?」

「涅槃を?」

「いや、家事」

「たまにするかな。普段は結構お父さんがやってくれてるから」

「そっちの方が意外っす。店長家事できなさそうだから」

「お母さん死んじゃって、覚えたみたい」


 そう言う楓さんは、どこか遠い目をする。

 何となく、店長の事を思い出しているんじゃないかと思った。やっぱり喧嘩していても、それなりに尊敬してんだな。

「高校生のうちから家事が出来るっていい経験ですよ。良い女になります」

「何、それ」楓さんは少し笑う。「大して年齢変わんないくせに偉そう」

「なんか楽しそうですね?」

 ひょこ、と何処からともなく片付けを終えた管理人さんが顔を出す。

「青春してるなって羨ましくなりました」

「管理人さん、俺はあなたとなら、いつでも青春したい」

「年齢がもう青春って歳じゃないですねぇ」

「うーむ」

「管理人さんっていくつなんですか?」

「それ以上はいけない」


 ※


 やがて洗い物が終わる。

 俺が部屋に戻ろうとし、その後からついて来ようとした楓さんを、管理人さんが呼び止めた。


「楓さんは私の部屋でお泊まりです」

「えっ? 何でですか?」

 楓さんが首をかしげるのを見て「こんな年端の行かないお嬢さんを血気盛んな若者の部屋に泊められますか!」と管理人さんが叫ぶ。

「過ちでもあったらどうするんですか!」

「過ちって?」

「あぐっ……」管理人さんは言葉に詰まると、俺の方をチラッと見た。「鳳さん……答えてあげてください」

「分かりました」俺は頷くと、楓さんに向き直る。「子作りする事です」

「控えて」理不尽だ。

「鳳君は、私と子作りしたいって思ってるの?」

「大切な勤め先の娘さんです。そんな事するわけないじゃないですか」

「鳳さん、真実を吐露してください」

「据え膳食わぬは男の恥」

「ね? ダメなんですよ」


 俺の言葉に、楓さんは身を守るように我が身を抱いた。明らかに引かれている。

 女性にとって、好きでもない奴から性欲視されることほどおぞましい事はないと言う。これは俺が受け入れるべき天命であり、宿命だった。


「まぁ、俺の汚い部屋より、管理人さんの綺麗な部屋の方が良いでしょう。安心感もあるし、気配りも行き届いてる。何より来客用の布団もありますしね」

「それはまぁ、確かに……。でもご迷惑じゃあ」

「私は大丈夫です! むしろ、大切なお客さんですから、何かあった方が困ります」

「そういう事です、楓さん。店長には俺から連絡しとくんで、安心して泊まってください」

「う、うん……」


 楓さんは一瞬だけこちらに目線を向ける。少しだけ、寂しそうな顔をしていた気がしたのは気のせいだろうか。

 俺はそこまで考えて、まさかね、と首を振った。

 男というのはいつだって女性の評価を五百倍で受け取りかねない。つまり俺は、俺に向けられてた嫌悪の表情を好意のものとして捉えていたのかもしれない。

 なんて得な性格なんだ。


「しかし人の子よ、あながち勘違いでもないかもしれんぞ」

 頭の上に乗っていたカーバンクルが呟く。

「何が?」

「あの娘、貴殿に何か話したいことがあるようだ」

「話したい事?」


 一体なんだと言うのだ。

 尋ねたかったが、カーバンクルはそれ以上答えず、眠そうにあくびをするだけだった。

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