11-9 葛藤

「か、楓さん?」


 入り込んできた人物に、俺は声をかける。

 すると、楓さんはこちらに背を向けたまま、ピクリと体を反応させた。

「何故ここに」

「その……部屋の鍵、閉まっちゃってて、行き場なくて、ごめんなさい」


 なるほど。

 大方管理人さんが寝ぼけて閉めてしまったのだろう。

 来客が来ている事も忘れて。


「そう言う所あるからなぁ、あの人。横に布団があるのに、来客の存在忘れるとか」

 まぁ、その抜けている部分が管理人さんの可愛いところでもあるわけだが。

 それにしても、ちょっと酷くないか。今は真冬だぞ。

「ごめん、でも寒くて……」

「無理もないっすよ」

 俺の部屋は暖房をつけているものの、廊下は流石に冷えるだろう。

 行き場を失って、楓さんが戻ってくるのも仕方がないことだと言える。


 とは言え。


 数センチ先にうら若き乙女の柔肌があり、そして布団中にその香りが広がっている。

 布団は当然一人用だから、ほぼ密着するような形になる。

 互いの息遣いさえ聞こえそうな状況で、朝まで耐える事など出来るのだろうか。

 いや、成さねばならない。

 さもなければ俺の死は確定。

 如月荘に留まる事もできまい。

 俺の社会的地位は消えたも同然なのだ。


「ねぇ、鳳君」

「はい?」

 わずかに、衣擦れの音がする。

「その……私と子作りしたいとか言ってたよね」

「えっ?」

 部屋の空気は、少しずつ熱を孕んでいく。

「えっと……良いよ」


 呼吸が止まる。

 楓さんは、ゆっくりとこちらを振り返る。

 暗くても分かるくらい、潤んだ目をしている彼女が、大きな目で、恐らくは真っ赤な顔で、こちらを見ている。


「鳳君となら、その……良いよ」


 母さん。

 僕、大人になります。


 無理に決まっていた。

 レベル1初期装備の主人公が、裏ボスと戦うような圧倒的戦力差があった。

 勝ち目など、はなからなかったのだ。

 いや、コレは負けではない。

 これは勝利。恐らく俺の人生での最大のチャンス。

 このチャンスを見逃したら、一生……いや、恐らく来世まで後悔するだろう。

 良いんだ。どこまでも逃げてやる。

 死なら受け入れるさ。

 いや、彼女の為なら生き抜くのも悪くない。

 色々と相反する感情が生まれる中、俺はそっと、楓さんの頬に手を伸ばそうとした。


 その時だった。

 一瞬だけ、管理人さんの笑顔が目の前に浮かんだのだ。

 そこで、手が止まる。


 しばらく、空気が止まった。

 緊張した空間だけが、部屋を支配する。

 覚悟したように目を瞑っていた楓さんが、恐る恐る目を開けた。


「鳳君、その……しないの?」

「楓さんは、そこで寝ててください」


 俺は静かに布団を出る。

「ど、どこ行くの?」

「ちょっと、星を見てきます」

 俺はそう言うと、静かにドアを開けて部屋を出た。

「お、鳳君?」と言う声を後ろに、ドアを閉めて。


 次に俺が発見された時、俺は自室のドアにもたれかかるようにして、凍死しかけていたと言う。朝一で俺を発見した安西さんと祈さんの応急処置により、俺は命を取り留めた。

 薄れゆく意識の中、俺は思っていた。

 楓さんとの一夜を逃せば、恐らく生まれ変わっても後悔する。

 だが。

 管理人さんの笑顔が軽蔑の表情に変わるのは、恐らく何度生まれ変わっても後悔する。

 だから……もういい。


 例え男として意識されてなくとも、一生叶わぬ恋であったとしても。

 これでいい。

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