11-8 添い寝

 来たっちゃ。

 違う。

 来ちゃった。


 パジャマ姿の楓さんが、血気盛んな大学一回生の俺の元に。

 来ちゃった?

 それを言えば許されると思っているのか、この女は。


「なぜ来たんです。管理人さんは」

「寝ちゃってさ、疲れてたんだろうね」

「楓さんも眠るべきではないでせうか」

「実は、ちょっと君に話したい事があって」

「話したい事?」


 何だそれは。

 愛の告白か。

 無いかそれは。


「ひょっとして、迷惑だったかな」

「いや、迷惑な訳では。俺のとこに来た時点で何か理由があるかと思いましたし。ただ……」

「ただ?」

「自我を……保つ自信がないだけです」


 時刻は深夜。

 風呂上がりの良い香りを放った、息を飲むほどの美少女。

 パジャマ姿。


 抗える気がしない。


「まぁ、とりあえず立ち話も何ですし、部屋へ」

「うん」


 部屋に楓さんを招き入れ、俺はドアを閉める。

 すると、楓さんがそっと手を伸ばし、ドアの施錠をガチャリと閉めた。予期せぬ行動に、おれはギョッとする。


「なぜ閉めるのです」

「えへへ、何故でしょう」


 それは天使ではなかった。

 小悪魔だった。

 無理だ、可愛すぎる。年下とは言え、アイドル級の美女。何なら誘われている気すらする。


 俺は予感していた。

 この機会を逃せば、絶対に後悔すると。


 高まる胸の鼓動と、部屋に満ちる妙な空気と、未知の世界への好奇心と期待を抱えつつも、俺は向かい側に楓さんを座らせる。


「それで、お話とは」

「実はね、鳳君にお願いがあって」

「はぁ、何でしょう」

「その……お父さんには内緒だよ?」

「ええ、まぁ、もちろん」

「えっとさ、その……大学生の男の子、紹介してくれない?」


 予期せぬ言葉に、一瞬時が止まる。


「……はい?」

「合コン、組んでほしいかな……なんて。ダメ?」

「いや、別に。でもえらい急ですね」


 何だか俺は悲しくなる。

 そんな俗っぽい、軽薄な欲望を、この人楓さんに吐いて欲しくなかったからだ。


「ゴメンね、こんな事言って。職場に大学生の男の子がいるって話してたらさ、友達がどうしても大学生と遊んでみたいって言って聞かなくて。合コン組んでってお願いしてって言われちゃって、断れなかったんだ」

「なるほど」


 まぁ、仕方ないかとは思う。女子とは、集団社会で生きる存在なのだといつか母に言われた事があった。付き合いや面子をないがしろにすると、色々と困ることもあるから、そういう人には優しくしなさいと。


 それに俺はどこか安心していた。

 この、適当に利用される感じが、何だか俺っぽいなぁと。

 何もしてないのに美少女が勝手に自分に惚れるとか、そんな甘い話は流石にないよなぁと。


 期待外れというか、期待通りというか、そんな感覚。


「別にいいっすよ。そう言うのに顔が効く奴がいるんで」

「本当? ありがとう!」


 そう言った楓さんは、嬉しいと言うより心の底から安心した表情をしていた。

 もしかしたら、本当に友達の頼みを断りきれなかっただけなのかもしれない。まぁどちらでも良いか。


「ほら、こんな話、あんまり良い気しないでしょ? しかも私家出して置いてもらってる身だし」

「まぁ、気持ちはわかります」


 そう言うと俺は欠伸をした。安心したら何だか眠たくなって来た。心の引っ掛かりも収まって、今日は何だかよく眠れそうな気さえする。


「それじゃあ、用も無事に済んだということでそろそろ寝ますか」

「わっ、もうこんな時間なんだ。ゴメンね、遅くまで」

 楓さんが立ち上がる。

「いえいえ、とんでもない」

「鍵、開けといて良い?」

「良いっすよ。玄関のドア閉まってますし、どうせ誰も入んないでしょ」


 如月荘の住民は二つ鍵を持っている。玄関の鍵と部屋の鍵。地味に二重セキュリティなのだ。


 楓さんが部屋から出て行くのを見送った後、俺は電気を消して布団に入った。部屋の鍵を掛け忘れていたが、まぁ良いかと放っておく。

 天井を見上げながら、しばしボーッとする。先ほどのは自分の人生の中でもなかなかトップクラスに緊張した。中々だった。


 布団に入ってうつらうつらとしていると、不意にドアがノックされた気がした。楓さんか? と思ったが、流石にそれはないかと思い直す。多分祈さん辺りが、研究材料に俺を使いたがってたずねてきたのだろう。

 眠かったし、何より面倒くさい。聞き間違いという事にして、俺は目を瞑った。


 すると、しばらくして、控えめにカチャッと音がするのが分かった。

 開けた? まさか。

 ギィィィ、と音が続き、誰か人の気配がするのを感じる。

 と、不意に俺の布団が誰かに捲られるのが分かった。羽根布団の温かさが飛びのき、冷気が入り込んでくる。


 流石に目を開くべきかと思っていたら、誰かが中に入ってきて、俺の隣にもぐり込んだ。

 体が冷えていて、少し震えている。

 それから、嗅いだ覚えのある良い香りがした。


 俺は、恐る恐る目を開く。

 細い首すじ、華奢な肩幅。

 入ってきたのは、楓さんだった。

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