11-10 信頼

「どうもお世話になりました」


 次の日。

 午前中の騒ぎが収まり、非常に不服そうな表情を浮かべ、楓さんは玄関で如月荘の面々に頭を下げた。


「ほっほ、久々の来客で楽しかったですよ」

「また遊びに来てよね」

「うちだけ寝てて全然話せへんかったわ」

「私も楽しかったです、本当にお世話になりました」


 皆と楓さんが楽しそうに話す中、時々冷たい視線が飛んでくる。


「あの、楓さん」


 声をかけるも、ギロリと睨まれる。

 当然だろう、俺は彼女に恥をかかせたのだ。

 昨晩の彼女がどういうつもりだったのか、俺にはわからない。だが、男にアプローチするのに勇気が要らないはずが無い。

 状況が状況だったとは言え、男の布団に潜り込むのも、彼女なりに覚悟を決めていたのだろう。

 その彼女の覚悟を、俺は踏みにじったのだから。


「鳳君」

 考えていると、不意に機嫌が悪そうな顔で、楓さんがこちらに近付いてきた。

「またバイトで」小声だ。

「えっ? あ、はい。店長にもよろしくお伝えください」

「昨日のことなんだけど」

「ええ、分かってます。大丈夫っすよ。今度紹介できる奴探しときますから」

「そっちもだけど、もう片方の」

「ああ、そっちも大丈夫っす。誰にも言いません」

「なら良し」


 不機嫌そうな顔が、何故かだんだんと面白く感じてしまう。


「店長と、仲直り出来ると良いですね」

「……うん」


 わずかに表情を緩めると、楓さんは荷物を持って帰って行った。

 俺はその後ろ姿を見ながら、叫びたい気持ちで一杯だった。


 畜生ぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおお!!!


「落ち着け、人の子よ」

 毎度当然の様に頭の上に乗っていたカーバンクルが、静かに声を出す。

「楓が貴殿の家に来た理由、本当に男性の紹介だけが理由だと思うか?」

「えっ? どういう事?」

「貴殿が思っている以上に、貴殿は色んな人に認められているという事だ」

 いまいち真意がつかみきれずにいると「妙ですね」と俺の横に立っていた管理人さんが口を開いた。そう言えば、さっきから話してなかったな。


「実は昨日、私の部屋、鍵なんてかけてなかったんですよ」

「えっ?」

「多分、楓さんが部屋を出て行ってから、そのままだったんだと思います。私、熟睡しちゃってましたから」

「でも、鍵が閉まってたから俺の部屋に来たって」

「それ、本当だと思います?」

「嘘って事すか?」

「女の子って、意外と計算高いですから」




 そこで、俺は店長の言葉を思い出す。


『そういうところは昔からちゃっかりしてるからな、あいつは』




「マジかよ……」思わず声が漏れる。

 すると、カーバンクルが俺の肩まで降りてきて、静かに首肯した。

「そう言う事だ」


 そうか。

 分かってはいたけれど、やっぱりすごいチャンスを逃していたのか、俺は。


「でも、何事もなくてよかった」

「ええ、そですね」声から魂が抜け落ちたみたいになった。

「鳳さんなら、大丈夫だって思ってましたよ、私は。信じてましたから」

 信じてた、か。

 その信頼は、なんだか残酷だ。

「まぁ、どうせヘタレですよ、俺は」思わず僻みみたいな言葉が零れ落ちる。

「そんな簡単に落ちられたら困ります。そんなにチョロかったら、私が困りますから」

「へぇあ?」


 俺がマヌケな声を出すと、管理人さんはイタズラっぽく笑った。


「そんな簡単に、譲る気ありませんから」

「それって、どういう意味すか?」

「さてさて、どういう意味でしょう?」


 管理人さんはそういうと「ほら、皆さん! そろそろご飯にしますよ」と俺から離れていった。

 如月荘の人々とわいわい話す彼女の後ろ姿を見て、俺は、吐く息が震えるのを感じる。


 脈、あるかもしれない。

 大人、ならなくて良かったかもしれない。

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