第25話

 今なんと言った?


「な、なにそれ……どういうこと!?」


 こよりは綴の言葉を理解するのを拒んだ。ここまで来てなにを言い出すのか。


「もう上原理恩の心核は蟲に九割方取り込まれている。あれだけ深く融合していると女王を倒したとき、同時に心核を破壊してしまう」


「でも、あんたの力なら直せるんでしょ?」


「倒した蟲の末路を見ただろう? 本の蟲は図書館にとって異物だ。バラバラになった肉片は世界の自浄作用に耐え切れず、する」


「……蟲と一緒に、本も消えるっていうの?」


 綴は無言で肯定する。

 こよりは心臓を鷲づかみにされるようだった。そんなことが許されていいのか。


「倒す前に蟲と心核を切り離せれば話は別だが……」


 綴は未だ壊れた哄笑を続ける理恩をちらりと見た。


「もう上原理恩に蟲を拒絶する意思は残されていない」


「頑張って理恩に呼びかければ!」


「ついさっき一笑に付されたことを忘れたか? 親友のお前の言葉すら、もう届かない」


 こよりの周りから音が遠ざかっていく。その事実を理解したくない。信じたくない。


「あなた、なぁにボーっとしてるの?」


 突っ立ったままのこよりを見て、理恩は口角をゆがませた。ちぎれた前足がじゅくじゅくと蠢き、そこから新しい足が生えてくる。


「ぼさぼさしてると、頭が二つになっちゃうんだから!」


 理恩はゲームを楽しむように、こよりに漆黒の鎌を振りおろした。

 こよりにはもうよける気力が残っていない。理恩を救えないという事実が完全にこよりを打ちのめしていた。


「ぼさっとするな!」


 綴に身体を引かれ、間一髪鎌が素通りする。こよりの立っていた場所に大穴が開いた。

 こよりを連れ、綴はいったん距離を取る。


「受け入れろ、上原理恩を完璧に救うことはもうできない」


 綴がこよりに言い聞かせてくる。そんなことはもうわかっているはずなのに、どうしても心が拒否してしまう。

 綴はこよりを後ろの階段状になっている本棚までさがらせると、一人女王へと身体を向けた。帯乃助が綴の肩からこよりへ移動してきた。


「なにする気!?」


「女王を倒す」


 たった今女王を倒したら理恩の本は消滅すると言ったではないか。


「今なら融合しきっていない本がわずかに残る可能性がある。すべてを失って廃人になるよりは……マシだ」


 そう言うと綴は地面を蹴って一足飛びに広場へ向かう。最後の言葉は、どこか寂しさを含んでいるように聞こえた。

 綴は純白の本を手に、女王と交戦を開始した。


「このままじゃ、理恩が」


 どうすれば、どうすればよいのだろう。


「こより様、今女王を倒すことが最善の策なのです」


 顔の横で帯乃助が言ってくる。


「ひどいよ……! 理恩がなにしたっていうの!」


 こよりは蟲に対して怒りをぶつけた。


「蟲ってなんなの? どれだけ理恩を苦しめれば気が済むの?」


 今まで押さえていた言葉がひとりでにあふれてくる。こんな理不尽なことがあっていいのだろうか。


「あいつも、理恩を救ってくれるって言ったのに! 廃人になるよりマシって、そんなわけないじゃない! 人の感情ってものがないの!?」


 思わず綴に当たり散らしてしまう。本心ではこんなこと思っていないのに、どうしても言葉に出さずにいられない。


「綴様は、非情ではありませんよ」


「え……?」


 帯乃助がこよりの正面に立って、見あげてくる。


「綴様は不愛想で、非常識で、運動音痴で、本しか読まないネクラのモヤシっ子ではありますが」


「そ、そこまでは言ってないけど」


 いくらなんでもひどい言われようだ。


「大切な人の本が失われる気持ちは、誰よりもわかっています」


「大切な人……」


 綴は過去に誰かを失ったことがあるということだろうか。


「だからこそ、理恩様の本を少しでも守ろうと必死なのです」


 こよりは戦っている綴を見た。彼の後姿はなにも語ってくれない。見る限り、そんな様子は微塵も感じさせないが……。


「綴様を、見守ってあげてください」


「う、うん」


 それで、理恩の本が失われることに納得できたわけではない。少なくとも綴が考えなしに行動しているのではないと理解することはできた。

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