第24話

 こよりは綴の腕から逃れ、ぱんぱんと服をはたく。降りた場所はドームからやや離れた回廊の部分だった。見るも無残に崩壊し、回廊としての形を保っていない。近くで見るとその凄惨さがよりわかった。


「あそこから中に入れるようです」


 綴の肩にとまりなおした帯乃助が目線で先を示す。本棚の残骸に隠れて見えにくくなっているが、ドームへの入り口があった。

 こよりたちは足を取られないよう、残骸をさけながら慎重に進んだ。

 入口までたどり着くと、綴が中の様子をうかがう。

 すり鉢状の広場の中央に、確かに女王がいる。今は羽を収めて沈黙を保っているようだ。


「さて……」


 どのようにして侵入するか、綴が思案したときだった。上の方からぱらぱらと本棚の破片が落ちてきた。


「あ、危ない!」


 こよりが見あげると、壁に一体の蟲がはりついていた。壊れかけた壁を崩し、自分たちに落とそうとしているようだ。


「チッ!」


 一瞬遅れで気づいた綴が、もう一度こよりを抱えてドーム内に飛び込む。その直後に壁が崩れ、入口をふさいだ。


「閉じ込められたか」


 綴が憎々しげにつぶやいた。


「あらぁ、戻ってきたの?」


 ドーム内に少女の声が響く。


「そんなにわたしに会いたいんだ」


 こよりは、くすくすと笑い声のする方向を見あげた。黒い山のような巨体の一部が蠢いて盛りあがっていく。ずるりと粘着質な音を立てながら、人間の身体が生えてきた。


「理恩!」


 こよりは親友の名前を叫ぶ。しかしその姿を見た途端、目をみはった。

 理恩の身体は、顔の一部を残し全身が漆黒に染まっていたのだ。瞳に輝く赤い光は一層血の色を濃くしていた。


「その身体……」


「ふふ、すっごく心が晴れやか……! こんな気持ち初めて!」


 理恩は顔を紅潮させ、恍惚に浸る。


「蟲との融合が、より深いところまで進行したのです。感覚を直に共有しているのでしょう」


 自分の本――要するに自分自身を喰らって、快楽を感じているのだ。その末路は破滅しか残っていない。


「だめ! 目を覚ましてよ!」


 こよりは必死に呼びかける。


「目を覚ます? なにから? わたしはこんなに気分がいいのに?」


 理恩は聞く耳を持っていない。自分のしていることが本気でわかっていないようだ。


「これ以上理恩の本を食べないで!」


 こよりは涙を浮かべながら、理恩ではなく蟲に訴えた。


「自分のものをどうしようが、わたしの勝手でしょう?」


 理恩が嘲笑をにじませながら言う。理恩の下にある、女王の目は無機質な赤い光を宿しているだけだ。あんなわけのわからないものに操られ、自分の大切なものを自身の手で失わせるなど、悲しすぎる。


「ああやって、蟲に喰われたものは蟲そのものになるんだ」


 綴が重い口調で告げる。

 父親が事故で他界しただけでもつらい出来事なのに、これ以上理恩を苦しめてなんになるというのだろう。こよりは手のひらに爪の跡がつくほどこぶしを握った。


「なにごちゃごちゃ言ってるの……? また邪魔しに来たんでしょう?」


 理恩が苛立ちを隠さず、口を挟んでくる。


「せっかくいい気分だったのにこれじゃ台無し。責任……とってくれるんでしょうね!」


 理恩は前足を持ちあげ、形状を変化させる。足の先が尖り、湾曲した刃となる。人間の胴体など触れるだけで切断しそうな、不格好に見えるほど巨大な刃を持った死神の鎌だ。

 理恩は一思いに鎌で薙ぎ払う。


「きゃあぁ!」


 こよりは反射的に身体を伏せて攻撃をよける。頭のすぐ上を漆黒の刃が通り過ぎた。


 ブチィッ!


 なにかを無理やり引きちぎったような耳障りな音が聞こえた。


「あ……?」


 理恩が意外そうな声を漏らす。


「取れちゃったじゃない」


 こよりが見あげると、女王の前足の一本の先がちぎれて無くなっていた。ドロドロと黒い液体を垂れ流している。

 力の加減ができていないのか、自分の身体が耐えられないほどの勢いで鎌を振ったのだ。


「あなたたちがちゃんとそこにいないから、無くなっちゃったじゃないの! あは、はは、アハハハハッ」


 理恩の狂気にまみれた哄笑こうしょうが響く。自分の身体が傷ついたというのに、全く意に介さないどころか楽しんでいた。


「理恩……」


 彼女の心はここまで壊されてしまったのか。


「ねぇお願い! 理恩を早く助けてあげて!」


 こよりは綴に懇願した。あんな姿をこれ以上見ていられない。

 だが、綴の答えは予想外のものだった。


「それは、無理だ」


「えっ……」

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