第23話

「うう、入れた、の?」


 こよりは朦朧とする意識を、左右に頭を動かして振り払う。


「あうっ」


 起きあがろうとした途端、こめかみのあたりに鈍い痛みが走った。


「一気に深いところまできたものですから、身体が慣れていないのでしょう」


 礼儀正しい声が聞こえる。声の方を向くと、雪色の羽根を持った小さな鳥がこちらを見あげていた。


「いや、現実は気楽でよいですが、退屈で仕方ありません」


 帯乃助は目の上に生えた角のような羽根をぴこぴこ動かした。

 こよりが辺りを見渡す。ここは本棚が重力を無視して浮遊している浮島のような地帯で、自分たちはそのうちの一つに乗っていた。綴は島のきわに立ち、様子をうかがっている。


「本が……」


 数えきれないほどの本棚があるにもかかわらず、残っている本はわずかしかない。それだけ、本の蟲の侵食が進んでいるのだ。よく見ると本を失い、破壊されてしまった本棚の破片が無数に漂っていた。


「ここまで進行していると、もう消滅してしまった本もあると考えた方がよいでしょう」


 帯乃助が声のトーンを落として告げる。


「そ、それって手遅れってこと?」


 こよりは胸に大きな衝撃を受けた。取り返しのつかないところまで本の消化が進んでしまっているのだろうか。


「一部の本はおそらく……しかし、先日も言ったように情報密度の高い本は消化されるまで時間を要します。理恩様が父君の手紙によって動揺したということは、まだそういった根本を司る本は残っている可能性が高いと言えるでしょう」


 完全に手遅れではないということだ。急げば間に合うかもしれない。


「動けないなら置いていくぞ」


 綴がこちらにやってきて言葉を投げつける。


「だ、大丈夫よ!」


 こよりは覚醒しきっていない身体を無理やり起こし、立ちあがった。


「下を見てみろ」


 綴がだしぬけに言う。こよりは多少よろけながらも、島のふちぎりぎりで下をのぞいた。


「あれって……」


 そう遠くない下方に、見覚えのあるドームが見えた。入ったときはわからなかったが、本棚が寄り集まるように回廊を形成しており、ドームを周りから支えていた。

 ドームの天井部分には女王によって破壊された穴が開いたままで、中の様子が確認できる。女王は再び外に出ていったらしく、姿は確認できない。

 しかし、目を引いたのはドームよりも周りの回廊の方だった。

 回廊はぐちゃぐちゃに荒らされ、破壊されており、とても本を収められる状態ではない。


「女王が、本をすべて食べ尽くす段階に入っているようです。図書館を崩壊させ、この世界を閉じることによって別の人間へ移動することができるようになるのです」


「そうやって、蟲は次々に人を食っていくんだ」


 綴が歯を噛みしめながら言う。彼は蟲に対し、たびたび憎しみを露わにすることがある。

 そうしているとどこからか、ぶうぅん、という音が聞こえていることに気づいた。


「なんの音……?」


 こよりが耳を澄ます。音は徐々に近づいてきているようだ。それはまるでジェット機やヘリコプターのエンジン音のように聞こえた。

 綴が空間のはるか先を見つめる。こよりも同じ方向を見やると、黒い点が移動しているように見えた。

 点は音と共に大きくなり、だんだんと形がわかるようになる。


「女王が……飛んでる!?」


 こよりは驚愕に目を見開いた。

 巨体を補って余りある二対の羽が生えているのだ。昆虫が持つような透明の羽を、目に見えない速度で動かし、直線的な軌道を描きながら飛行していた。

 それもさることながら、身体の大きさも二回りほど大きくなっている。黒い皮膚も堅牢な甲殻に覆われ、まるで一つの要塞が丸ごと移動しているようだ。


「本を食べて成長したらしいな」


 綴が女王を睨みつけながら言う。


「降りていくようです」


 女王はドームに下降を始めた。元々空いていた穴には巨体が収まりきらず、天井をさらに崩しながら降り立った。


「おそらく、あそこで図書館を崩壊させる準備に入るのです」


「っていうことは……」


「もう図書館内の本はほぼ食べ尽くし、心央へと戻ってきたということです。あとは本の消化を待つだけの段階です」


 もう本当に時間は残されていないようだ。こよりの胸にぬぐいきれない恐れが込みあげた。


「行くぞ」


 綴がドームを見据えて言った。すると帯乃助がしっかりと綴の服を嘴でつかんだ。


「え、どうやって――ひっ!?」


 こよりは思わず声を裏返った。突然綴が腰に手を回し、そのまま持ちあげたのだ。犬や猫のように小脇に抱えられる格好だ。


「決まっている」


「決まっ……えぇぇぇ!?」


 綴はそれだけ言うと、なんのためらいもなく身を躍らせた。浮島がみるみるうちに通り過ぎ、地面が近づいてくる。人間の本能的な恐怖に、こよりの息がとまる。帯乃助が服をつかんだのはこのためだったらしい。

 このままでは激突して一巻の終わりだ。


「――旋風ツムジ


 綴は器用に本を破り取ると、ページに形を与える文言を口にする。地面に直撃する寸前、激しい風が舞いあがった。

 風の奔流に支えられ、ふわりと着地する。

 浮遊感が収まった瞬間、こよりは体中にどっと汗が出るのを感じた。


「い、いきなり飛ばないでよ!」


 こよりは脇に抱えられたままなのも忘れて文句を言う。理恩を救う前に志半ばで倒れるところだ。


「行くぞと言った」


 綴はしれっとしている。それだけでわかるわけがなかった。


「もう……!」


 図書館の中に入った途端に無茶なことをしようとするのだから手に負えない。あと本棚は浮いているのだから身体には律儀に重力など働かなくていいのに、とこよりは心で不満を言った。

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