第22話

 理恩の部屋へ行くと、扉の脇にもたれていた瀬鳥が手を振ってきた。


「おかえりお二人さん。探し物は見つかった?」


 瀬鳥の問いかけに、こよりは無言でこくりとうなずいた。


「上原理恩の調子はどうだ?」


「まだすやすや眠ってるよ~。ちょっと効きすぎちゃったかな?」


 瀬鳥がぽりぽり頭を掻く。本当にどんな薬品を使ったのだろう。

 こよりは扉から理恩の様子をのぞいた。確かに理恩は身じろぎ一つせず、沈黙を保っているようだ。あまりに動かないため、その様子がまるで死を連想させて、胸に不安が込みあげてくる。

 実際、こうしている間にも蟲は理恩の本を食べているのだ。早くしないとすべてが手遅れになってしまう。


「まずは理恩ちゃんを起こさないとね」


 瀬鳥が腰に手をあてて言ってくる。

 当たり前だが、動揺を与えるためには理恩に封筒を認識させる必要があるのだ。だが、起こした時の理恩の反応は想像に難くない。


「とりあえず手足くらいは拘束しておくか」


 そう綴が提案する。理恩を縛りつけるような真似をしたくないが、そのままにしておくのは理恩自身にも危険が及ぶかもしれない。


「じゃ、さっそく」


 瀬鳥はするりとロープを取り出すと、手際よく理恩を縛っていく。一番得体がしれないのはこの人ではないかとこよりは複雑な心境で見守った。

 理恩の身体をそっとベッド下に座らせる。手足を固定されたまま体育座りをする格好だ。


「うまくいくかな……」


「錯乱する前に、封筒のことに気づかせるしかない」


 周りのことが見えなくなるほど興奮する前に封筒を認識させなければならない。

 失敗したら最後、理恩の図書館は閉ざされ、蟲に本を食い尽くされてしまうだろう。

 こよりは一度深呼吸して、確かめるように封筒を握った。


「理恩」


 気持ちを乗せるように名前を呼ぶ。しかし理恩は反応を見せない。もう一度声を大きくして呼びかけるが、ぴくりとも動かない。

 声で起こすことを諦め、肩をゆすることにする。慎重に理恩へ手を伸ばしたとき、突然ぱちりと目が開いた。


「まだいたの……?」


 こちらを目がこぼれんばかりに見開いて、凝視してくる。

 理恩は身体を起こして立ちあがろうとしたが、手足が動ないことに気づくとぶるぶると震えだした。


「いや……来ないで」


 怒りに身を任せていた先ほどとは一変し、幼い少女のように肩を震わせる。背中がベッドについていてもなお後退しようと足を動かしていた。


「理恩、あなたに見せたいものがあるの」


 こよりは理恩を怖がらせないよう、優しい声音で語りかけた。

 理恩はそれでも「来ないで」と口にし続けている。調子は変わっても、拒絶する意思は変わらない。


「おい」


 しびれを切らした綴が、こよりをせっつく。言われなくても、とこよりは封筒を見せようとした。


「いやあぁぁぁ! 来ないでよっ!」


 理恩は突然声を荒げた。あらんばかりの声で叫び散らす。身体を無理に跳ねさせ、こよりを突き飛ばした。


「あぐっ!」


 理恩に身体でぶつかってこられ、後ろに倒れてしまう。


「来ないで、来ないで、来ないでえぇぇぇぇぇ!」


 もはや声とも呼べないような金切り声で喚く。すでに喉がつぶれてかすれてきていた。この様子では封筒を見せるどころではない。


「チッ」


 綴が理恩を取り押さえにかかる。だが身体を密着させる間もなく簡単に跳ね飛ばされてしまった。図書館ではなんでもできるくせに、現実では本当に不甲斐ない。

 こよりは封筒を掲げるが、叫び続ける理恩は毛筋ほども気にとめない。どうすれば理恩に封筒を認識させることができるのか、見当もつかない。

 こよりの焦燥が頂点に達しようとしたときだった。瀬鳥がすっと動くと、理恩の前に立った。


「女の子は慎ましくしないと、ね」


 瀬鳥はお決まりの笑顔をはりつけ、懐から小さな瓶を取り出す。蓋を開けると素早く理恩の鼻先に近づけた。


「あ……」


 それまで声をあげていた理恩が嘘のように黙る。口を開いたまま動かなくなった。


「な、なんですかこれ?」


「ちょ~っとハーブの香りを楽しんでもらっただけ。鎮静効果のある植物って、たくさんあるんだよ?」


 にまーっと目を細め、小瓶をゆらゆらさせる。さっき理恩を眠らせたのもこれの効果なのだろうか。どうしてこんなものを持っているのか気になるが、やはり聞いてはいけない気がした。


「意識は残してあるから、今のうち今のうち」


「は、はい」


 今は理恩のことが先決だ。

 こよりはすっかり大人しくなった理恩の目の前に封筒を掲げる。気づきやすいよう、父親の筆跡がある裏側を見せた。


「…………」


 封筒を見せてもすぐに反応はない。これだけでは効果が薄い……? そう思ったときだった。


「…………あ」


 理恩の目がみるみる見開かれる。目の前のものが信じられないといった様子だ。


「え、これ、なに……」


「理恩のお父さんの手紙。書斎で見つけたの」


 理恩は封筒を呆けたように見つめると、しばらくしてそっと手を伸ばしてきた。だがその手は封筒に触れる寸前で停止した。


「あ、あ……おとう、さ……」


 そのまま横に倒れ、身をよじらせる。額に脂汗がにじんでいた。


「ああ、ああああっ!」


 今までと違う反応にこよりは慌てた。明らかに普通ではない苦しみようだ。


「ど、どうしちゃったの?」



「あれほど求めていた父の言葉が突然現れた。意識の中に幻想の父親と本物の父が二人同時に居合わせて、混乱をきたしているんだろう」


 綴が冷静に分析する。にやりと笑みをこぼした。


「つまり、入る隙間ができたということだ」


 試みは成功したのだ。綴は理恩に手をかざし、意識を集中し始めた。


「――転想」


 綴が言葉を発すると、理恩の頭の辺りに曖昧な模様が輝く。心の『表紙』だ。綴はその上に、右手で文字を走らせる。

 こよりは文字を見た瞬間、心が埋没するような感覚に陥った。理恩の心が、図書館が、自分を呼んでいる。

 綴が左手をゆっくりと返すと、表紙が徐々に開かれる。中から光があふれ、それに掻き消されるように音が無くなる。

 こよりたちは再び図書館へと入っていった。

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