第3話

 こよりは目の前の建物が、まるで絵本の中に出てくる魔女の住処のように見えた。

 このあたりでは珍しい古びた洋風建築で、壁は名前もわからない枝や蔓に覆われていた。

 手に持った小さなメモと、建物をなんども見比べ、場所が合っているかを確認する。大通りから路地を二本曲がった先。この場所で間違いない……はずだ。

 栞の書いてくれたメモには、かわいい文字と猫のイラストで「ココ!」と示されている。

 イラストに苦笑してから、門の横に掲げてあるプレートを眺めた。

 薄汚れてはいるが、『折本事務所おりもとじむしょ』と書かれている。


「折本ってことは、栞さんの親せき?」


 栞の苗字も折本だ。普通に考えれば栞の親類が営んでいる場所なのだろう。でなければ今にも扉からしわがれた老婆が出てきそうな怪しい場所を紹介するはずがない。ただ、このメモを渡してもらったとき、「驚かないでね」と言われたのが気がかりだった。

 門の周りを見渡すが、呼び鈴などといったハイテクな設備はこの場所に存在していないらしい。こよりは意を決して門をくぐり抜けた。

 扉までたどり着くと、古めかしいドアノッカーが取りつけられているのが見える。ブザーらしきものは見当たらないため、仕方なくコンコンと鳴らした。

 しばらくしても返事がない。聞こえなかった可能性を考え、もう一度鳴らしてみる。


 コンコン、コンコン、コンコン! ガンガン!


「あれぇ?」


 しまいにはノッカーを壊さんばかりの勢いで叩いてみるが、中からの反応はなかった。

 どうしたものかと辺りを見渡していると、「ホーウ」という声が聞こえてきた。


「フクロウ?」

 声のした方を見ると、先ほどこよりがくぐった門の上に、一羽の小さなフクロウがとまっていた。雪のように白い毛で覆われており、触ったらさぞモフモフとしていることだろう。頭の両端から耳のような毛がぴょこんと飛び出ているのがかわいらしい。動物好きなこよりが、昔見た図鑑から察するにおそらくコノハズクの仲間だろう。

 コノハズクはもう一度「ホーウ」と鳴くと、どこかへ飛び去ってしまった。

 今は動物に気を取られている場合ではないが、相変わらず建物の中からの反応はない。こよりはしびれを切らし、凝った意匠のドアノブへと手を伸ばす。ガチャリと扉は抵抗もなく開いた。


「いい……よね?」


 普段なら遠慮するべきところなのだろうが、今は事態が事態だ。栞が紹介してくれたという事実を頼りに、中へと歩を進めた。

 建物の中は昼過ぎだというのに薄暗い。天井近くに空いた窓から頼りなく差し込む光で埃がちらちらと反射していた。廊下にはあちこち天井近くまで本が積んであり、入った瞬間古い本屋のようなにおいがした。

 こよりは本の塔を崩さないよう慎重に廊下を進む。少しの振動でもぐらぐらと揺れ、今にも倒れてしまいそうだ。

 神経をすり減らし、ようやく奥の扉へとたどり着く。廊下の途中にも部屋があったが、本で塞がれてしまっていて出入りすることはできそうもない。唯一出入りできそうな扉の前まで来たが、ふと足元を見ると扉の前に埃が積もっていて、しばらく人が移動していないことを感じさせた。

 こよりはひどい不安感に襲われる。だが理恩のために、栞の言葉を信じて進むだけだ。入口と違い、レバー式になっている扉に手をかけた。


「……?」


 レバーをさげようと思っても、思うように動かない。ガチャガチャと動かし、最後に体重を乗せて力任せに押しさげた。


「きゃあぁぁぁぁああ!?」


 扉が勢いよく開いた途端、ドサドサドサッ! と流れに巻き込まれる。堅いものがあちこち当たり、身体中に痛みが走った。


「いったぁ……」


 ようやく流れがおさまり、こよりはつぶされかけたアリのようによろよろと這い出た。


「……本?」


 自分に襲いかかってきたのは、大量の本だった。辺りはおびただしい数の本で埋め尽くされている。分厚い百科事典のような本や、文庫、漫画本まであらゆる本が散乱し、重なっていて、まるで紙の海のようだ。

 こよりが立ちあがろうとしたとき、本の山の中でなにかがうごめき、突然右足をつかまれた。


「ひゃあっ!?」


 足をすくわれ、お尻を本の角にしたたかぶつけてしまう。痛みで涙目になりながら、軽くパニックに陥ってしまった。

 こよりの右足は何者かの腕につかまれていた。万力のような力で締めつけられて振りほどくことができない。


「いやぁっ!」


 こよりは暴れて逃れようとするが、どうしても手が離れない。そうしているうちに本の山がさらに崩れ、隙間から人の頭がのぞいた。

 腕があるのだからその奥に人の体があるのは当たり前なのだが、こよりはまるで腕の怪物に襲われたような気でいたのだ。その全貌が見えてきたことで、ようやく冷静な判断ができるようなってきた。


「もしかして、埋もれて?」


 本の中から出てきたということは、廊下と同じかそれ以上に本で埋め尽くされた

部屋の中にいたということだ。経緯はわからないが、自分と同じように本に埋まってしまったのだろう。

 そうとわかればこの人物を助け出さなければ。

 こよりは足をつかんでいる手を、苦労して指一本ずつ外していった。それから体勢を立て直して両手で腕を持ち、よいしょぉっ! と力いっぱい引き抜いた。

 スポンッ! と小気味よい音がしそうな具合に山の中から人間が出てきた。


「あうう」


 反動でもう一度尻餅をついてしまったこよりは、さすさすと、痛むお尻をなでる。出てきた人物は、引き抜かれたままうつ伏せに倒れていた。

 針のような黒髪を無造作に伸ばしている。青っぽい、厚めの生地の襟付きシャツを着た少年だ。彼を見たこよりはなにやら既視感を覚えた。


「この人、どこかで――」


 こよりが頭の片隅にある記憶を引き出そうとしたとき、がばっと少年が起きあがった。自分の両脇に視線を走らせると、一冊の本を乱暴につかみ取り、そのまま読みだした。

 こよりは茫然とその様子を眺めた。いろいろなことが起こりすぎて理解が追いついていない。

 少年はこよりがいることなどお構いなしと、凄まじい速さでページを繰る。その目は尋常でない動きで文字を追っていた。


「あ、あの!」


 こよりはハッとして、少年に声をかけた。危うく自分の目的を忘れかけるところだった。

 呼びかけても少年は返事をせず、本を読みふけっている。なんど呼びかけても眉ひとつ動かさない。どれだけ集中して本を読んでいるのだろう。


「ちょっと、返事くらいしてよ!」


 その態度が頭にきたこよりは、少年の本に手をかけた。本を取りあげてしまえばこちらに反応せざるを得まい。膝立ちになり、本の上端をがしりとつかんで勢いよく引っ張った。

 なんとか取りあげることに成功し、こよりはどうだと言わんばかりに勝利の笑みを浮かべた。


「…………」


 本を取りあげても少年は一言も発しない。こよりの方ではなく、本だけを見つめ続けている。


「「…………」」


 両者とも黙ったまま時間だけが過ぎる。すると少年がおもむろに手を伸ばしてきた。


「わわっ」


 こよりは突然動き出した少年に、慌てて本を遠ざけた。せっかく取りあげた本を返してなるものか。少年はこよりの遠ざけた方向に手を伸ばし、なおも取り戻そうとしてくる。

 こよりは少年から必死に本を離す。まるで猫をじゃらすような光景だ。

 そんなやり取りをいくらか続けた後、少年は初めてこよりを見て、鋭い目で睨みつけてきた。

 こよりはその目を見てようやく思い出した。先週学校で遭遇した謎の少年だ。栞の紹介してくれた場所に、どうしてその少年が……?


「返せ」


 少年は短く一言。低めだが、少年らしい響きを持った声だった。やはり学校で会った彼と同一人物らしい。


「本を返せ、そして去れ」


「なっ!?」


 少年は本の返却と退去を同時に言い渡してきた。にべもない態度にこよりは唖然となる。


「い、や、よ! あたしはここに用があってきたんだから!」


 こよりは少年の態度に負けじと腹に力を込めて言い返す。


「そんなの知るか」


 少年は意に介さず、なおも本に手を伸ばしてくる。こよりはいい加減このやり取りにうんざりし、持っていた鞄の中に本をしまった。それを見た少年がさらに視線を尖らせてくる。


「あたしはここにいる人に会いにきたの!」


「ここにいる人……?」


 こよりの言葉に、少年が眉間にしわを寄せる。


「誰のことだ?」


「誰って、それは――」


 そういえば名前を聞いていないことに気づいた。栞には、この場所にいる人に会え、としか言われていないのだ。


「ここには俺しかいない」


「は?」


 少年の言葉にこよりの目が点になる。こいつは今なんと言った?


「ここには、俺しかいない。他の誰もな」


 この少年しかいない? ということは、栞の言っていた人物はこいつのことなのだろうか。


「ふん、これでお前の言う目的は達成したろう。さっさと本を返して去れ」


「そんなわけないで――」


 再度少年が伸ばした手をよけようと身をよじらせた瞬間、こよりは浮遊感を感じた。足を置いたところに、運悪く本が重なっていたのだ。


「ひゃうん!?」


「ぐふっ!?」


 見事にバランスをくずして前のめりに倒れてしまう。前にいた少年ごと本の海にダイブした。

 ドデンと鈍い音がして、廊下や本に積もっていた埃が宙を舞った。


「もう、なんなの……」


 先ほどから踏んだり蹴ったりだ。きっと体中に痣ができまくっているに違いない。


「おい、退け……」


 こよりの下から苦しそうな声がする。


「あ、ごめ――」


 少年もろとも突っ込んで下敷きにしてしまっていることに気づき、急いで手をついて起き上ろうとした。


 ――ガチャリ。


 廊下の奥のこよりの入ってきた方から、とたとたとこちらに近づく足音がした。


「おーい綴くん。相変わらず本と同化し、て……」


 こよりは恐る恐る後ろを見た。そこには目を丸くして自分たちを見おろす青年の姿。

 彼は明らかに奇異なものを見る目でこっちを見ている。こよりは自分の置かれた状況を確認した。

 本で囲まれた廊下で、二人の男女(歳近い)が上下に重なって寝ている。

 こよりは全身から血の気が引くのを感じた。この状況を客観的に見た者は、大抵の場合どう思うか。


「んー、ごめん。お邪魔だった?」


「ち が い ま す っ !」


 こよりは喉が張り裂けんばかりに全身全霊で否定した。


 

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