第2話

 週明けの月曜日。こよりが理恩を送り届けてから二日が経っていた。

 こよりは校門をくぐり、自分のクラスへ向かった。こよりの自宅は高校のすぐ近くにあるため、徒歩通学である。自宅が近い、というよりは進学に有利で通学も便利な地元の高校を選んだというのが正しい。こよりと同じような進路を選ぶ生徒が多く、理恩もその一人だ。


 廊下で友人たちと挨拶をかわし、教室へ入る。こよりは真っ先に窓際の席へと視線を向けると、そこにいた人物を見るなり安堵の息をついた。

 理恩がちゃんと自分の席に座っている。休みの間は連絡を取っていなかったので、こよりは彼女がきちんと登校してきているかが気がかりで仕方なかったのだ。窓のほうを見ている理恩に早速話しかけた。


「おはよ、理恩」


 こよりが呼びかけると、少々間をおいてこちらへ顔を向けてくる。


「……理恩?」


 理恩はこよりを見つめたままとまっている。こよりが心配しかけたところで、ようやく口を開いた。


「あ、こより。……こより、おはよう」


 こよりの名前を二度言ってから、理恩は挨拶を返した。


「理恩、まだ調子悪い?」


 ボーっとして、顔色は悪くないがとても調子が戻ったようには見えない。


「別に調子なんか悪くない、けど」


 理恩は眉をひそめて言う。こよりはその様子に違和感を覚えた。


「そ、そう? 大丈夫ならいいけど……無理はしないでね」


 理恩は「無理って?」と首を傾げる。本当になんのことだかわかっていないのだろうか。


「えっと、お父さんのこととか、さ。あたしが力になれるかはわか――」


「お父さんがどうしたっていうの!?」


 理恩は表情を一変させ、声を荒げた。ざわざわと騒がしかった教室内が水を打ったように静まり返る。こよりも予想外の出来事に、ぽかんとしてしまった。


「わたしがお父さんのなにを無理してるっていうのよ!」


「ど、どうしたの、理恩。なに言って……」


 我に返ったこよりは、戸惑いつつも言葉を返す。父親を話題に出したことが理恩の逆鱗に触れてしまったのだろうか。


「ごめん、事故からちょっとしか経ってないのに、話すのつらい、よね……」


 彼女のこんな様子は今まで見たことがない。これほどまでため込んでしまっていたのか。


「事故? なにそれ? なに言ってるのか全然わかんない!」


「なにそれって……事故って言ったら、一つしか、ないでしょ。お父さんが、亡くなった」


 こよりはおそるおそる慎重に言う。言葉の一つ一つが理恩を逆なでしそうで、話すことが怖かった。


「亡くなった? お父さんが? いつ、どこで? どうして!?」


 理恩は鬼の形相でこちらに迫る。親友に対し、こんな恐怖を抱いたことは一度たりとてない。目の前にいる少女は、本当に理恩なのかという疑問さえ浮かぶ。


「お父さんはいなくなってなんかない! わたしのそばにずっと居る(・・)んだか――」


 理恩は叫ぶと、ぷつりと糸が切れたようにうなだれてしまった。


「……り、おん?」


 こよりが顔をのぞき込むと、彼女は気を失っていた。

 ガラッ! と教室の扉が開き、生徒たちは一斉にそちらを振り向いた。


「な、なに……かな?」


 見ると、担任の袖口が中に入ってきたところだった。教室のただならぬ空気に、壁にはりついておびえている。


「んだよ、驚かせんなよ!」

「もっと静かに入ってきてよ!」

「空気読め!」


「は、はあぁぁぁぁっ?」


 クラスメイトたちはせきをきったように罵倒を浴びせ、担任を涙目にさせることによって事態は収束した。


 こよりは理恩を保健室へ送り届け、その後は普通に授業を受けた。クラスメイトたちは誰も朝の一件に触れようとはせず、表面上は普段通りの日常を過ごした。今日は職員会議があるため、午前で授業は終わりだ。結局理恩はそれまで目を覚ますことはなく、授業が終わる前に母親が迎えに来たと袖口に聞かされた。

 放課後、こよりはすぐに理恩の家に行こうか迷った。行ったところでどうにもならないかもしれない。だが、親友の異変をこのまま黙って見過ごすことなんてできない。

 迷った挙句、こよりは平志図書館へ向かうことにした。こんなこと、栞くらいにしか話せないと思ったのと、困ったことがあったら相談して、という言葉がずっと耳に残っていたのだ。

 こよりは図書館のガラス扉を押し開けると、栞の姿を探した。栞は奥の本棚で蔵書整理を行っていた。


「栞さん!」


 こよりが呼びかけると、栞は振り向いて微笑みかけてきた。しかし、こよりの様子を見てすぐに事の重さを察したようだ。


「理恩ちゃんに、なにかあったの?」


「栞さん、あたしどうしていいかわからなくて……」


「落ち着いてこよりちゃん、向こうで詳しいお話、聞かせて?」


 栞に促され、こよりは司書室で腰を落ち着けた。

 栞にお茶を入れてもらい、ふう、と深呼吸をする。


「そのハーブティー、とってもいい香りがするでしょ? 落ち着いて集中したいときにはそれがいちばんなのよね」


 お茶の香りをかいでいると、理恩のことでぐちゃぐちゃになっていた頭が、すっとリラックスしていく。深呼吸した後、今朝あったことを話した。


「そんなことが……」


「あたし、理恩のあんな顔も、声も知りません。もしかしたらよく似た別人だったんじゃないかって、今でも信じられないんです」


 もちろん、そう思いたいだけのこよりの願望だ。あれは別人などではなく、理恩本人だったとわかっている。


「…………」


 栞は話を聞くと、口元に手をあてて考え事をしだした。しばらくして、形のいい唇が開かれた。


「それはこよりちゃんだけじゃ、どうしようもないかもしれないわ……」


 栞は深刻さを帯びた声で告げた。


「そう、ですよね」


 うすうす気づいていたことだった。絶大な信頼を置いている栞に告げられたことで、自分の無力さを実感してしまう。


「あ、ごめんなさい! そういうことじゃなくって、ええっと」


 栞が慌てて前の言葉を訂正しようとした。普段落ち着き払っている彼女が慌てるのは珍しい。こんな時だというのに、こよりは栞の様子が笑えてきてしまった。


「あのね、私が言いたかったのは、こよりちゃんがなにもできないダメダメな子ってことじゃなくて……あれ?」


 さすがにそこまで言われたとは思っていなかったのだが。栞はときどき表現が過剰な時がある。


「栞さん、落ち着いて」


 今度はこよりが落ち着かせる立場になっていた。栞は気持ちを切り替えるために、自ら淹れたハーブティーを一口含む。


「ふう……あのね、こよりちゃんに紹介したい人がいるの」


「へ?」


 こよりはいきなりお見合い相手を紹介されるかのようなノリで言われ、間抜けな声をあげてしまった。


「きっと、こよりちゃんの力になってくれるわ」


 栞はすっかり調子を取り戻して、いつもの微笑みを浮かべた。


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