第4話

「ええっと、こよりちゃんはここに用があって来ただけで、この男とは初対面と」


 ぶんぶん、とこよりは半泣きになりながらなんどもうなずいた。


「うん、うん、わかったから、落ち着いて、ね」


 先ほど玄関から現れた青年は、こよりをあやすように頭をなでる。


「ま、つづるくんに女の子とどうこうなるような甲斐性なんてないよね」


 綴と呼ばれた少年は腕を組んでそっぽを向きながら、フン、と鼻を鳴らした。


「こよりちゃんはどうしてこんな埃と本と中毒患者しかいないような場所に来たのかな?」


 青年はこよりに尋ねてくる。中毒患者とは、そこでふて腐れている奴のことだろうか。


「あ、それは――ってあの、すいません、あたし状況が全然わからなくて」


「んー? あ、こっちが名乗ってなかったっけ。オレは瀬鳥灰人せとりはいと。んで、このしかめっ面が折本おりもとつづるくん。オレはこの事務所に仕事を斡旋あっせんしてて、綴くんはその仕事をこなす役割。あと情報屋の真似事もやってるけどね」


 瀬鳥と名乗った青年はそう説明してくる。灰色がかった短髪と、糸のような細目が特徴の青年だ。口調と相まって飄々とした印象を受ける。


「仕事……ですか」


 こよりは相変わらずそっぽを向いている綴をちらりと見た。自分と同い年に見える彼がどんな仕事をしているのかピンとこない。


「そ、オレと綴くんは持ちつ持たれつ、切っても切れない絆で結ばれて」


「黙れ」


 ぴしゃりと綴が言い放つ。適当な軽口だったらしく、瀬鳥は「つれないなぁ」と肩をすくめている。そのやり取りだけで、なんとなく二人の関係を把握できた。


「それにしても」


 瀬鳥は足元に散乱する本を眺めまわした。


「今日は溜めたねぇ、三日くらい?」


 綴は一瞬考えた後、こくりとうなずく。いったいなんのことだろう?


「綴くん、三日三晩寝ないで本読んでたみたい」


「三日三晩!?」


 こよりは驚愕で思わず声をあげてしまった。


「こいつさぁ、読んだ本を適当に脇に置く癖があって、しかも読むスピードが人間の速さじゃないからすぐに本で埋まっちゃうんだよね」


 この本の海はそうやってできたものだったのか。読んだ本で自分が埋もれてしまうなんて聞いたことがない。何冊の本を読めばそんな状態になるのか。


「まぁ今日のはまだ少ない方じゃない? 昔一週間近くやってぶっ倒れたことあったよね」


「覚えていないな」


「飲まず食わずで読んでたら記憶も飛ぶでしょ」


 こよりは二人の会話についていけなかった。とりあえずこの綴という少年はマトモではないということだけはわかった。


「自己紹介も済んだし、こよりちゃん、もっかい聞いていいかな?」


「あ、はい。あたしは折本栞さんの紹介で、友達の、上原理恩を助けたくてここに来たんです」


「栞が?」


 今までまともに取り合ったことのなかった綴が、ここで初めて明確な反応を見せた。


「栞さんが、ここに来ればきっと力になってもらえるって……」


 こよりは自分で言っていて不安に襲われた。この二人、特に綴は本当に力になどなるのかはなはだ疑問だ。当の彼は小声で「余計なことを……」と文句を言っている。


「なるほど、栞ちゃんに紹介されたんだ。そうでもしないとこんな場所に女の子が寄りつくなんてこと、あるはずないもんね」


 綴がギロリと瀬鳥を睨みつけた。だが、彼はどこ吹く風と受け流している。

 瀬鳥は栞を「ちゃん」づけで呼んだが、栞よりも歳上なのだろうか。なんとなく年齢不詳な雰囲気を漂わせているため、本当の歳がつかめない。


「栞さん、どうしてこんな奴を紹介したんだろ……」


「綴くんは、栞ちゃんの弟だからねぇ」


「えっ!?」


 こよりの声が裏返った。確かに苗字が同じなのだからそれでもおかしくはないが……あまりに違いすぎて想像すらしなかった。


「まぁちょっと、信じがたい事実だよね」


 瀬鳥がうんうん、と腕を組んでうなずく。綴は眉間にしわを寄せて、フンと鼻を鳴らしていた。


「ま、それは置いといて、こよりちゃんのお友達のこと、聞かせてもらってもいい?」


 まだ栞と綴の関係が繋がらない気がしてしょうがないこよりだったが、気を取り直し、理恩の父が亡くなったことと、この前学校であった出来事を二人に話した。


「ふーん、突然友達がおかしくなっちゃった、ねぇ」


 瀬鳥は口元に手をあててなにやら考えている様子だ。


「綴センセイ、どう思われます?」


 瀬鳥が綴に話を振る。綴は面倒くさそうに目を閉じた。


「父親がいなくなったショックで錯乱しているだけだろう」


「なっ」


 なんなのだその言い方は。あまりの物言いに、こよりの頭に血がのぼってくる。


「俺には関係ないな」


 綴は足元に落ちていた本を拾って読みだしてしまった。

 その態度に、こよりの堪忍袋の緒が切れた。


「なんなのあんたはっ! 栞さんの手前我慢してたけど、あんたなんかに頼るくらいだったら自分でなんとかする方がマシよ!」


 こよりはそれまで言いたかったことをまくし立てた。こんな傲岸不遜で憎たらしいやつに理恩のことを頼もうとしていたのか。そんな自分にも腹が立ってきた。


「お前の頼みなんて聞いていられるか。さっさと帰れ」


「言われなくても!」


 こよりは乱暴に鞄を持つと、本を掻き分けて外に出ていこうとする。


「待った待った、こよりちゃん。もう少し話を聞いて行かない?」


「もう用なんてないですから!」


 こよりは完全に血がのぼってけんもほろろだ。


「オレが持ってきた仕事が、その理恩ちゃんのことだって聞いても?」


「えっ?」


 こよりはドアにかけようとしていた手を、ぴたりととめた。


「さっき言ったよね。オレは綴くんに仕事を持ってくるのが仕事。上原理恩、十六歳、女。平志高校2年生。成績は中の上といったところ。自他ともに認める親友、和装こよりとよく行動を共にしている。好きなものは高校の近くにあるケーキ屋のチーズタルト」


 瀬鳥は理恩に関する情報をすらすらと読みあげる。


「そして最近、父親を交通事故で亡くし、深く落ち込んでいた」


「そ、それって……」


 どうして理恩のことをそこまで詳細に述べることができるのか。


「情報屋の真似事もしてるって言ったでしょ?」


 瀬鳥は細い目をさらに細くしてにやりと笑う。こよりはその笑顔を見て、やはりこの青年もマトモな人間ではないと直感した。


「そういうことだから、実はこよりちゃんが相談しに来なくてもオレが綴くんに仕事をふるところだったんだよね」


 瀬鳥の後ろで、綴は盛大な舌打ちをしていた。


「とりあえず綴くんの仕事、見てみない?」


 こよりはそう言われて悩んだ。今もなお、平気な顔をして本を読み耽っているような傍若無人ネクラに、理恩のことを任せてよいものだろうか。


「こよりちゃん、今けっこうヒドいこと考えたでしょ……」


 よく考えれば、紹介してくれたのはあの栞なのだ。性格は最悪でも仕事とやらはきちんとこなすのかもしれない。なにかおかしなことをしようものなら、自分が全力で阻止すればいい。


「わかりました。とりあえず、とりあえずですけど、お願いしようと思います」


 考えた末、綴に理恩を任せることにする。


「よーし、それなら早速お仕事お仕事」


「おい、俺はまだ仕事を受けるとは……」


 今まで黙っていた綴が口を出してくる。その顔は心底面倒くさそうだ。


「いいの? この理恩ちゃんに、可能性が高いって結果が出てるけど」


 綴はその言葉を聞いた瞬間、瀬鳥の顔を見た。明らかに今までと違う反応にこよりは驚いた。


「……準備する」


 一転、肯定的な返事をする。綴はそのまま部屋の中へと引っ込んでいった。


「あの、入ってるって……?」


 わけがわからず、瀬鳥に質問する。


「んー、綴くんはね、探し物をしてるんだよ」


「はぁ……」


 瀬鳥の要領を得ない答えに、ますます疑問が募る。結局それ以上答えてはくれなかった。

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