第10話
見れば見るほど不思議な世界だった。
本当にここには本しか存在していない。今歩いている地面は本棚の一部で、それがどこまでも続いて、先はかすれて見えなくなっている。ちょっと見あげると、背表紙が完全に下を向いているのに落ちてこない本棚や、空中を浮遊している本棚さえある。そんな光景が当たり前のように存在していた。
「夢みたい……」
こよりはため息とともに声を漏らした。
「ホーウ。ある意味、夢に近いものかもしれません」
帯乃助が話しかけてくる。
「この図書館は理恩様の心や想いを本として具現化した世界。夢というのも、記憶を結び合わせて再生されるものですからな」
そう言われてもピンと来ない。現実味がなさ過ぎて実感がわかないのだ。
「綴様の、司書の力によって心想をわかりやすい形に見えるようにしているのです」
帯乃助は自分のことのように、小さな胸を張って自慢げにしている。
「ししょ?」
それを聞いて、真っ先に思い浮かぶのは栞の顔だ。二人とも本に囲まれて生活しているが、していることは全く違う。
首を傾げていたこよりは、すぐ近くに小さな本棚があるのを見つけた。本を見てみればなにかがわかるかもしれないと思い、一冊の本を手に取った。
「あ、こより様」
帯乃助がとめる間もなく、こよりは本を開いた。
「わわっ?」
本の中身が光り出し、頭になにかが流れ込んでくるような感覚がする。こよりの網膜に、ある映像が再生された。
そこは見慣れた景色だった。最寄り駅の近くにある雑貨店。おしゃれなアジア雑貨や、見た目の面白い小物など、色とりどりの商品が取り揃えられているお気に入りの店だ。そこで二人の少女がぬいぐるみを見て楽しんでいた。
「あたしと理恩?」
映像のこよりは、怪しげな動物のついたストラップを手に取った。それは今こよりが鞄に着けているストラップだ。
これはもしかして過去の映像なのだろうか。
「のぞきの趣味でもあるのか?」
ぷつんと映像が途切れる。見ると綴がこよりから本をひったくっていた。
「今のって」
「理恩様の記憶です。これは最近見知ったものを記録している本のようですな」
記録されているというのは、こういうことを言うのか。
「しかし、いくら親友のこより様と言えど、勝手に記憶を見てしまうのは感心しません」
帯乃助がこよりの行動を咎める。言われたことが本当なら、本を開くだけで理恩の記憶をのぞき見できてしまうということだ。たまたま自分と共有した記憶だったが、本人も見られたくない記憶を勝手に見てしまうことだってあり得る。
「ここにある本は上原理恩の、文字通りすべてだ。軽率に触っていいものじゃない」
「う、うん」
綴に言われ今回ばかりは自分の行動を反省した。他人に記憶を見られるというのは誰だっていい気分にはならない。
「本になにかあってみろ。その本に記録されているものは、永久に失われることになるかもしれない」
本を扱うということはそれだけ重大なことなのだと実感が湧いてくる。
綴はそれだけ言うと、持っていた本を棚に戻し、先に行ってしまう。
「いつもはいい加減な感じなのに、こういうところはきちんとしてるんだ」
「ええ、綴様は本のことしか考えていない脳筋ならぬ脳本ですが、司書としては立派な考えをお持ちなのです」
それは褒めているのかけなしているのか。すでに帯乃助としゃべることに慣れている自分が驚きだ。
「理恩がおかしくなっちゃったのは、本になにかあったからっていうこと?」
「左様です。綴様は異常のある本を探し、正常に戻そうとしているのです」
「それが、司書?」
「司書は自分の心想の一部を他者の図書館内に『転想』することのできる能力を持った者のことです」
こよりはようやく理解が追いついてきた。つまりは本の異常さえどうにかすれば、理恩を元に戻すことができるということだ。
綴を紹介してくれた栞は彼の能力のことを知っていたのだろう。だからこよりをあそこへ案内したのだ。
目指すものがはっきりとし、気持ちを引き締める。絶対に理恩を元に戻すと決意を新たに歩き出そうとした。
「とまれ」
「わっ!?」
遠くまで行ったかと思いきや、綴はすぐそこに突っ立っていた。
「な、なによ」
こよりは威勢をものの数秒でくじかれ、口を尖らす。
綴は黙ったまま動かない。こよりが怪訝に思ったとき、地面が揺れていることに気づいた。
揺れはまたたく間に大きくなり、地面からものすごい勢いで壁がせり出した。
道を阻むように、巨大な本棚が地面から生えてきたのだ。収められた本も一冊一冊が大きく、まるで巨人の読み物のようだった。これでは先に進むことができない。
「どうするのこれ!」
「のぼる」
「え」
綴は腰に手をやり、鉤付ロープを取り出した。先をひゅんひゅんと振り回すと、上に向かって勢いよく投げた。先端が本棚の『棚』の部分に引っかかる。くいくいとしっかり固定されたかどうかを確認すると、迷いなくのぼりだした。
「ちょ、ええっ?」
もしかしてこれを自力でのぼらないといけないのだろうか。
「こより様、ふぁいとです」
帯乃助は肩から飛び立つと翼を羽ばたかせ、すいーっと上に行ってしまう。
「おい、早くしろ!」
もうのぼり切ったのか、はるか上方から綴が急かしてくる。
「もおっ!」
こよりはやけくそ気味にロープを握りしめた。これもすべて理恩のためだ。
遠足の登山くらいしか経験のないこよりは、ロッククライミング、もといブッククライミングなどしたことがあるわけもない。慎重に足を棚や窪みにひっかけ、がむしゃらにのぼるしかなかった。
綴はこういった地形を想定し、ロープやブーツを身に着けていのだと気づく。それならそうと説明してほしいところだ。
こよりは本棚をせっせと移動する。意外にのぼれていることに自分でも驚きだった。
だがそれが多少の油断を許した。こよりが次に足をかけようとしたとき、もう一度揺れが起こった。足をひっかけ損ね、バランスを崩してしまった。
「きゃあっ!?」
ロープに腕だけで必死にしがみつく。現実の世界ではないのに、手と腕にかかる負荷や感触はなにひとつ変わらないようだ。ぐらぐらと揺さぶられ、今にも手が離れてしまいそうになる。もう少しで綴のいる場所に着くというのに、その距離が果てしなく遠い。
「も……ダメ……」
手がこすれて、引きちぎられるような痛みが走る。限界に達したとき、視界の隅でなにかが光った。途端に身体全体に浮遊感を覚える。
「ひゃあぁ!?」
下から強風が巻き起こり、身体を押しあげた。その勢いで綴のいる棚へと到達する。
「手間をかけさせるんじゃない」
綴はこよりの身体を受けとめた。
「あ、ありがとう」
「頂上は先だ。次は自分の力でのぼれ」
綴はもう一度ロープを放り投げると、さっさと行ってしまう。さっきはパニックになっていてよくわからなかったが、今の風は偶然ではなかったのだろうか。
「綴様は素直ではありませんからな。先ほどからこより様が心配で心配で片時も目を離さずにいましたよ」
どこからともなく飛んできた帯乃助が意地の悪い笑みを浮かべる。
「こより様が落ちてしまったとき間髪入れずに助けられたのもそのた――あふんっ!?」
上から物が降ってきて帯乃助にクリーンヒットした。理恩の部屋の鍵を壊した小型のハンマーだった。
「つべこべ言ってるヒマがあったら早く来い」
「あはは……」
帯乃助は落ちていってしまったが、まあ飛べるし大丈夫だろうとこよりはのぼることに集中した。
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