第7話
突然の音に、彼の肩の上にいた帯乃助が興奮して羽根をバタバタさせた。
「あ、あんた! いきなり人の家の物を壊すなんて!」
茫然と見ていたこよりが我に返る。綴はこよりを無視し、扉を乱暴に開けて部屋の中に押し入った。
「はは、綴くん目標を決めるとまっしぐらだから」
さしもの瀬鳥も苦笑気味だ。
まだ呆けている理湖が心配だったが、それよりも綴がなにをしでかすかの方が心配だ。こよりはごめんなさい、と早口に言ってから後を追った。
部屋の中を急いで確認すると、理恩は部屋の隅で毛布をかぶって膝を抱えていた。こんな荒々しい出来事が起こったというのにぴくりとも反応しない。
「もう少し考えて行動してよ!」
「…………」
じっと理恩を見おろしていた綴を責める。あれだけ本を読んでいるくせに常識のかけらもないのが不思議でしょうがない。
「今は沈静化しているか……」
毛布の隙間から見える理恩の顔は見るからにやつれ、どす黒い隈ができている。ふわふわとした特徴的な栗毛も、頭を掻きむしったのかぼさぼさで傷んでいた。今朝会った時とはまるで違う。この短時間にここまで変化するなど、明らかに尋常ではない。
部屋の中も小物類が散乱していたり、こちらの壁にも無数の切り傷があったりと、整頓の行き届いていたかつての面影はない。
「こいつはひどいねぇ……。綴くん、さっさと済ませた方がいいんじゃない?」
瀬鳥も入ってきて、部屋の中を見渡した。
綴はうなずくと、理恩の前に立ち、手のひらを彼女の頭の上へかざした。
頭に手が触れるか触れないかというとき、理恩がぴくっと反応を示した。
「なに……あなた」
理恩は限界まで大きく目を開き、綴を見据えた。目は充血して真っ赤になっている。綴は舌打ちをしながら後ろにさがった。
理恩が毛布を跳ね除けて勢いよく立ちあがる。
「お父さんと私を……邪魔しに来たの!?」
「理恩、違うの。あたしたちはあなたを――」
「うるさい邪魔するな! 出てけ!」
こよりの言葉を遮って喚きだす。
「お父さんと話してたのに! どうして邪魔するの!」
「理恩、お父さんは」
「ああああああぁぁぁああああ!」
もはや言葉を成さない声で拒絶を表した。理恩は近くにあった物を手当たり次第に投げ飛ばした。
「出てけ、出てけ、出てけ、出てけ、出てけ出てけ出てけ出てけ出てけ出てけっ!」
「きゃっ、やめて理恩!」
こよりの顔のすぐ横にハサミが投げつけられる。このままではこちらの身も危ない。
「早く出てって! でてってよぉぉぉぉぉおおおお!」
理恩の金切り声は、もはや騒音と化していた。投げる物が無くなると、壁や床を殴ったり蹴ったり滅茶苦茶に暴れだす。痛みなど気にしていないのか、彼女の手足には血がにじんでいた。
「面倒をかけるな」
綴は隙を見て理恩の背後に素早く回った。脇から腕を回してがっちりと固める。
「放して、放してったら! 放してよおぉぉぉぉおお!」
理恩はそれでも無理やりに暴れだした。綴は思うように動きを抑えられず、今にも振りほどかれてしまいそうだ。
「このままじゃ……」
理恩を放っておいたら全員が危ないかもしれない。そう判断したこよりは最終手段に出ることにした。使えるものはないかと辺りを見回し、ある物の存在に思い当たった。
入口のすぐ近くにあった自分の鞄の中を探り、目的の物を取り出す。
「あっ、こよりちゃん、それ……」
持ち出した物を見て瀬鳥がぎょっとするが、こよりに気にしている余裕はない。
こよりが理恩に振り向いた瞬間、綴の腕が振りほどかれてしまった。そのままの勢いで理恩がこよりに襲いかかる。
こよりは理恩を見据え、腕を振りかぶった。手に持った分厚い本を理恩の脳天めがけて叩きつける。
「ごめん――――!!」
ゴガン! と
こよりは肩を揺らしながら、ふぅ、と息をつく。彼女をおとなしくさせるには気を失わせることしか思いつかなかったのだ。倒れた理恩は気絶して動かない。事が済んだら理恩に死ぬほど謝ろうと心に誓った。
こよりが顔をあげると、前後にいた二人がぽかんと呆けていることに気づいた。
「な、なに?」
「あはは、こよりちゃんワイルドぉ」
「…………」
瀬鳥は口元を若干ひきつらせて苦笑し、綴は額に手をあてて深いため息をついていた。
「お前、その本……」
綴がこよりの持つ本をじっと見つめる。こよりは事務所で取り合ったあの本を、鞄に入れたままここまで持ってきてしまったのだ。殴った衝撃で表紙が折れ曲がってしまっていた。
「ご、ごめん! 後で弁償するから!」
「弁償、ね」
綴は嘲笑にも似た、乾いた笑みを浮かべる。
「お前、もう少し考えて行動したらどうだ」
先ほどのこよりが漏らした台詞と同じことを言ってくる。
「こ、これは
こよりは弁解しようとするがなにも言い返せなかった。というか、さっきは聞いていたくせに無視したらしい。
「チッ、まあいい、仕事を済ませてからだ」
綴は気を取り直し、倒れている理恩に向かった。それからベッドの
「こよりちゃん、さがってて」
瀬鳥が後ろからこよりの肩を引く。なにが始まるのだろう。もし変なことをしだしたら今度は綴の脳天にハードカバーをお見舞いしてやるところだが――。
そんなことを考えていたこよりは、部屋の空気ががらりと変わったことに気づき、息をのんだ。
見ると、綴が理恩の頭の辺りに手をかざして意識を集中させている。
「――
綴が声を発すると、手のひらが淡い光を帯びてきた。
こよりはこれと同じ光景を見たことがあった。三日前、保健室で綴を目撃したとき。彼はそれと同じことをしているのだ。
このあいだはよくわからなかったが、綴の手のひらの前になにやら模様のついた板のようなものが見えた。
「表紙……?」
こよりにはそれが本の表紙に見えた。はっきりとした形を取っているわけではないが、光が集まって表紙の図形を描いているようだ。
綴は続けて右手を軽く挙げ、三本の指を物をつまむように構えた。それはあたかも、文字を書くためにペンを握っている形に見えた。右手を空中で走らせると、表紙に、どこのものともわからない幾何学模様にも似た文字が浮かんだ。
「こよりちゃん?」
こよりは自分が綴の方に歩き出していることに気づいていなかった。瀬鳥が伸ばす手をすり抜け、吸い寄せられていく。
こよりが無意識から醒めると、すでに綴、いや、その先の表紙に手を触れていた。そのとき、綴の左手がくるりと返される。
――あの動作は、本の表紙をめくる動きだったのか。
表紙が開いた途端、放たれた光に飲み込まれ、音という音が消えていく。まるで海に潜ったときのような、世界から切り離される隔絶感。
視界はぼやけ、感覚すべてが機能を失う。こよりはそのまま身体を受け渡すように、暗闇の海に沈んでいった。
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