第6話

 移動中、綴が捕まらないか気が気でないこよりだったが、無事にたどり着くことができてホッとした。

 銃を隠すために外套を着るのはいいが、六月の昼間にその格好というのは逆に目立つ。帯乃助も再び綴の肩に戻っていて、怪しさ全開だ。職質されなくて本当によかった。


「ここか」


 綴が『上原』と書かれた表札と、家全体を眺める。白塗りの二階建ての大きな家だ。こよりはなんどもここにお邪魔したことがある。

 理恩の母の趣味で、庭先には様々な種類の花が植えられている。理恩と二人でよくこの庭で遊んだものだ。


「この花、少ししおれてるねぇ」


 瀬鳥が塀にかかっているプランターの花をつんつんつつく。


「本当……お世話できてないのかな」


 よく見ると庭全体の花に元気がないようだ。いままででこんなことは初めてだ。それを見てこよりは不安を募らせた。


「ワンッ」


「わっ!……タマちゃん、脅かさないでよ!」


 こよりが驚いて飛び退く。門のところに柴犬が顔をのぞかせていた。タマと呼ばれた犬は、こよりを見るなり犬小屋へさがっていく。


「……お前、犬が苦手なのか?」


「え? うん、見てる分にはいいんだけど」


 そうか、と綴は納得したようにつぶやいた。少し身を反らしただけなのに、犬が苦手なことを見抜かれるとは思っておらず、こよりは内心かなり驚いていた。

 読書以外のことには無関心に思えたが、少しは周りを見ることもあるらしい。

 気を取り直し、こよりはインターフォンを押した。すぐには返事がなく、もう一度押そうか迷っているところでようやく反応があった。


「おばさん、こよりです」


『こよりちゃん?』


 音質の良くないインターフォン越しの声であるのに、はっきり疲労の色がうかがえた。


『ごめんなさい、理恩は今……』


「わかってます、理恩のためにできることがあるかもしれなくて、ここに来たんです」


『え?』


 驚きの声が聞こえてくる。こよりは無理を言って中に入れてもらえるよう頼んだ。

 しばらくすると玄関が開き、理恩の母である理湖が姿を現した。

 目の下に大きなくまができており、ドアのレバーで体重を支えるようにして立っている。疲弊しきっていることが一目でわかった。


「すみません、おばさん。大変な時に」


「ううん、せっかくこよりちゃんが来てくれたのに、ごめんね」


 理湖はそう言ってから、こよりの傍で腕を組んで仏頂面を浮かべている綴と、ニコニコと愛想の良い笑みを浮かべる瀬鳥に気づいた。綴の全身を下から上へと眺めると、肩のところまで視線を移動したところで帯乃助が目に入り、目をパチパチとさせた。


「そ、その、こちらの方たちは?」


 理湖が大いに戸惑いつつ尋ねる。


「この人たちが、もしかしたら理恩の助けになってくれるかもしれないんです」


 するとタイミング良く帯乃助が「ホーウ」と一鳴きした。


「えっと、変わったお友達ね……?」


「す、すみません! 見た目はちょっと、あの、かなりアレなんですけど、信頼で

きる人からの紹介なんです」


 こよりはしどろもどろで説明する。しばらく行動を共にしたので忘れかけていたが、こんな奇抜で怪しい格好をした人物を連れてきたら警戒されて当然だ。慣れてしまっていた自分を責めたい気持ちになる。


「きっと力になってくれると、思います」


 言っていて自信が無くなってきてしまった。綴を信用しきれていないし、そもそもどうやって理恩を救うのか知らないのだ。


「……わかったわ。他ならぬこよりちゃんが連れてきた人たちだもの」


 理湖は気の進まない様子だったが、こよりに免じて家の中へと招いてくれることになった。

 入ってすぐの廊下は見るも無残な状態だった。

 壁紙には刃物で無造作に切りつけた痕が無数に刻まれており、フローリングの床には物を投げつけたような窪みがいくつもあった。綺麗に飾ってあった絵画は額縁にひびが入っている。こよりが数週間前に訪れた時には、埃ひとつ落ちていなかったはずなのに。まるで台風でも過ぎ去ったかのような惨状に、こよりの胸が締めつけられる。


「ふーん、こりゃまた……」


 瀬鳥が冷静に状況を観察する。普段と違って真剣な表情を浮かべていた。


「ごめんなさい、お客様に見せられるようなものじゃ……」


 理湖が目を伏せる。家がこんな状態になっているところを他人に見られるというのはかなりの苦痛だろう。こよりは無理を言って入ったことに心が痛んだ。


「これ、理恩が?」


「ええ、三日前からなにかがのり移ったみたいに、いきなり暴れだしたり、大声をあげたり、かと思うと急におとなしくなったり……」


 理湖の声はだんだんと小さくなっていった。わが子がこんなことをしたという事実を、いまだ信じたくないのかもしれない。


「三日前、か」


 綴が短くつぶやいた。三日前といえば、調子の悪くなった理恩を保健室に迎えに行った日だ。理恩が本格的に変わってしまったのは、あの後帰ってからということになる。

 理湖に案内されて、理恩の部屋のある二階へ向かう。今は部屋に鍵をかけて閉じこもっているらしい。近づくにつれて壁や床の傷跡も多くなっていった。

 理恩の部屋の扉にも無数の切り傷がついていた。ドアの前にかかっている『りおん』と書かれた可愛らしい木製のプレートが、もの悲しい印象を醸していた。

 理湖が恐る恐るドアをノックする。


「理恩、こよりちゃんが来てくれ――」


「うるさい! 来るなって言ったでしょ!?」


 理恩の怒声が聞こえてくる。理湖は肩をびくりと震わせた。


「理恩! 中に入れて!」


「……こより?」


 こよりが声をかけると、理恩は一瞬間をおいて反応した。きちんと返事をしてくれたことに少しだけホッとして、言葉を続ける。


「理恩、会わせたい人がいるの。きっとあなたの助けに――」


「こより! どうして、どうしてあんなことを言ったの!」


 理恩は先ほどのような大声を叩きつけてくる。ドアを突き抜けてくる尖った声だ。


「お父さんが死んだなんて! 酷いこと言わないでよおぉぉぉぉぉっ!」


 ヒステリックに喚き散らす。こよりは必死に理恩の名を呼ぶが、叫び声にかき消されてしまう。

 やがて理恩は叫び疲れたのか、声が聞こえなくなった。その後いくら呼びかけても、扉の向こうから返事が来ることはなかった。


「取りつく島もないな」


 綴がいたって冷静に肩をすくめる。この状況で冷めた表情でいることにこよりは気持ちを苛立たせた。


「あんた、もう少しマジメに――」


「上原理恩の父親が事故に遭ったのはいつだ?」


 こよりの言葉を無視し、綴は理湖に尋ねる。敬語も使わず聞きにくいことを無遠慮に言う綴を非難しようと、こよりは口を開きかけるが、理湖があまり気にしない素振りだったためそれを収めた。


「たしか……十日前よ。お父さん、いつも通り、行ってきますって言って出かけたのに……帰って来たのはあの人じゃなくて、交通事故に遭ったっていう突然の電話だったわ」


 もう十日も経ったのね、と理湖は遠くを見るようにつぶやいた。涙を浮かべる目の先には夫の顔が見えているのだろう。


「その日まで、上原理恩はなにかに悩んでいたか?」


「え、ええ。悩みというか、このあいだからお父さんと喧嘩していたの。仲直りする前にあんなことになって、理恩はそのことでも落ち込んでいたわ……」


 父親と喧嘩していたなど、こよりは初めて知った。理恩はそんな状況だったことをおくびにも出さず生活していたのだ。それを気づけなかった自分に唇を噛んだ。


「条件は揃ってるんじゃない?」


 瀬鳥が綴に向かって言う。条件とはなんのことだろう。


したのが、三日前ということか」


 綴は視線を扉に固定したまま、声だけで返事をする。発生、とこれまた聞きなれない単語が出てきて、こよりにはわけがわからない。

 綴は納得したようにうなずき、ずいと部屋の扉の前に立つ。鍵の部分を見つめ、外套からおもむろに小型のハンマーを取り出した。


「ちょ、あんたなに――」


「壊す」


 こよりがとめようと手を伸ばしたころには、綴はハンマーをドアノブに打ちつけていた。扉を閉ざしていた小さな鍵はなす術もなくはじけ飛んだ。

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