第17話

 図書館から戻って翌日。こよりはいつも通り学校へ向かった。

 登校する途中、こよりはしっかりとした地面の上を歩けていることに感動しながら、昨日のことを思い出した。


 綴によって図書館の外へ戻されると、元の理恩の部屋で目を覚ました。外で待っていた瀬鳥に「おっかえり~」と軽い笑顔で迎えられ、それまで緊張を解いていなかったこよりは一気に気が抜けてしまった。

 そのとき聞かされて驚いたのは、あれだけの大冒険をしたにも関わらず、ほんの数分しか経っていなかったということだ。綴曰く、実際の時間と体感時間では大きな差があるということらしい。

 こよりはピンと来なかったが、安らかに眠り続ける理恩の顔を見て、多少の疑問など気にならなくなった。


 なにが起こったのかさっぱりわかっていない理湖に色々説明するのに苦労したが、理恩の雰囲気が元に戻ったことを感じ取ったらしく、納得してくれた。ついでに壊した扉のことを謝ったが、理恩を隔てる壁がなくなって嬉しい、と不問にしてくれた。理湖の心の広さには感服するばかりだ。誰かさんに爪の垢を煎じて飲ませたい。


 理恩はそのまま眠り続けていたので、その場は理湖に任せてこよりたちは上原家を退出した。

 綴が言うには、理恩は目を覚ましさえすれば、翌日には元気になるだろうということだ。

 なのでこよりは理恩が学校に来ていることを期待し、心をはやらせていた。自然と登校にも急ぎ足となる。同じく登校する生徒たちをぐんぐん追い抜いていく。

 理恩はちゃんと元気になっているだろうか。元気になっていたとしても、父親を失ったことに変わりはない。もう一度彼女が惑わされないよう、自分が支えにならなければ。

 こよりは学校に到着するや否や、上履きに履き替えるのももどかしく、自分の教室へと急いだ。


 教室にたどり着き、引き戸を開ける。無意識に力が入ってしまい、開けるときに音が響いてしまう。数人のクラスメイトがこちらを見てくるが、今日ばかりは人の目も気にならない。

 窓際の席を見やると、一人の少女が窓を向いて座っていた。


「理恩!」


 こよりはいそいそと理恩の元まで行き、呼びかける。理恩がきちんと登校していたことに心が躍る。

 声をかけられた理恩は、ゆっくりとこちらを振り返った。


「あ、おはよ、こより」


 理恩は朗らかな笑顔をこよりに向けた。


「理恩、調子は大丈夫?」


「うん、大丈夫だよ。保健室に迎えに来てくれてありがとう」


 保健室、とは先週のことを言っているのだろうか。もしかしたらそこからの記憶が飛んでしまっているのかもしれない。


「お父さんがいなくなっちゃったのは悲しいけど……わたし、頑張るから」


 理恩は自ら父親のことを話した。父親の死をしっかりと認識している。


「理恩、ほんとに大丈夫になったんだ……!」


「う、うん。だから大丈夫って――」


「理恩!」


 こよりは感極まってひしっと抱きつく。理恩は大いに戸惑っていたが、ありがとう、と笑顔を見せた。

 昨日のこともあり、クラスメイトたちは理恩を遠目に見ていたようだったが、二人のやり取りを見て、あれは一時の気の迷いだと認識したらしい。同じく心配していた仲の良い女子たちも、理恩の周りに集まってくる。


「ちょ、こより、苦しいってば」


 こよりはそれでも腕を緩めず、力いっぱい抱きしめた。

 教室全体が祝福ムードの中、突然扉が開かれる。入ってきた袖口が抱き合っているこよりたちを見て目を丸くした。


「な、なんだ、どうした? お前らそれはもしかして百合――」


「ひどい! なにその言い方!」


「なに考えてるのよ変態!」


「空気よめ!」


「えぇぇぇぇぇぇぇぇぇ?」


 袖口はまくし立てられる生徒からの非難に、わけもわからず嘆く。

 こよりはそんな悲劇の担任を尻目に、理恩の快復を喜んだ。


 理恩が元に戻って胸をなでおろしたこよりだったが、今日一日は様子を見ようと理恩を注意深く見守った。放課後まで問題は起こらず、いつも通りの一日となった。

 本人にはそこまで心配しなくていいと言われたが、それでもこよりは心配が抜けず、きちんと理恩を家まで送り届けることにした。


 夕日で赤く染まる帰り道。二人は隣に並び合いながら、いつも通りの話をたくさんした。あの店のぬいぐるみが可愛いだとか、駅前にあるドーナツ屋が新作を出したから食べに行きたいだとか、普通のことを嬉々として話した。こんな他愛もない会話ができることが、これほど幸せなものなのだと、こよりは初めて気づいた。

 あと少しで理恩の家に着くというところで、こよりは気になっていたことを口に出した。


「そういえばさ、いつも着けてたヘアピン、どこにやったの?」


 理恩が蟲に巣食われる前から聞こうと思っていたことだった。理恩が元に戻り、こよりは思い切って尋ねてみる。


「あ、うん。ヘアピン、ね」


 理恩は言いよどむ。やはりデリケートな話題のようだ。


「ごめん、言いたくなかったら大丈夫だから……」


 こよりは尋ねたことを少し後悔しながら質問を撤回した。今は少しでも理恩に負担をかけるべきではなかった。


「ううん、そんなこと――」


「理恩が話しても平気って思ったら話してくれればいいからね」


 こよりはそう言って隣を向いた。だが、そこに理恩の姿がない。理恩は一緒についてきておらず、後ろで足をとめていた。


「理恩?」


 怪訝に思ったこよりが名前を呼ぶ。理恩は軽くうつむき、前髪に隠れて顔が見えない。

 心配になり、理恩に近づく。彼女の栗色の髪が、夕日に照らされ赤く燃えていた。


「大丈夫?」


 こよりが理恩の目の前まで来たときだった。彼女はうつむいたまま、突然こよりに両腕を伸ばした。こよりの白い首を覆うようにつかみ、力を込める。


「理恩っ……やめ、て」


 首を絞められて息がとまる。理恩の豹変に驚き、こよりは全く抵抗できなかった。


「あ、かはっ……」


 理恩の細腕とは思えないほどの力で首が締めつけられる。意識が徐々に白くなっていくのを感じた。

 それまで顔を伏せていた理恩が、ゆっくりと顔をあげた。その目を見て、こよりは絶望にうちひしがれた。

 理恩の目。夕日の赤が映ったさらに奥。そこにはどろりとした血の色が確かに見えていた。

 彼女の中には蟲が残っている。まだ終わっていなかったのだ。

 こよりがそれに気づいたところでもう遅い。理恩の手はさらに力を増し、こよりの命を刈り取ろうとしてくる。

 もう四肢に力が入らず、こよりは意識を手放そうとした。


「ホーウッ!」


 鋭い声と共に、首を絞めつける力が無くなる。解放されたこよりは後ろに倒れこんだ。

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