第12話

 こよりが諦めかけたときだった。一筋の閃光が走り、蟲の身体に突き刺さった。


「えっ!?」


 見ると蟲の背中に一枚の紙片が刺さっていた。硬質な皮膚をいともたやすく貫いている。


 真っ白な紙片の表面に、淡く光る文字が浮かぶ。


「――――裁断サイダン


 声がすると、刺さった傷口から、文字が蟲の内部に移動した。空気を急激に送り込んだように蟲の身体が膨れあがり、中からが発生して身体を細切れにした。

 バラバラになった身体は跡形もなく消え去り、代わりに無数の紙片が辺りに散らばった。


「チッ、いなくなったと思ったら……」


 こよりの後ろに綴が立っていた。手にあの白い本を開いている。


「綴様ぁ、遅いです」


 いつの間にかこよりの服の中に隠れていた帯乃助がにゅるんと顔を出した。


「知るか。お前らが勝手に……ん?」


 綴が目を細める。こよりは口を開けたまま呆けていた。


「おい、しっかりしろ鈍器女。ちびったのか?」


「そ、そんなことしてないわよ! ていうかその呼び名はなに!」


 こよりは顔を赤らめて言い返す。こいつは常識と共にデリカシーも致命的に欠如していた。


「本を実際に鈍器として使う奴なんか初めて見たからな」


「それはさっき謝ったでしょ!?」


 同じ話題を持ち出してくるあたり、結構根に持っているらしい。他に方法がないことはなかっただろうが、少なくともあの時は最善だと思ったのだ。


「今後一切、勝手な行動は慎め。面倒くさい」


「あんたに言われる筋合いなんてないわよ!」


 この男はどうしてこう傍若無人なのか。自分を中心に世界が回っている、の典型過ぎてすがすがしいレベルだ。


「綴様、やはり蟲が発生していましたね」


 イラつくこよりをを尻目に、帯乃助が話し出す。


「ああ、ところどころ兆候はあったからな。いるのはわかっていた」


 綴は目つきを鋭くし、辺りを見回した。


「そ、そういえば、アレが理恩をおかしくした奴らなのね!」


「ええ、先ほども言いましたが、あの生物は本の蟲と呼ばれる者たち。心になんらかの隙間が生じた人間に発生し、増殖を続けながら本を食い荒らすのです」


「食い荒らすって……」


 こよりもあの禍々しい行いを間近に見た。あんなものが、理恩の中にいるなんて。


「おわかりのことと思いますが、本を食べ尽くされた人間は外側だけを残した抜け殻となってしまいます。それは死と同義です。おそらく理恩様がご乱心されたのも、理性を司る本が蟲に食べられてしまったのです」


 このままでは理恩の本は失われ、死んでしまうということだ。そんなの絶対に嫌だ。


「早くなんとかしないと!」


「はい、それにはすべての蟲を駆除しなければなりません。だから我々は蟲を倒しつつ、図書館の中枢へと向かわなければならないのです」


 蟲さえ倒せば、理恩は元に戻るということか。


「で、でも、もう食べられちゃった本はどうな」


「――勉強の時間は終わりだ」


 突然、綴がこよりの言葉を遮った。

 こよりが慌てて周囲に注意を払うと、そこかしこに気配がすることに気づく。


「どけっ!」


 綴は叫ぶと、こよりを思い切り突き飛ばした。こよりの立っていた場所に黒い塊が飛び込んでくる。

 ギチギチと動きながら、蟲が牙を突き立てる。こよりはもういないのに、それでも気にせず空中に噛みつき続けていた。


「う……」


 こよりは吐き気が込みあげてきた。なんど見ても生理的な嫌悪感が背筋を這う。

 蟲はようやく気が済んだのか、口を動かすことをやめて向き直った。赤い眼を光らせ、やはりこよりに目標を定めた。


「おい、そいつは食っても不味いだけだ」


 綴が声を飛ばすが、蟲は意に介そうとしない。そもそも音を聞き分ける器官があるのかもわからない。

 蟲は飛びかかるために体勢を沈めた。


「そう急くな」


 綴は不敵な笑みを浮かべながら、手に持った本をぱらぱらと広げた。その瞬間、蟲は危険を察知したのか、こよりから綴に標的を移動する。


(あの本――)


 保健室でも見た、真っ白な装丁が特徴の本だ。閉じたままではよくわからなかったが、中身もすべて白紙のようだ。

 綴は本の中からページを指先でつまむと、ピッと一枚破り取った。


「危ない!」


 蟲は綴の行動を待たず、顎を広げて飛びかかった。綴の眼前に黒い牙が迫る。

 こよりの声とは裏腹に、綴はそれを軽い動作でひらりとかわすと、間髪入れずにページを投げる。それは蟲の皮膚に刃物のように突き刺さった。


「――爆砕バクサイ


 綴は右手を振りあげ、ペンを握る動作をする。声と共にそれを走らせると、白紙のページに光る文字が現れる。文字が蟲の体内に入り込んだ途端、蟲の身体がはじけ飛んだ。

 あたりに激しい爆風が吹きすさぶ。こよりは目を開けていられず、思わず顔を腕でかばう。帯乃助が必死に、こよりの服に嘴でつかまっていた。

 はじけた蟲の肉片はすっと消え去り、あとには紙片が残された。


「あの本は『空写本カラシャホン』と呼ばれる本です」


「からしゃほん?」


「はい。司書が扱う特別な本で、ページに文字を書くことで、思い通りの現象を起こすことができるのです」


 今やって見せたように、爆風やかまいたちを発生させることができるということだ。


「でも、思い通りって」


 それはなんでもありということではないか。


「現象を発生させるためには強いイメージ力が必要です。現象のしくみを読解し、意思だけでことわりを捻じ曲げているのです。要するに、できない、あり得ないと思っていることを無理やりと思い込まなければならないのです。それも無尽蔵ではなく、力が強いほど精神力とページ数も多く必要です」


「へぇ……」

 わかったような、わからないような。つまりできると思い込めない現象は、結局できないままだということか。


「おい、間抜け面するな馬鹿が!」


「なっ……って、ひゃああ!?」


 必死に理解しようとしていたこよりの脇から、もう一匹の蟲が現れた。この緊迫した状況で考え込むこよりもこよりだが、短いセリフで罵倒を重ねる綴も流石さすがだ。

 綴はもう一度ページを投げつけると、蟲を爆散させる。はじけ飛んだ蟲の陰から、また新たな蟲が襲ってきた。

 綴は次々にページを放ち、向かってくる蟲を攻撃する。だが倒しても倒しても蟲は限りなく出現してくる。


「キリがないじゃない」


 自分も蟲を倒す助けになれればいいが、どうすることもできない。帯乃助は空に飛び立って、蟲の動向を見ようとするが、数が多すぎて助言することも難しいらしい。

 ガサッ!


「っ!?」


 こよりが歯噛みしていると、攻撃から逃れたらしい蟲が迫ってきていた。蟲の数が多く、綴は近くの蟲を迎撃するだけで精いっぱいだ。

 ギチギチと節の擦れる音を立てながら蟲が近づいてくる。蟲にとってこよりは脅威ではないのか、ゆっくりと確実ににじり寄ってきた。


「いや……」


 赤い眼で見据えられ、足がすくんでしまう。


「こより様!」


 帯乃助が叫ぶが、こよりは咄嗟に動けない。

 蟲は顎をがばりと開き、牙を突き立てようとした。


「いやああああ!」


 こよりは半ばパニック状態で蟲を蹴りをくり出す。軸足を起点に遠心力を加えたローキックだった。蹴りの衝撃で蟲の巨体が横に吹っ飛んだ。


「あ、あれ?」


 自分でもなにが起こったのかわからない。さっきまで目の前にいた蟲がひっくり返っている。


「お前……」


 ようやく蟲をふり切った綴が、ページをつかんだまま停止する。上空の帯乃助も目が点になっていた。


「あ、はは、意外に効くもんだね」


 こよりはかりかりと頭を掻いた。


「こより様、パワフルすぎます……」

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