第19話

 上原家に着くと、気を失った理恩を見た理湖はさすがにショックを隠せない様子だった。

 理恩を二階の部屋に連れて行ってから、リビングに移動する。こよりと理湖はソファに座り、綴は壁にもたれて腕を組んでいる。帯乃助はその肩でじっと大人しくしていた。唯一理恩を取り押さえられる瀬鳥には部屋の前で彼女を見張ってもらうことにした。


「理恩、朝起きたときはすっかり元気だったのに……」


 理湖が目を伏せてつぶやく。時折鼻をすする音が聞こえた。


「上原理恩と、父親の間になにがあったかを聞かせてくれ」


 綴は相変わらずの調子だったが、今回は注意している暇はない。


「おばさん、ごめんなさい。失礼なのはわかってるんですけど……」


「ううん、そんなことないわ。えっと、お父さんと理恩が喧嘩してたことはちょっと言ったわよね」


 理湖は目尻に浮かんだ涙をぬぐい、話し出した。こんな時でも気丈にふるまえる、母親の強さをこよりは感じた。


「こよりちゃんは知ってると思うけど、理恩にはすごくお気に入りのヘアピンがあったの。それこそ、着けてない時の方が少ないくらい大事にしてた。そのヘアピンをね、お父さんが間違えて捨てちゃったのよ」


 やはりそういうことだったのか。理恩が先々週あたりからヘアピンを着けてこなかったのは、父親によってヘアピンを失くされてしまったからのようだ。


「理恩が小さいころに、どうしてもって言うからお父さんが買ってあげたものなのよ。理恩、すっごく喜んで、もうボロボロに古くなっても使ってたの」


 理湖は昔を思い出し、顔をほころばせた。そんな理恩と父親のやり取りを、昔からこの微笑みで見守っていたのだろう。


「でもね、お父さんはそのことをすっかり忘れちゃってたの。最近は仕事が忙しくて、ろくに家に帰ってこれてなかったから、理恩が同じヘアピンを着けてるってことも気づいてなかったのね。

 ある時ね、珍しく理恩がヘアピンを外してるときがあったんだけど、それを偶然お父さんが見て、なんだこの汚いヘアピンはって捨てちゃったのよ。それで理恩はカンカンに怒って、お父さんと口もきかないし、顔も合わせないようになっちゃったの。

 お父さん、すぐヘアピンのことを思い出したんだけど、理恩は無視するし、お父さんはばつが悪くてなかなか話しかけられないし、全然仲直りできなくて……」


「そうして、事故に遭ったんだな?」


 理湖は目を閉じ、こくりとうなずいた。

 理湖の話によって事情がわかってきた。理恩は父親がヘアピンを失くしたことに憤りを覚えていた。だが、和解する前に父親が他界してしまい、行き場のなくなった怒りと、仲直りできぬまま父と別れることになった嘆きがいっぺんに押し寄せたのだ。

 こよりは理恩の気持ちをおもんぱかり、胸がつぶれそうになる。


「そのヘアピンはどうしたんだ?」


 綴がさらに尋ねる。


「お父さんが必死に探し回ってたわ。ゴミ収集業者に問い合わせて、行方をたどったり、恥を偲んでゴミの中を確認させてもらったり……できることは全部やってたみたい」


「見つかったのか?」


「私は直接確認していないけど、前にお父さんがすごく服を汚して帰ってきたことがあったの。なにがあったのかって心配になったんだけど、お父さんはすっごく嬉しそうにしてて……きっと見つかったのね」


 理湖がその時の情景を脳裏に描く。自然と嬉しそうな顔になった。

 話を聞いているだけなのに、こよりはなんだかホッとした。しかし、それなら一つ疑問が浮かぶ。


「でも、見つかったならどうして理恩はヘアピンを持ってないんでしょうか?」

 図書館内での理恩の様子や記憶を見る限り、理恩の元にヘアピンは戻ってきてないように思える。ショックを受けたまま本の蟲が巣食い、幻想の父親を作り出して自分の殻に閉じこもったのだ。


「きっとすぐに見つかったことを言い出せなかったんでしょうね……お父さん、そういうところはちょっぴり臆病なのよ」


 理湖も二人の間に挟まれ、もどかしい思いをしたに違いない。それでも辛抱強く二人の間を見守ったのだ。それがこんな悲しい結末になるなど、誰が想像しただろう。


「父親が持ち帰っていたなら、ヘアピンはこの家のどこかにあるということか?」


「ええ、おそらくね。お父さんは書斎にこもることが多かったから、そのどこかにしまってあるんじゃないかしら」


 理湖は玄関から続く廊下の、突きあたりの方を指さした。


「探してもいいだろうか?」


 綴は壁から背を離すと、理湖に頭をさげた。

 綴のへりくだった態度を初めて見たこよりは少々驚いてしまったが、遅れて頭をさげた。


「ご迷惑でなければ、あたしからもお願いします」

 故人の部屋を他人が漁るなど非常識もいいところだ。それでも理恩のためならなんでもしたいとこよりは思う。


「二人とも、そんなにかしこまらないで。理恩のことをここまで真剣に考えてくれるこよりちゃんたちなら、悪いようにはしないって信じてるわ」


「じゃあ入ってもいいんですか?」


 こよりが声を弾ませると、理湖は柔らかく笑った。


「ありがとうございます!」


 これでヘアピンを見つければ、理恩の心に訴えかけることができるかもしれない。

 それまでに理恩の本が失われていなければいいのだが。

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