第9話

「理恩!」


 こよりは空中に向かって手を伸ばした。


「あれ……?」


 頭にもやがかかったようにボーっとしている。いま自分はなにかを見ていた気がするのだが――


「目が覚めましたか、こより様」


 突然目の前に真っ白いものが現れた。


「ひゃあっ!?」


 こよりは驚いて、思わず白い物体を手で振り払った。


「あふん!?」


 聞き覚えのない声と共にぺちんと物が落ちる音がした。なんだかふさふさした感触がしたような。


「え……? たいちゃん?」


 疑問に思ったこよりが恐る恐る確認してみると、雪のように白い小さなコノハズクが転がっていた。


「ヒドいですぅ、こより様」


 またしても初めて聞いた声。誰がしゃべっているのだろう。それらしき人影は見当たらない。

 こよりが疑問に思っていると、ころんと倒れていた帯乃助が起きあがり、


「せっかく心配していましたのに……」


 こよりはぎょっとした。鳥類らしからぬ動作をした上に、先ほどの声が帯乃助から聞こえてくるのだ。


「もしかして、さっきからしゃべってるの、たいちゃん?」


「ええ、他には誰もいませんからな」


 帯乃助はこよりの目を見ながらくちばしを動かす。やはりちゃんと返事をしている。しかも渋めのダンディー極まりない声だ。


「ホホウ、混乱しているようですな、こより様。しかし驚くのはハヤブサよりもはやいです。周りをよく見まわしてみるとよろしいかと」


 妙な言い回しで、帯乃助は翼を横側に振りあげる。こよりは素直にその方向を見た。


「……えっ?」


 こよりはぽかんと口を開け、言葉を失ってしまった。


 本。


 視界の端から端に至るまで、すべてが本で埋め尽くされている。

 綴の部屋など比較にならない。自分が立っている足場も、壁も、はるか上空に見える天井も、一切合切、あらゆるものが本と、それを収める本棚によって構成されている。今までいたはずの理恩の部屋は跡形もなく消え去り、途方もなく広い空間を本だけが支配していた。


「こ、こ……」


「ホッホウ、驚かれるのも無理は――」


「ここどこおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!?」


 こよりはこれまで溜まっていた疑問や驚きをすべて発散させる勢いで叫んだ。


「こより様ぁ、驚きすぎでございますぅ」


 こよりの叫びによって帯乃助はまたころりと転がっていた。


「あ、ごめん!」


 力の限りシャウトしたからか、気持ちが落ち着いてきた。倒れた帯乃助を介抱する。「我々は顔の羽毛によってわずかな音でも集められるようになっており大きすぎる音は凶器にも……」とブツブツ言いながら帯乃助はこよりの肩に乗ってきた。


「こより様。ここは理恩様の心想を記録した『心想書しんそうしょ』が収められている場所でございます」


「しんそうしょ?」


「心想というのは、感情、意思、記憶など、生物の心すべてのこと。それが散りばめられ、記されているのが心想書です」


 こよりには必死に理解しようとするが、いまいち頭が回らない。


「そしてここは現実世界にならい、図書館と呼ばれております」


 ここが図書館? どういうことなのか、こよりにはさっぱりだった。


「目が覚めたのか」


 こよりが困惑していると、後ろから声がかかった。


「あ、あんた! なんであたしたちこんなところにいるの!?」


 こよりが問い詰めると、綴はこれ見よがしに舌打ちしてきた。


「それは俺が聞きたい。お前が勝手についてきたんだ」


「へ?」


 あたしが勝手についてきた?


「こより様、先ほど理恩様の『表紙』をお触りになったでしょう」


「表紙? それって……理恩の頭のところに見えた?」


 綴が手をかざした時に見えた表紙のようなもの。あれのことを言っているだろうか。


「綴様が『表紙』を開いたとき、こより様も手を触れ、一緒にこの図書館に入ってきてしまったのでございます」


 こよりは記憶を手繰り寄せる。あのとき無意識に身体が動いて、気づくと引き寄せられていたのだ。それがこんなことになるとは思いもよらなかった。


「邪魔だけはするな」


 綴はそう言うと、踵を返してすたすたと歩いて行ってしまう。


「え、どこ行くの!?」


 こよりが慌てて声を飛ばすが、綴に立ちどまる気はないようだ。


「ご安心ください。綴様はこれから理恩様を救いに行くのです」


 肩に乗った帯乃助が優しい声音で言った。


「理恩を救いに……」


 状況をなに一つ理解できないこよりだったが、その言葉だけを頼りに綴の後を追った。

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