第15話
「うぅ……」
こよりは全身を打つ衝撃に苦悶の声を漏らす。だが身体の痛みはそれほど感じなかった。
気づくと、自分と綴の周りを大きな白い紙が覆っていた。おそらくあの瞬間に綴がページを変化させたものだろう。端の方に帯乃助もくるまっており、目を回していた。
綴はすっと立ちあがると、中心の方を鋭い目で睨みつけた。天井から崩れてきた破片の中に、巨大な影が現れていた。
「あれ、が……」
「女王のお出ましだ」
中心に現れた女王はすぐ動きを見せず、着地した際に舞いあがった煙の中に佇んでいた。
ぬらりとした漆黒の皮膚で全身を包んでいる点は同じだが、これまでの蟲と違い、桁違いの大きさを持っていた。
一軒家ほどもある大きさの身体を、人間の腰回りを超える太さの足が支えている。普通の蟲は横長のシルエットを持っているのに対し、加えて高さも兼ね備えていた。
蟲の足元を見ると、心核にあたる本棚が下敷きとなっており、無残にも破壊されていた。
理恩の大事なものが壊され、こよりは怒りがこみあげてくる。こんなひどいことをした蟲を絶対に許すことはできない。
「探す手間が省けたな」
綴は余裕の態度を崩さないが、全身から蟲に対する憎しみを溢れさせていた。
「あそこまで大きいものは稀です。少し気になります」
いつの間にか目を覚ました帯乃助が、綴の肩に乗ってくる。
「ふん、どいつか知らんが、手を加わえたようだな」
綴は目つきをさらに鋭くし、舌打ちをした。
手を加えた? それは理恩に蟲を巣食わせた奴がいるということだろうか。
「それ、どういう――」
こよりが真意を問おうとしたときだった。これまで沈黙を保っていた女王が、巨大な身体をもたげ、こちらに頭部を向けた。一対の赤い眼がこよりたちを見据えた。
こよりの胸をぞくりと本能的な恐怖が襲う。あの眼に見られると強い不安感を抱かずにはいられなくなるのだ。気づくと全身が汗ばんでいた。
綴は眼を見ても大丈夫なのか平然としていた。腰に手を伸ばし、純白の本を取り出す。
綴が戦闘態勢に入ろうとしたとき、女王の頭部の一点がうねうねと動き出した。すると額に当たる部分から外側になにかが突き出て、ずるりと音を立てながら伸びていった。
それは人間の身体だった。粘液に包まれながら人間の上半身が生えてきたのだ。
こよりはその人物に見覚えがあった。見間違えることなどない。
「理恩!?」
蟲の額に生えたのは理恩の上半身だった。身体のあちこちに蟲の黒い皮膚が付着している。
理恩はゆっくり目を開くと、こちらをじっと見つめてくる。そこには蟲と同じ血のような赤い光が宿っていた。
「俺たちを待っていやがったか」
綴が理恩に向かって声をかける。それまで虚ろな表情をしていた理恩の口が突然吊りあがり、醜悪な笑みを浮かべた。
「人の家に勝手に入るなんて、失礼な人たちね」
不敵に笑いながらこちらを見おろしてくる。
「あなた、理恩なの?」
「こより……わたしを忘れたの?」
理恩ははっきりとこよりの名を呼んだ。しかし声には嘲りを含んでいた。
「そんな顔をしないで……親友でしょう?」
艶めかしい動作で頬に指をあてる。あんな表情を浮かべる理恩を、こよりは知らない。
「り、理恩! あたしたち、あなたを助けに」
「余計なお世話なのよっ!」
理恩は態度を急変させ、犬歯をむき出しにした。
「わたしを助ける? どうして? なんの必要があって!?」
理恩の甲高い声にこよりは気圧される。
「あなたなに様? 友達ってそんなに偉いもの? わたしはなんの不満も感じてな
いのになにから救うっていうの? 出しゃばらないでよ!」
「あ、あたし……」
矢継ぎ早に繰り返される理恩の言葉に、こよりは完全に飲まれてしまう。
「救うとか言ったくせに、もうなにも言えなくなっちゃったの? しょうがない子……」
理恩がそういうと、女王の本体は足をこちらに向けた。理恩の意思であの巨体を操ることができるらしい。持ちあげた前足を、めきめきと鎌状に変化させた。
「そんなどうしようもない子は、わたしがお仕置きしてあげる!」
理恩は叫ぶと同時に、こよりに向かって大きく跳躍する。山のような巨体が迫ってきた。
棒立ちのままのこよりに蟲の鎌が降りかかる寸前、綴がこよりの身体を引き寄せて攻撃をよける。そのまま相手の巨大さを利用し、死角になるように後ろへ回った。
「惑わされるな。鈍器女」
呆けていたこよりはハッと我に返った。その呼び方、まだ続いていたらしい。
「こより様、耳を傾けてはなりません」
帯乃助がこよりの肩に移動して呼びかける。
「あれは女王が心核を喰らい、理恩様の心想とつながってしまった結果です。自分の意思で行動していると宿主に錯覚させながら、その身体を利用しているのです」
理恩は蟲にいいように操られているということだ。今の彼女は理恩であって理恩でない。
「どこっ! どこに行ったの!」
理恩は刃物のような前足をぶんぶんと振り回している。あの一撃をくらったらただでは済まないだろう。
「つながってるって、大丈夫なの?」
「上原理恩の身体を見る限り、まだ完全に取り込まれてはいない。融合しきっていたら、蟲と同じく全身が黒く染まっているだろうからな」
綴がそう告げる。まだ時間は残されているということだ。
「そーんなところにいたの!」
理恩がこちらの姿を見つける。部屋の隅に隠れたネズミを見つけるような様子で、笑みを浮かべた。
「逃げちゃダメでしょう……? わたしたち親友なんだから、一緒に話しましょうよ!」
理恩はこよりたちに向かって前足を振りあげだ。
「――五月蠅い」
綴が空気に深く浸透するような声でつぶやく。理恩に刀のような鋭い目を向けた。
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