二代目ディレクター・田山 〜α版

7.「コミュニケーションが大事」

 河原さんはディレクターから降格、プランナーとして引き続き参加することになった。


 仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。先方が無茶を言って来たのは確かではあるけど。


 河原さんには、俺も部下としてお世話になったことがある。誠実な仕事ぶりの人で、真正面から仕事に取り組み、部下からの信望も篤い。反面、積極的にクライアントに提案しにいくタイプではないのも、また確かではあった。



 そして、二代目のディレクターが指名された。


 それが、田山。後に「A級戦犯」となる男。



 この田山という男は河原とは同期にあたるらしい。俺は一緒に仕事をしたことはなかったが、ひと言で印象を言えば「軽い」、「チャラい」という雰囲気の男だった。


 別にイケメンではないが若づくりで、女癖も悪い。オタクが多いゲーム業界だが、こういうタイプは会社に1人2人は必ずいるものだ。



「やっぱり、大事なのはコミュニケーションってことだよぉ!」



 得意げに話をしながら喫煙室に入ってくるところへ、俺は運悪く居合わせてしまった。



「河原くんはさぁ、真面目すぎるんだよね。プロデューサーともっと、密にコミュニケーションを取っていればあんなことにはならなかったし……」



 俺はそこで喫煙室を出た。


 別になにか思うところがあったわけじゃない。煙草を吸い終えただけだ。


 自分の席に戻るまでの間に、河原さんの席の脇を通りがかり、俺はふと横目で河原さんを見る。河原さんはいつものように、若干余裕のない笑顔でPCに向かって仕事をしていた。


 * * *


 そして、α版の開発が始まった。


 ゲームの開発はプロトタイプ版で企画の検証を行ったあと、α版、β版と締切が設定されるのが普通だ。α版ではゲームの主要な機能ができたもの、β版ではほぼ完成状態となり、そこからデバッグを経て「マスターアップ」となる。


 だから、プロトタイプ版とは違い、α版の開発は作ったものがそのまま世に出る。


 だから、綿密な打ち合わせと仕様書に基づき、プランナー、プログラマ、デザイナーが一体となってプログラム実装を進めていく。



 ――はず、なの、だが。



「仕様書がないんだよ!」



 ある日の夜21時。


 その日、雑務に追われて遅くなった俺は、眞山がオフィスに残っているのを見つけ、缶コーヒーを買って持っていった。


 で、開口一番に出たのがこのセリフである。


 仕様書、というのは、ゲーム開発におけるいわば設計図だ。画面構成や処理の流れ、データの構造などをプランナーが書きこみ、プログラマはそれに従ってプログラムを組む。


 眞山がディスプレイを指示した。


 そこには、社内の共有ファイルサーバー内のフォルダが表示されていた。フォルダ名は「仕様書_アルファ版」。



「……あるじゃん?」



 俺がそういうと、眞山は黙ってそのフォルダをダブルクリックした。



「……ないな」



 フォルダの中は空だった。


 俺は顔をあげる。


 オフィスの中の、DMプロジェクトチームの集まるエリアには、プログラマが数名、残業をしている。


 プランナーは、いない。



「田山さんとか、宮谷くんとかは?」


「伊佐崎Pと飲みに行った」


「……はぁ」



 なるほど、コミュニケーションが大事、と――


 どうやら、会議のある日はほとんど毎回、その後飲みに出ているらしい。


 宮谷くんはともかく、田山に至っては他の日も理由をつけては会食、飲みに出かけている。


 河原さんはといえば、小さい子どもがいるため定時でほぼいなくなる。


 そして、勤務時間中はほとんど社内外の会議で潰れている、と――



「……お前も帰ったら?」


「そうはいかねーよ。来週、進捗をみせなきゃいけないんだ」



 それもまた、伊佐崎たちから提示された「業務改善要望」のひとつだったらしい。



 ――仕様書がないのに、締切だけはある。


 この業界ではあるあるだが、そのしわ寄せはいつも末端のプログラマが喰うことになる。大体は眞山のように、若くて優秀なプログラマが――


 

 とはいえ実際、「コミュニケーション」を重視している田山は伊佐崎とは仲良くやっているらしく、会議はずいぶん和やかな雰囲気になったらしい。こちらから出している資料も、OKが出やすくなったとか――



「……いや、それは河原さんが作ったやつだろ。炎上はさせたけどさ」



 眞山が吐き捨てるように言い、缶コーヒーに口をつけた。


 俺は時計を見上げた。時刻は21:20、その下にデジタル表示で日付けが表示されている。



 次の締切、α版プログラムの提出まで、あと5カ月。

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