大炎上プロジェクトを立て直した話をする。

輝井永澄

1.「絶対に赤字を出すな」

「いいか、絶対に赤字を出すなよ」



 社内にいくつかある会議室の中でも一番小さい部屋。そこで俺は、橋多マネージャーと役員と3人でテーブルを囲んでいた。


 俺は手元の企画書に目を落とし、ため息をついた。役員の隣に座っている橋多マネージャーは、俺がこの会社に入ったときから色々世話になっている人だ。その橋多さんは今、申し訳なさそうな顔で俺の方を見ていた。


 俺は顔を上げ、役員の方を見る。



「……これ、本当に受けるんですか?」


「もちろんだ。会社としては大きなチャンスだからな」


「……でも、この企画、アレですよね……?」


「だからお前に頼んでるんだ。他に出来るやつがもういない」



 俺はもう一度、企画書を見た。



「新しくもどこか懐かしい世界へ旅に出よう。完全新作ファンタジーRPG『ドラゴンミラージュ』」



 先週、大手メーカーからこの会社へと持ち込まれた開発案件。予算規模は数億円。


 デザインもプログラムも、企画もすべて引き受けるという景気のいい話は、この不況のゲーム業界にあって、確かに逃すことのできないチャンスだろう。


 俺が務めるここ「株式会社ガモノハス」は、ゲーム業界の中でも中規模のデベロッパー(開発会社)――つまり、大手メーカーからゲームの開発を委託され、実制作を請け負うタイプの会社だ。


 誰もが知ってるような大きな会社の、誰もが知ってるようなタイトルでも、俺たちのような外注会社がその一部、または全部を受注して開発に参加していることは少なくない。


 ガモノハスも業界の景気がいいときは、大手からの案件が常に舞い込み、社員200人を超える中堅デベロッパーとして評判を得ていた。



 しかし――不況知らずと言われたゲーム業界も、ここ最近の市場の縮小は甚だしい。


 特に、コンシューマー機向けゲームタイトルを中心でやってきたうちのような開発会社は、スマホ用ゲームの波に乗れず、仕事を失っているところが少なくなかった。



「あんなのゲームじゃねぇよ」



 ――そんな風に言っていたうちの営業が、今は必死になってスマホゲームメーカーに頭を下げて回っている。



 そんなガモノハスにとって、この案件はそれこそ、涎の出るような仕事だ、が――



「……ここまで、いくら赤字出したんでしたっけ?」


「……」



 役員が目を泳がせる。



「……2億」



 橋多さんが呟くように言った。


 そう――弊社はこのプロジェクトについて、すでに2億円の赤字を出しているのだ。


 俺はため息をついた。


 * * *


 会議室から出て喫煙所に入った俺に、茶髪の男がヘラヘラと声をかけてきた。



「あの仕事、やるんだって?」



 ――その瞬間、俺は殴りかかるたくなる衝動を抑えるために全神経を使うことになった。


 俺よりも5歳ほど年上で、この会社ではベテランのディレクター・田山――この男こそが、2億の赤字を出したA級戦犯なのだ。誰も口には出さないが、そんなことは皆が知っている。



「いや~俺はさぁ、あの仕事は受けない方がいいって言ったんだよ社長にさ。そもそも、ITベンチャーあがりのクライアントがさぁ……」



 服装や髪形も若作りなら、その喋り方も若作りに過ぎる。俺はなるべくその顔を見ないようにしながら、答える。



「……まぁ、やるだけのことはやりますよ」


「君も大変だよねぇ、細かい気楽な仕事だけやってればよかったのに」



 ――その瞬間、俺が田山を睨んだ目つきは、その時喫煙室にいた別の同僚に言わせると「人を殺せるほどの恨みを持った目として参考資料にしたい」ものだったらしい。



 俺は喉元まで出かかった罵声を缶コーヒーで流し込み、無言で喫煙所を出た。流石に、表面上ですら敬意を示す気にすらならなかった。


 この会社へは中途で入社して3年目だが、ベテランの多いガモノハスで俺はまだまだ若手の扱いだ。


 重要な案件はベテランに回り、若手のディレクターには規模の小さい案件が回って来る。それを同じく若手のチームメンバーと、ちまちま回していくのが俺の日常業務。


 「ドラゴンミラージュ」のプロジェクトが開始してから約2年――その間、炎上する現場と疲弊するスタッフを横目で見ながら、俺は自分の仕事をしていた。


 その間、プロジェクトに参加した同僚からは愚痴もたくさん聞いたし、辞めていった同僚もいる。


 アルファ版、ベータ版といった開発の締め切りはとうに過ぎ、そろそろリリースされてもいいころだというのに、ゲームはまともに動いていない。


 先ほど役員から聞いた話によれば、クライアントから開発スケジュールの延期と追加予算、そしてプロジェクトのリニューアルが提示されたのだという。


 つまり、仕切り直しだ。


 これまで作ったものを活かしつつ、とはいうものの、実体はほとんど作り直しだと言っていい。


 * * *


 スマホ向け大型RPG「ドラゴンミラージュ」開発プロジェクト、通称「DMプロジェクト」――


 この話が持ち込まれたのはもう2年ほど前、スマホゲームアプリが流行しだしたころ。


 「ポチポチゲー」と揶揄されたソーシャルゲームの流行が、消費者庁による「コンプガチャ」規制によって移り変わり、入れ替わるようにしてスマホ向けのパズルゲームなどが爆発的に流行を始めた、そんな時期だった。


 プレイステーション2などの全盛期にはかなり忙しかったガモノハスも、この頃にはコンシューマー機の仕事が減り、社員が暇を持て余し始めていた。


 「DM」の開発案件が持ち込まれたのはそんな時期。



「スマホゲーム市場に、本物のゲームを投下してやりましょうよ!」



 この話を持ち込んだ担当者は、そんな風にうちの上層部を口説いたらしい。


 クライアント企業は元々コンシューマーゲームで名を馳せた大手メーカー。だから、うちのようなコンシューマーゲームの開発に慣れたデベロッパーに開発を依頼したのだろう。


 うちの社員の約半数が参加する規模、しかも王道ファンタジーRPG――ドラクエ、FFで育った僕らの世代はやっぱり、こういうのにワクワクしてしまうのだ。みんなドラゴンが、伝説の剣や魔法が描きたくてこの業界に入ったのだ。


 しかも有名プロデューサーが手掛ける、というのである。


 クリエイターにとって、市場へのインパクトが大きい仕事に携わることはこの上ない喜びだ。それも、ただ参加するのではなく、実際に手を動かしてそれを作ることが好きな連中が、ここガモノハスには集まっている。


 俺は別の小さな案件を手掛けながら、盛り上がる社内を横目に見て、彼らが存分に腕を振るえることを内心喜んでいた。



「……とはいっても、実際のところ、できると思う? うちに」



 「DMプロジェクト」が動き始めたころ。会社近くの居酒屋「とり大名」でコーラを飲みながら、眞山さなやまが言った。


 眞山は新卒からガモノハスにいる生え抜きのプログラマで、俺とは同い年で仲がいい。今回のDMプロジェクトに参加することになっていた。



「なんで? まずいの?」



 俺の返答に眞山は顔をしかめた。「わかってないな」という顔だ。



「ソシャゲ舐めすぎ! サーバーエンジニアもいないし、設計の仕方が違う!」



 プログラマにありがちな芝居がかった口調で眞山が言う。この男の面白いところは、相手が先輩だろうが上司だろうが同じ調子でものを言うところだ。



「たぶん、上の人たちわかってねぇよ……スペックが低ければ簡単だと思ってるだろあの人たち」


「うーん……」



 一般にスマートフォンは、ゲーム専用機であるPS3やPS2よりも性能が低い。最新のゲーム機でのゲーム開発となれば、映画のようなグラフィックを作るのにそれこそ莫大なコストがかかるが、そこまでコストがかからない、というのもスマホゲーム市場の魅力ではあるのだ。


 しかし――



「作って終わり、じゃないんだよソシャゲは……」



 そうなのである。


 基本的に、「作ったら、それで終わり」のコンシューマーゲーム機の開発と違い、ソシャゲには「運営」がある。


 ゲームが完成した後も、イベントを用意し、ガチャの中身を追加し、新規要素を追加するために追加開発を行い、不正プレイを行うプレイヤーを取り締まらなくてはならない。


 そうした「運営」に必要な機能を、想定して開発しておく必要があるのだが――そのノウハウが、うちの会社には、ない。



「絶対やべぇって。なにがヤバイって、そのヤバさをわかってないのがヤバい」



 眞山が鶏のから揚げをつつきながらボヤく。


 この男のことだから、そうした発言を上にぶつけてもいるのだろうが――優秀でありながらもまだまだ「若手」という扱いの眞山の意見は軽んじられているのだろう。


 他人事ながら気の毒に思いつつも、俺にはどうすることも出来なかった。とりあえず、その時は気休めを言い、「また愚痴があればいつでも聞くから」と言って居酒屋を出たのだが――



 この時はまだ、俺たちはDMプロジェクトのヤバさに気が付いていなかったのだ。

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