初代ディレクター・河原さん ~プロトタイプ版

2.「始められません」

 そんなこんなで、DMプロジェクトは開発を開始した――はずだった。


 その頃、俺は自分の担当しているプロジェクトの方が忙しくなっていた。俺がその時やっていたのは、コンシューマー機向けの小さなゲームの開発。別のクライアントから受注したものだ。


 予算規模が小さく、10人にも満たないチームでの開発だったが、期間が短くそれなりに大変だった。


 若手が中心のチームで、俺はディレクターとしてそのプロジェクトを進めていった。それなりに充実した仕事ではあったと思う。


 ある日、仕事の合間に喫煙所により、ついでに自販機でジュースを買いに行った。その時、たまたまデスクにいた眞山の姿が目に入る。俺は何気なく、そちらへ向かった。



「それ、なにしてんの?」



 眞山の後ろからPCを覗き込み、俺は声をかける。画面にはなにかのソースコードが映っていた。眞山は仏頂面で振り返る。



「……別に。いわゆる基礎研究ってやつ」



 ――ん?



「基礎研究? いま?」


「そう」



 おかしい。


 眞山は例のDMプロジェクトに配属されたはず。そして確か、プロジェクト開始からもう、1ヶ月近く経っているはずだが――



「……開発が始められないんだよ。Zエンジンのライセンスが無くて」


「……え?」



 Zエンジン――それはこの頃、スマートフォン向けゲームの開発ツールとして、急速にシェアを伸ばしていたソフトだった。「ミドルウェア」と呼ばれる、汎用処理制御ツール――今回のプロジェクトでは、このZエンジンをベースにして開発を行うのがクライアントからの指定だったのだ。


 Zエンジンを使うためには、有料のライセンスを購入する必要があるわけだが――



「なんでライセンスないの?」


「稟議が降りなかったって」


「はぁ!?」



 会社の経費でライセンスを購入する――その稟議申請が、社長に却下されたというのだ。


 後だしになってしまうが、このガモノハスの経営者は複数の会社を経営する実業家で、リフォーム事業から手を拡げ、ITバブルに乗ってグループを大きくしたという人物だ。


 開発に必要不可欠な機材の稟議申請が、その経営者によって却下された――



「……なんで? バカなの? 死ぬの?」


「俺に言うなよ。死ぬんだろきっと」



 ――後で聞いた話だが、どうもその社長はガモノハスの経営体質に対し、改革を行っている最中だったらしい。確かに、ひと昔前のゲーム会社の感覚だと、使途不明金やよくわからない経費が多く、社員も出勤時間がバラバラ、勤怠や労務管理もほとんどされず、クライアントとの契約も曖昧に進める、というような杜撰ずさんな経営体質が多く見られた。


 ガモノハスもそうだったわけだが、昨今の売り上げ不調に伴い、そこにメスを入れて経営をしっかりしよう、としていたわけだ。


 だから、稟議申請については1円単位でしっかりとチェックし、なぜそれが必要なのかを徹底してチェックする――



「……だからって必要なものまで跳ね除けてどうすんだよ……」



 そして、現場では仕事に全く手が付けられず、1カ月ほどが無為に過ぎていった、というわけだ。



「ツールが来たらその検証にも時間がかかるんだけどなぁ……」



 眞山がため息をついた。



「……っつーかそれは、稟議を出したやつに責任があるのでは」



 俺は総務部の方を見た。


 総務部長がその肌色の頭頂に汗をかきながら、必死な顔でPCに向かっている。


 この人も、別のグループから「経営改善」のためにガモノハスに入ってきた人物だった。当然、ゲーム業界のことはよく知らず、IT知識も素人以下。まぁ、それは年齢的にも仕方ないといえば仕方ない、としても。


 たぶん、何も考えずに稟議書類を作って、機械的に上に流したのだろう――総務部長はそういう人だった。柔らかい言い方をすれば無能だった。


 総務部長の元へ、橋多マネージャーがやって来て何事か話をしていた。橋多さんはゲーム業界の大ベテランで、現場からの信頼も厚い人物だ。経営陣との交渉はほとんどこの人の仕事だと言える。



「……橋多さんも気の毒だよ。戦う相手が多すぎる」



 総務部長だけではない。


 営業部長や、これまたゲームには門外漢である事業役員、そしてアーティスト肌でなにかと文句が多く、言うことを聞かない各部門のチーフたちをすべて説得し、話を通さなくてはならないのだ。



「大丈夫かなぁ……」



 困った顔で根気強く総務部長と話を続けている橋多マネージャーの横顔を遠めに眺めながら、俺は思わず呟いた。



 最初の締切、プロトタイプ版プログラムの提出まで、あと3カ月。

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