28.「名前をつけろ」

 α版でゲームの基本的な機能が完成した。β版では、より具体的な機能の実装に入る。


 PvP(プレイヤー同士の対戦)、進化クエスト、ギルドバトル、シナリオ演出など、基本的なゲームが完成した上で、ゲームとしてのプレイバリューを高めていく要素を構築していくのだ。


 ちなみに、シナリオはちゃんと出来あがっている。



「……で、ここの部分ですね」



 伊佐崎との会議で、展開された資料を俺は覗き込んでいた。


 今回は王道ファンタジーRPGながら、PvPにもかなり力を入れる方針だ。メインのシナリオの難易度は下げて遊びやすくし、上級者向けの戦略的なバトルはPvPで楽しんでもらおう、という方針だった。


 PvP対戦機能「アリーナ」でのバトルは基本的に通常のものと同じではあるが、アリーナ用の特殊なルールがいくつかある。その詳細な内容を、今検討しているのだ。α版で出来たゲームを実際に触ってみて、必要性を感じたから、というものでもある。



「プレイヤーの取った戦術によって、キャラクターのセリフのカットインが入り、それによってパラメーターが上下する、と……」


「よりドラマティックなバトルを演出しよう、というわけですね」



 確かにそれは、それまでのゲームではあまり見たことのない機能だった。キャラクターを立たせるという方向性でも、理に適っているいるように思う。


 元々、「アリーナ」の開発コストは多めに見積もっていたので、技術的なところでも問題はなさそうだった。



「詳細な仕様に落とし込んでみますね。ちゃんとバランスを取らないと難しそうだ。演出的にわかりやすくもしないといけないし」


「よろしくお願いします」



 そう言ったのは比良賀さんだった。伊佐崎は黙っていた。


 * * *


 ちょうど同じころ、ちょっとしたトラブルが起こった。



「いや、これじゃないって言ったじゃん!」


「ああ!? じゃぁどれなんだよ!」



 ある機能を担当したプランナーとプログラマのいさかい。オフィスの真ん中で繰り広げられたその争いに、俺は首を突っ込む。



「どうしたどうした」


「実装されたデータが、古いやつで……」


「いやいや、お前の書いた仕様書どおりにやったぞ俺は!」



 話を聞いてみれば、プログラマの担当した機能に、後から修正になった部分が反映されていなかったらしい。


 原因を聞いてみれば、仕様書の取り違えということだった。


 共有サーバーに置かれた仕様書を見てみる。


 「キャラクター個別特殊クエスト発生.xls」――



「これが間違ってるやつ?」


「はい、正しいのはこっちだって、打ち合わせでも言ったんですが」



 正しい方のファイルは「【最新】キャラクター覚醒シナリオ.xls」。俺はそのプランナーに向かって言った。



「……君が悪い」


「えっ」


「いや、これについてはちゃんとルールを整理してなかった俺も悪いな」



 仕様書の数が膨大になり、さらに更新なども頻繁に行った結果、取り違えが発生したわけだ。ある程度密にコミュニケーションが出来ていたからよかったが、これは初歩的なミスだった。



「決定稿はバージョン管理ツールで最新版の管理をするとして、打ち合わせ用の資料や中間ファイル、受け渡しに使うフォルダについても、基本的な運用をちゃんとしておこう」



 今さら、と言えば今さらだったが、β版が始まったタイミングだからこそやった方がいい。



「それに、『名前をつける』っていうのは開発の中でも最小の仕事だからね。取り違えのないようにしたり、受け取る人が迷わないようにわかりやすい名前をつけるだけで、プロジェクトの効率は大きく変わる」



 ファイル構成などが整理されていないプロジェクトは、やはりトラブルの温床になる。それに、クリエイターに必要ないわゆる「センス」――他人からどう見られるか、という視点でも、相手がスムーズに仕事ができるような気づかいというのは重要だと思う。



「……とはいえ、打ち合わせをちゃんとしたんなら、プログラマからもそのことを指摘してあげてな。お互い完璧に仕事ができるわけじゃないから」



 そう言ってその場を仲裁し、俺はさっそくファイルとドキュメント管理のルール作りに取り掛かった。


 * * *


 そして、「アリーナ」の新機能である。


 宮谷くんが仕様を書き、プログラマとの打ち合わせが始まった。



「プレイヤーの入力したコマンドによってキャラがセリフをしゃべるやつなんだけど、この戦術とパラメーターの関係は……」


「ん、待って、コマンドってなにを指してる?」


「バトルで入力された情報が、ステータスが、こう……」


「で、キャラがセリフをしゃべるこの機能が……」



 仕様書をめくりながら、お互いに言葉を尽くして説明をしようとしているその場を、俺は遮った。



「待って待って、ちょっと待って。話がふわふわしてわかりづらくなってる」



 そして俺は、宮谷くんに向かって言った。



「悪いんだけど、この機能に名前をつけてくれる?」


「名前、ですか」


「『プレイヤーの戦術によってキャラが喋ってステータスが変化するやつ』じゃなくて、なんか名前。できれば、この仕様で発生するイベントや処理についても、いちいち名前をつけよう」



 これまでにない新しい機能を開発する時の、これはコツだった。名前をつけておくことで、何についての話をしているか明確になる。前例がないものは「何についての話をしているか」がふわふわとしやすいのだ。


 一度、宮谷くんが仕様書を持ちかえり、再度ミーティングが設定された。


 『プレイヤーの戦術によってキャラが喋ってステータスが変化するやつ』は「ナラティブ&ダイナミックバトルシステム」と名付けられた。


 バトル中に入力された「コマンド」によって、キャラクターの「カットイン」が入り、「ナラティブイベント」が発生、それによって「NDSバフ」が一時的なステータス補正を起こす。


 完成形がないものを作っていくのがゲーム屋の仕事。そして、その完成形をスタッフにイメージさせるのがプランナーの仕事だ。「名前をつける」というのはそのために非常に有効な手段であり、プランナーの仕事の基本だと言える。


 打ち合わせはスムーズに進み、β版完成までは、あと4カ月となっていた。

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