三代目ディレクター・俺
16.「なにから始めますか?」
田山がディレクターを降板してから、DMプロジェクトはリーダー不在のまま数カ月稼働を続けていた。便宜上、橋多さんがリーダーとして立っていたが、ディレクターではない。
まぁ、悪い意味で軌道に乗っていた開発には、それほど大きな影響はなかったのが実際のところだ。
シナリオは河原さんがライターへと発注、外注に出した機能は社内で引き取ることになった。
スケジュールは当然めちゃくちゃだが、最初からないようなものだ。伊佐崎は「ゲームが完成した時が締切だ」という名言を残した。
「……いやいや、めちゃくちゃ言ってんじゃねぇよ……」
眞山はそう言っていたが、結果的にはこれが逆転のチャンスとなったことになる。
「……ゲームが完成した時が締切、なんですよね?」
その日橋多さんは、小さな会議室で伊佐崎と2人だけで交渉についていた。
「このままではβ版も絶望的です。α版の遅れを先送りした分を取り戻せていないどころか、さらに遅れが出ています。弊社も人員を投入するなどでなんとか頑張ってはいますが……」
「……スケジュールの再延長、か……」
「それと、追加予算を。さすがにこれ以上は弊社も続けられません」
伊佐崎は眉間に皺を寄せた。元々数億の予算がかかっているものだ。さすがに追加予算を取ることになれば、伊佐崎も無傷というわけにはいかない。渋るのも当然だろう。
「……もし追加予算が出ないと、どうなる?」
「弊社としては、このプロジェクトを降りるしかありません。これまでの分は完全に赤字ですが、致し方ないという判断です」
実は、これは橋多さんのスタンドプレーだった。
この仕事で大きなダメージを負った経営陣は、リリース後の売上の一部から見込めるインセンティブ収入にすがっている状況だった。役員たちは社長に「リリースしたら爆売れ間違いなしなんで大丈夫です!」と言い続けていたらしい。
「……わかった。確かに、こちら側にも落ち度がある」
橋多さんの交渉によってついに伊佐崎が折れた。
そして状況は発注元企業へと持ちこまれ、出た結論は「追加予算とプロジェクトの仕切り直し」。
ちょうど時期的に、スマートフォンの新機種が次々とリリースされ、その性能もどんどんと上がっていたのだ。市場的にも、マルチプレイなどといった新要素がウケはじめていた。「DM」のコンセプトも古くなりつつある。ならば、どうせリリースが延びるなら今の市場に合わせた作り直しを、というのが経営判断だということだ。
「いいか、絶対に赤字を出すなよ」
そして、冒頭のシーンへと至り、俺が三代目リーダーへと指名されることになった。
遅ればせながら俺の経歴を話しておくと、新卒でWeb系の会社に入ったあと、ゲーム業界へ転身、数年前にガモノハスへ転職した中途入社組だ。
それなりに大きい案件の多いガモノハスでも、あまり規模の大きいラインを負かされたことはない。
そういう意味で言えば、今回の「DMプロジェクト」は俺にとっても、大きなチャンスだと言えた。
* * *
「それで、なにから始めましょうか?」
必要な話を終えた役員が会議室を去り、俺は橋多さんと二人で会議室に残った。
「……仕切り直しってことで、先方企業でも今企画を練り直しているそうだよ。明日の打ち合わせでそれが出てくる。まずは君の顔合わせと、方針決めからだ」
「ほとんどやり直しってことですね……」
「使えるリソースの整理は今プログラマ陣がしてくれている。それも合わせて、どこまでやれるかを明確にしよう」
橋多さんはため息をつき、俺を正面から見た。
「こんなことになってしまったのは僕の責任もあるから、あまり偉そうなことは言えないけど……いくつかアドバイスをしておく」
俺は黙って聞いていた。橋多さんは続ける。
「田山の仕事について、どう思う?」
「……正直に言っていいっすか?」
「ここだけの話にしとくから、どうぞ」
「クズだと思ってます」
橋多さんは笑った。そしてその後、真剣な顔つきになり、言う。
「……そうだ。君のその感覚を否定はしないが、それでも君には彼に見習うことがある」
「え……」
「自分の手を絶対に動かさないことだ」
面食らう俺に、橋多さんは続ける。
「これまでは君がディレクター兼プランナーという形で、ほとんど仕様も自分で切っていただろう? それで回してきたのだからそれについて問題はないが、しかし……この規模のプロジェクトになったらそうはいかない。君自身は手を動かすな。すべての打ち合わせに顔を出せ。その上で、仕事を人にやらせろ。それが君の仕事だ。いいね?」
「……」
俺は無言で頷いた。
* * *
自分のデスクに戻るまでの短い道のりの間、俺は自分に向けられる視線を全身に感じていた。
みな、このプロジェクトに参加して疲弊しきった顔でPCに向かいつつ、ちらちらと俺に目を向ける。
「まだやるのかよ、この仕事……」
「しかも、あいつが? 大丈夫かよ」
「火のついた爆弾を渡されて気の毒に……」
「みんな辞めたし、俺も辞めようかな……」
あまりに雄弁な視線に少なからず苛立ちを感じながら、俺はデスクに戻った。
「ほんとにやるんすねwwww『DM』wwww」
俺は阿達に応えて言う。
「絶対に赤字を出すな、ってさ」
「うほwwww言いますねぇwwww」
俺は自分のPCをスクリーンセーバーから復帰させつつ、新田に向かって言った。
「やれって言うんなら、まぁやるよ。どうにもならないものをどうにかする方法を考えるのがプランナーの仕事だって、前に教えたろ?」
仕切り直されたプロジェクト――通称は「DM2」。期間は1年。
これまでの負債は、諸々計算すると約2億に登る。
――絶対に、これ以上の赤字を出してはならない。
その日から、俺たちの戦いは始まった。
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