二十六匹め『踏み切ってざぶん』

 深夜1時。戻って礼人の部屋。


「ぐがあ~~~~~っっ!」

『センセイ!? 大丈夫ですか、頭が痛いんですか!?』


 タネにすら満たないアイデアメモを虚空へ放り投げて礼人は畳を転がった。さながら炎天下のボウフラのようにびこびこと全身をくねらせて悶える。


(アイデア? 出ないよそんなもの!)


 刀祢に大見得をきった以上、書けませんでしたでは済まされない。

 いや、何かを掴みかけた気はしたのだ。あの時。

 だがそんな感覚は実際に書きだしてみないことには本物かわからない。最悪、思考の行き詰まりに耐えられなくなった精神が見せた幻ということすらある。

 だからすぐに取り出せるメモ用具は必須なのだ。不意に拾った真贋不明のアイデアをすぐに鑑定できるように。


(メモなんか取れる状況じゃなかったもんな……)


 総合的にみて得難い体験だったし感動もあった。

 が、だからこそ軽々に創作の、ましてやコメディなどのネタにしてはならないという自制が無意識に働いたのかもしれない。


「参った……」


 あぐらを組んで座り直す。

 仮に原稿が間に合わなくても刀祢は笑って許すだろう。真剣に話せば断筆の件も考え直してくれるかもしれない。でも。


(一応、僕の方が物書きじゃ先輩なんだよな)


 思い立ってからデビューまで一年かからなかった刀祢相手におこがましいが、礼人にも一抹の自負心がある。作品で語ると約束した以上は違えられない。

 しだいに気持ちが上向いていく。


「っ……」


 ふっと意識のもやから浮上したそれをとっさの判断で掴みあげる。即座に目の前のメモへと浮かんだ言葉を書きつけた。


「ひつ字」

『はい、センセイ』


 不定形だったイメージに一本の芯が通った感触。それを勢いのまま形にするべく満を持して言う。


「専用サポートモードを起動してくれ」

『できません』


 聞きまちがいかと思った。


『そのモードは現在制限されています。起動できません』

「そんな、それは……」


 いつからだ?

 刀祢がかぶった時は……いや、あれはテスト用の機能を使っていた。光刺激による活性を最小限に、作家からの学習も行わないセーフモード。

 ふと、ひつ字がこちらに目線を合わせているのに気付く。


『センセイ。わたしが怖い、ですか?』

「え……?」


 見つめる瞳は真剣そのもの。声にはどこか詰問するような色がある。


「それは――」


 答えようとしたところで画面に着信の通知が光る。

 編集・来島からだった。


『…………いいですよ、出て』


 まっすぐ目を逸らさないままでひつ字が促す。礼人は妙な緊張感のなか通話ボタンをタップした。


「……もしもし」

〈――来島です。メールを確認したので、遅くにすみません〉


 普段と変わらないトーンにほっとする。今夜は一度に色々なことがありすぎた。


「いえ、こちらからお願いしたので。ご迷惑とは思ったんですがどうしても」

〈大丈夫です。訂正は充分ですか? あと少しなら余裕がありますけど〉

「ありがとうございます。今のところはもう。……あの、ちょっと聞きたいんですけど」


 礼人は今しがた起きたことについて説明した。

 少しの間。


〈……紙垂ひつ字の一部機能は現在こちらでロックしてあります〉


 目前の彼女と目を合わす。とても近いがなぜか押し退ければ怒らせてしまう気がして、代わりに座り直すふりをして体の向きを変える。


〈お預けした何人かの作家さんから健康被害ともとれるご報告がありまして。具体的には使用中の記憶が薄れる、また使用後の倦怠感や躁鬱そううつなどです。牧先生も、その〉

「ああ……そういえば、はい」


 前回使用した夜の記憶はもやがかかっているよう。

 説明を聞いてからはひつ字の影響だろうと薄々理解しながらも深く考えなかった。ふだん何週間とかけてすることを一晩で終わらせたのだから何かしらあって当然だろうと。


〈今は製造元に問い合わせている状態です。充分に安全テストはしているの一点張りであまりかんばしくはありませんが……〉

「じゃあ、使えないんですか?」


 来島は黙り込む。

 回り込んで顔をのぞきこんでくるひつ字から礼人は目を逸らした。さらに間合いが詰まっている気がする。


〈……機能のロックは私が独断でしていることです。局長は理解してくれましたがその上でプロジェクトを今止めるわけにはいかない、と〉


 それはそうだろう。いち編集局がAI作家を導入したところからすでに大勝負だというのに、さらに独自の運用で売り出そうというのだから。どれだけの額が動いているのか想像もつかない。

 礼人は彷徨わせていた焦点を追いかけてくるひつ字へ合わせた。ぴたりとその動きが止まり、大きな瞳が窺うように見上げてくる。


「来島さん、ロックを解除してもらえませんか?」


 息をのむ気配。


〈……危険かもしれないとお伝えしたつもりですが〉

「前回くらいなら大丈夫です。時間もたぶんずっと短いですし……」

〈そんなのわからないじゃないですかっ!〉


 今度は礼人が固まった。感情的な来島の声に。


〈……すみません。ですが光刺激によるニューロンコントロールはいまだ不明確な部分の多い技術です。法整備が進んでいないだけで……もしかしたら執筆のような特定の精神活動に対してのみ悪影響をもつ可能性だってないとは言い切れません〉


 心配してくれているのだろう。つい先ほど見た神辺の様子を思いだす。

 それでも書きたいことが、伝えたいことがあった。少しだけ生き急ぐ理由が。


「すみません。でも八ケ代先生を説得するのにどうしても必要なんです。ひつ字の力が」


 ぼふぅっと蒸気エフェクトが噴きあがった。

 目の前の顔がみるみる赤くなり、すごいスピードで画面端へ飛び込んでアイコン化する。


〈……いち編集人として、牧先生に危険を冒してほしくありません〉


 絞り出すような声だった。気持ちが揺らぎそうになる。


「えっと……来島さんが持ってるのってひつ字のマスター権限ですか?」

〈いえ、私のはサブマスターで、マスター権限は本社のコンピューターにあります〉

「僕たち作家が持たされてるのは?」

〈……サブマスター権限です〉


 やっぱりだと礼人は思う。最初にユーザー登録をしたときそう表示されていた気がする。

 ということは来島ができる設定は礼人にもできるということだ。


〈い、今からパスワードを設定します〉

「つまり今は無効にしてるだけで鍵かけてないんですね」


 変なところで抜けている。いや、あるいはそれが来島の独断としての精一杯なのかもしれなかった。完全に制限してしまえば続行という局の方針に逆らうことにもなりうる。


「すみません来島さん。明日また連絡します。ちゃんと休んでくださいね」

〈待っ――!〉


 であれば、これ以上の問答は酷だろうと思った。

 彼女は作家としての礼人をただ案じてくれている。そんな彼女の了承を一から十までとりつけるのは忍びなかった。


「ひつ字」


 机に向かい呼びかけるも反応はない。アイコンをタップすると赤い顔のままのひつ字がしゅるんと現れた。


『……はいっ!? な、なんでしょうっ?』

「専用サポートモードの制限を解除してほしい」

『了解、制限を解除しました。モードは現在有効です』


 機械的な口調でアナウンスしたあと、再びあわあわと視線を彷徨わせる。


「どうしたの?」

『いえっその、センセイが必要としてくれるのは嬉しいんですけど! ちょっとは、恥ずかしくて』

「恥ずかしい?」


 思いもしない言葉についおうむ返しした。


『はい。わたし、ここじゃあんまり役に立ってないじゃないですか。学習もそんなに出来てませんし……。ヒトのセンセイはどんどん考えを変化させるているはずで、でもわたしはそれを分かってなくて……だから、上手くできるかな、って』


 そういえば一度目の朝もひつ字はこんなふうに俯いていたなと思い返す。不安定になるのは案外AIの方なのかもしれない。それに引っ張られて人間も……というのが真相なら面白いなと益体なく思った。


「分からなかったら聞けばいいよ」


 ひつ字の手を包むように捕まえる。


「こっちもいろいろ試しながらやるからさ。ひとつひとつ確実に書いていこう」


 スピードのせいで大事なものを見落とさないように。人とAIだからこそたどり着ける結末を目指して。それがきっと刀祢への答えにもなるはずだ。


『……わたしのこと、怖くないですか?』


 初めの問いが繰り返される。礼人は神辺の話を思い出した。

 結果からさかのぼって原因がつくられる、“憑き物”とはそういうものだと。

 ならば礼人の今後こそがひつ字が何者かを決めることになる。


「大丈夫だよ。君を憑き物になんてさせない。僕がそれを証明する」


 自分だけは大丈夫、なんて思わない。

 けれどそうしなければならない気がした。誰よりも先んじてマスターとなった作家として。

 ひつ字はぴょこんと耳を立ててこちらを凝視したあと、


『……はい、わたしに教えてください、センセイ』


はにかむように腕を広げた。

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