十三匹め『ぞくぞわの眼差し』

 茶の間に、トツトツとタッチキーボードを打つ音が響く。

 正座した礼人の前には梓が運んできてくれたアイスコーヒーが、その向こうにはヘッドマウントディスプレイをかぶる刀祢の姿があった。

 ものは試しという礼人の強い勧めにより刀祢自身が執筆アシストAI・紙垂ひつ字を試している。


「ふぅん、へえ……」


 たまに興味深そうな吐息がもれる以外はリアクションはない。ただキーボードをタップする指だけは止まることがなかった。


「私のひつ字のほうがきっと良いのに」


 高級そうなティーカップでメロンソーダをかたむけながらクシビがこぼす。身体に悪そうな緑色と白磁はくじのコントラストがきわめて背徳的だ。

 クシビも当然ディスプレイを持ってきていたが、仕組みを聞いた刀祢は「俺にも選ぶ権利はある」と問答無用に礼人のそれを被ってしまった。


「まず体験してもらうのが先決だと思います。誤解が解ければきっと考え直してくれるはずですし、それからでも」


 なだめつつも礼人は少しワクワクしている。

 今書かれているのは『牧礼人の感性に影響を受けた八ケ代刀祢』による作品。どんなものがアウトプットされるのか興味がないかと言われれば嘘になる。

 ふと、クシビがじっとこちらを見ていることに気付いた。


「私、刀祢さんに考え直してほしいなんて言ったかしら」

「……え?」


 言っていた、ような気がするが。とっさに思いだせなかった。


「違うんですか?」

「えぇ、私は決着をつけにきただけ」


 クシビはするりとスカートの下で足を組みかえた。白いソックスの爪先が礼人へ向く。


「私、何をするにも標的が必要なの。自分一人だと何でもそこそこ出来てそれなりに満足してしまうから」


 つまらなさそうに言う。


「でもお仕事ってそう変えるわけにもいかないでしょう。だから常に自分より上の誰かを狙いさだめてモチベーションを保っているの」


 あるいは彼女を見て感じる不統一感はその無秩序むちつじょな才気によるものかと礼人は考えた。例えるならいくつもの画法画風をひとつの画面に詰め込んだ絵のような。


「といってももうかなり細分化してしまったわ。娯楽小説の要素すべてで私の上をいく存在なんてそうはいないから。ストーリー、キャラ、情景描写、バトル、死、幻想、SF……それぞれ標的に定めた作家さんがいる。刀祢さんはさしずめ“ギャグ”の標的というところ」


 礼人はよくよく話を噛みくだくと、確認する。


「つまりは心の師、のような……?」

「どちらかというと好敵手ライバルね」

「ストーカーだ」

 

 三者三様の答え。見れば刀祢がディスプレイを脱いでいた。


「可哀想に刀祢さん。挫折ざせつのあまり身のたけまで分からなくなったのね。文字通り」

「やかましい身長は関係ないだろ!」


 あわれむようなクシビに刀祢が目をむく。


「安心して。恋愛で執着されない刀祢さんにだって価値はあるわ。むしろそんな些末事さまつごとより文章で人を笑わせられることの方がずっと重要ではなくて?」


 クシビは空になったカップをソーサーに置いた。


「だから、勝手に筆を折られると困るのよ。せめて私に一言『参りました』と断ってからにしてくれないと」

「誰が言うかっ! そんなもの、適当に次の獲物を見繕みつくろえばいいだろう!」


 怒鳴る刀祢がひときわ強く机を叩いた。


「いないわ」


 無意識にカップを持ちあげたクシビは、その底をのぞくように目を伏せる。


「いないのよ代わりなんて。少なくとも私にとっては」


 礼人はほっとした。奔放な言動に気が気ではなかったが、彼女もやはり刀祢のファンではあるらしい。


「……わかったよ」


 刀祢は頬杖ほおづえをついてあさっての方を向いた。


「『参った』と、これでいいだろ。帰れ」

「申し訳ないけれど、まともな社会人の降参とは思えないわ。ちゃんと床に両手をついて『二度と落雷坂クシビ先生を差しおいてギャグ作家は名乗りません』と誓うの」

「社会人は土下座降伏を強要したりしないんだよ! スプラッタギャグしか書けないクセによくそんな口がきけるな!?」


 礼人は再びはらはらしながら心の隅でそっと同意した。

 落雷坂クシビのコメディシーンはちょくちょくエグい。裸を見られたヒロインが突如サディスティックに変貌へんぼうしてあたりが血の海になったりする。

 もともと流血沙汰の多いバトル系の作風なのでそこまで浮いてはいないが、キャラが普通に可愛く魅力的なだけに思わず「もどして」と言いたくなることもしばしばだ。


「あのやり方がいちばん一文あたりの攻撃力DPSを稼げると思うのだけれど」

「小説をダメージレートで語るなあっ!」


 青筋たてて刀祢が怒鳴った。さすがにマズいと礼人は割って入る。


「そ、それより八ケ代先生! どうでしたか、その……」


 目線でそれとなくディスプレイを示す。あぁ、と刀祢は肩をすくめた。


「書けたから読んでもいいぞ。毎度のごとくばかばかしいやつだけどな」

「なら私も読ませてもらおうかしら」


 許可を受けて礼人はスマートグラスの接続ペアリングをオンにする。視界に再び二人のひつ字が現れた。


『……うぅっ……ぐすっ……えぐっ』


 白いほうのひつ字が座卓の上でくずおれ泣いている。


「ひつ字、行儀ぎょうぎが悪いから降りて」

『うぅっやっぱり力及びませんでしたぁ……候補予測サジェストの採用率、1%未満です……』


 思ったよりなお少ないとはいえ予想できたことだった。礼人のサポートに特化して学習したひつ字に、まるで作風の違う刀祢のサポートが務まるはずがない。しかも刀祢が使ったのはゲスト用に機能が制限されたセーフモードだ。


「ずっと類語辞典とシナリオの教科書を読みながら書いている感じだった。アヤトならここでこう書くのかとか、そういう面白さはあったけどな」


 出来あがった作品をクシビにも転送してから読み始める。

 内容は前に刀祢が書いたストーリーをあるキャラクターの一人称視点からたどるものだった。いわゆるスピンオフ。


「せっかくアヤトの書きぐせを使えるなら一人称でやろうと思ってさ。難しい言葉は言い換えたりしたけど」

「いやこれ……ぶふっ」


 原作で寡黙かもくだった聞き役が、心の中で全てのシーンにツッコミを入れていくというもの。生真面目で主人公に振り回される彼が発するたまの一言はどれもクスリとさせる切れがあったものだが、それが氷山の一角に過ぎなかったと分かる。

 まるでドラマのオーディオコメンタリーを見ているような。原作を一読しただけでは気付かなかったような突っ込みどころが怒涛の勢いで掘り返され斬り捨てられていく。


「く……ひくっ、ぐふふ……ッ!」

「笑い方キモチ悪いなお前!」


 刀祢に指摘されつつページにして40枚ほどのそれを一息に読み終えた。


「面白いですよこれ!」


 心からそう思う。それは刀祢がいまだ小説への情熱を失っていない証明にも思えた。


「まあ急造にしてはな。けどこれくらいなら俺は一人で書ける」


 屈託ない感想に表情をゆるめたのもつかの間。


「言葉えらびもプロットの練り込みも、作家自身が時間をかけて血肉ちにくにしながらやるもんだろ。それを人工知能にやらせて多少筆速を上げたところで、先にあるのは作家のれ死にだ。アイデアが枯れて語彙ごいが死んで、それでもそれなりの物が書き続けられる。まるで作家のゾンビ・パウダーだな。そういうもんだろ、これは」

『っ……』


 刀祢の言葉にひつ字が息をのむ。

 鋭いと礼人は思った。編集・来島も言っていたからだ。「どうして最初から事実を教えてくれなかったのか」という礼人の問いに対して。


〈――この企画は創作に対して真摯しんしな作家さんにしかお願いできません。アシストAIはいわば《生みの苦しみ》からの抜け道。その気になれば候補予測サジェストに従うだけで作品を完成できてしまいます〉


 つまり自分は来島の信頼を得ることが出来たらしいと内心うれしく思ったものだが。


〈――牧先生は常に苦しんでいるようなものかと思ったので。楽をするという発想自体が出ないだろうと〉


 聞かなければよかった一言まで思いだしてうなだれる。

 ともかくひつ字の本質が隠されていた理由には確かに刀祢が指摘したような問題も絡んでいた。


「で、ですが……!」

「お前が使うぶんにはとやかく言わないよ。分かっててやるんだろうしな。けど俺はごめんだ、関わるのも」


 それきり口を閉ざす刀祢。

 なんと説得したものか考えていると、読み終えたらしいクシビが声をあげた。


「つまらないわ」


 これ見よがしに溜め息をつくと、AR上の原稿を放るように宙をフリックする。


「なんというか、陳腐。それにクドい。やっぱり私のひつ字を使えば良かったんだわ。売れない零細れいさい作家のものなんかじゃなく」


 しょげていたひつ字がはっと、いっそう不安そうな表情で礼人を見上げた。それに首を振って微笑んでから、礼人は自身を鼓舞するように舌に力をこめる。

 が、礼人が言い返すより早く、刀祢が彼女を睨んで言った。


「話を聞いてなかったのか? だいたい俺はアヤトのファンだが別にお前のファンじゃない。お前のデータを使ったところで面白くもなんともない」

「ふぅん?」


 クシビが礼人を見る。暗い笑みに背筋がざわつく。


「なら、なおさら帰るわけにはいかなくなったわ。そんなどうでもいい私に自信を折られる刀祢さんなんて、すごくレアで可愛いでしょう?」


 雰囲気が変わる。それは彼女の目の焦点であり、声の抑揚よくようであり、わずかに椅子の背から起きた上体の向きだった。

 常なら「目標」や「あこがれ」というべき感情、それをクシビ自身が「標的」、刀祢が「獲物えもの」と称した理由を礼人は体感的に察する。


「明日までにコメディで一本書くわ。それで八ヶ代刀祢を完全に絶筆させてみせる」


 “競走”ではなく“闘争”。万事においてその公式をあてはめずにはいられない人間は、物語の中はもとより現実にも一定数存在する。クシビもそのクチなのだろう。

 刀祢が眉間みけんを寄せた。


「何を勝手な……」

「せっかくだからあなたも参加してはどう? コメディ向きの作風には見えないけれど。打ちのめされた刀祢さんへ慰めくらいにはなるのではなくて?」


 提案は礼人へ向けられたもの。


『せ、センセイ、あんな風に言われてますよ! いいんですか?』

「…………」


 憤慨ふんがいするひつ字に礼人は無言。

 コメディは苦手だ。娯楽小説には欠かせない要素だが、それも極力シリアスな作風を維持することで避けてきた。編集側からどうしてもと言われ書いたギャグシーンへの反応を思いだすたび暗澹あんたんたる気持ちになる。


(絶対必要っていうから書いたのに真顔で『これ要りますか?』はないだろう……!)

『せ、センセイ? すごい不安とストレスを感知しているのですがっ! まるであの夜のセンセイような!』


 心配する半面なぜか嬉しそうなひつ字をいったん取り外す。ディスプレイを机に置くと二人へ向かった。


「もし、の方が面白いものを書いたときは」

「ありえるかしら、そんなことが?」


 クシビの茶々を無視して身を乗り出す。刀祢の方へ。


「そしたら八ヶ代先生、作家をやめることを考え直してくれませんか」

「アヤトまで……」


 刀祢は怒ったような、泣きだしそうな表情をした。


「俺は、八ヶ代先生の作品が好きですし作家として尊敬してます! こんなくだらないことで筆を折ってほしくない!」

「くだらない?」


 険のある声でクシビが繰り返す。


「局の方針が気に入らないならそれでもいいです。もし俺が勝ったら、俺のために小説を書き続けてください!」

「なっ、あ、ば……っ」


 刀祢が絶句した。心なしか目がうるんでいる。


「馬鹿なこと言うなっ、ろくな稼ぎもないくせにプロに向かって『書け』だなんて」

「う」


 そう言われると返しようがない。作家といえど目から活字を食べては生きられない。

 刀祢は紅潮した首筋を隠すように手を当ててそっぽを向く。


「だからお前は自分の心配をしてろっ。……アヤトこそ、時間をかけていいものを書けばいいんだ。別にうちは居候いそうろうのひとりやふたり……」

「え?」

「なんでもない! ともかくもうタクシーも店じまいだ、今夜は泊まっていけ。どう過ごそうと好きにしたらいい」


 その言い方は礼人とクシビの勝負を黙認するともとれた。

 クシビがぱちりと両手を胸の前で合わせる。


「決まり、ね。それじゃあ」


 その指が続けて宙を滑る。フリックしタップし、何かを操作し終えると礼人に向かってうっそりと微笑んだ。


作品めいし交換しましょうか。もう一人のマスターさん?」


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