十四匹め『小手調べでへろへろ』

 早く、速く、疾走はやく。

 文字列は脳裏を走り抜ける。読み手の意思すら無視して、その目をつかんで離さない。


「く、うっ、ぐふぅ……ッ」


 主人公と怪物フリークスが激突する。互いを削り切るまで止まらない撃剣の輪舞曲ロンド


「はあっ……はあっ……!」


 ページを繰る手が加速。脳内を火花散らし駆け巡るバトルシーンはさながら電磁誘導のように決着の瞬間をその中枢へと直撃させる。


「うわあああぁぁぁ……!」


 礼人は仰向けにどうと倒れ込んだ。活字が途切れたのと同時、糸が切れたように。

 目の前の空間には落雷坂クシビによる新作原稿、その最終ページがある。


(“終”の字まで格好よく見える……だと……)


 怪物に突き立てたナイフの手応えが、飛沫ひまつと舞った血の奇妙な冷たさが、現実のように五感へ残っている。

 礼人の渡した『旧世界のしるし』から顔をあげたクシビが二の腕をそっとさすって見下ろした。


「氷雪系、それも主人公の内と外の温度差で攻める熱量操作ねつりょうそうさ型とみたけれど。そんなニッチな作風で王道を往く私の創作理論セオリー雷撃の黄泉姫ライトニング プリンセス』に勝てると思う?」


 その表情には余裕がある。いっぽう礼人は息をつかせぬ展開に揺さぶられ消耗しょうもうしきっていた。


(意味不明なのに凄い説得力だ……!)


 まさに電気の走るような読み味だった。アシストAIを使うことでそれは失われるどころか鮮烈になっているとさえ感じる。


「どんな技能もきわめればその成果物から使い手を逆算できるというのが私の持論。作品を見るにあなたは、まだひつ字を自分色にめきれていないようね」


 クシビはひざで眠る黒ひつ字の背中をなでた。むくりと寝ぼけ顔が起き上がると今度はその下あごがネコのようにかいぐられる。


「新作は一年以上前に出たきりだし、これがひつ字との処女作かしら? お互い余裕がなくて初々しいのはいいけれど、無事に終わらせるので手一杯。勿体もったいないわね」


 立ちあがった幼い身体を白い手のひらが蜘蛛くものように這った。


『ぁっ、や、ゃあです、クシビおねえさまぁ』

「もっと深くけ合わないとベストなものは書けないでしょう。物足りないのではなくて、そちらのひつ字さん?」


 水を向けられひつ字がピンとその背を伸ばす。


『そっ、そんなことありません! センセイは上手で格好よくて、い、いつも大満足です!』


 言い方があるだろうと礼人は顔を覆った。

 クシビはそんな反応を楽しむように口端を切れ上がらせる。


「そう、ならここが上限、伸びしろいっぱいということなのかしら。いずれにせよ私の敵じゃない。それはコメディにしぼったところで同じでしょうね」


 さらに礼人を見下ろし立ちあがった。


「部屋に戻るわ。私はすぐにでも書き始められる。せいぜいあなたは打ちひしがれてからかかるといいわ。零細作家らしくね」


 長い髪をなびかせきびすを返すと、もはや興味はないとばかりに部屋を出ようとする。

 だがそれに先んじて障子が開いた。


「あ、お夕飯です」


 梓だ。頭に白い三角巾を巻き、エプロンを着けている。


「……!」


 クシビが固まる。

 台無しだった。『去り際のひと言』は万が一そこで去れなかった場合、格好つけたあとほど残念なことになる。

 刀祢がくっと喉を鳴らした。


「さすが、売れっ子はな。俺は好きだぞ、お前みたいな美形がスカされて三枚目に落ちるネタ」


 黒髪からのぞくクシビの耳がさっと朱に染まった。


「っ、刀祢さんのバカっ!」


 言い捨てると逃げるように退室する。早歩きの足音が遠ざかる。


「……どうしたの?」


 きょとんとした梓が責めるように刀祢にたずねた。


「なんでもない、さあメシだ。たしかもらい物の酒があったろ。アヤト、飲むよな?」

「いや、僕は」


 このあと書かなければいけない。


「……本気か? 煽られたからって受けなくてもいいんだぞ。あれはああいう性格で、誰かとやり合ってないと生きてられないだけなんだからさ」


 とりなす刀祢に首を振った。


「いえ、やってみます。こうなったら八ヶ代先生に負けてられないって思わせられるようなコメディを書いてみせます」

「アヤト……分かったよ、そこまで言ってくれる奴がいるんなら俺にもまだやり残しがあるのかもしれない。もしお前の作品で熱が戻ったなら考えてみてもいい」


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