十二匹め『妖しいくすくす』

 結局、通されたのは応接間ではなく畳敷たたみじきの茶の間だった。

 長方形の座卓にテレビ、本棚。読みかけとおぼしき本が何冊も平積みされている。


「縁側に面してるぶん、こっちの部屋のほうが昼は明るくていい」


 刀祢が出してくれた座布団に礼人は正座する。クシビは短い脚のついた座椅子に深く腰掛け、するりと足を組んだ。梓は一間むこうの台所にいるらしい。


「その、八ケ代先生、急に押しかけてしまってすみません」

「まったくだ、なんてときに来る。あんな別れ方をしたっていうのに物好きな」


 怒りはなりを潜めたようで、気まずそうに刀祢は応じた。

 あんな、というのは駅の改札で礼人を罵倒ばとうしたことだろう。


「もう気にしてません。それに、あれで覚悟が決まったんだと思うので」

「やめるのか?」


 一転して心配そうな顔をあげた刀祢に礼人は笑って首を振った。


「続けます。たとえホームレスになっても」


 安堵だろうか。刀祢の表情はしかしすぐまた複雑な影をおびる。


「そう、か。まあ好きにしたらいい。あながち間が悪かったとも言いきれないしな」

「と、いうと?」


 刀祢はふてくされたように机に突っ伏すと、親指でクシビを指した。


「一生の頼みだ、アヤト。このサイコ女を今すぐ連れ帰ってほしい。きいてくれたらお前が住所不定無職になったとき住む場所くらいは世話してやってもいい」


 確定事項のように言わないでほしいと礼人は思う。一方でクシビは膝にのせた黒いミニひつ字を撫でたり抱き上げたりして我関われかんせずといった様子だ。


「……本当にあの落雷坂クシビ先生なんですか? 『ワールドエンド・パスポート』や『獄彩ごくさいアるスまグな』の? 累計発行部数500万突破の?」


 魔窟まくつのような業界だと改めて実感する。少なくとも自分はついさっきまで人気作家・落雷坂クシビに男性の、それもタフでエネルギッシュな人物像をあてはめていた。

 そのおよそ対極にある目前の彼女が、ほんの気まぐれのようにこちらへ向く。


「心地のいい猜疑さいぎね。真実よ。見えてるんでしょう? 私のひつ字」


 クシビは黒ひつ字をぬいぐるみのように抱き寄せほおずりする。まるで本当にそこにいるかのように。


『きゃ、あははっくすぐったいです、クシビおねえさまぁ』


 黒ひつ字もそれに応えて甘い声を上げた。


『せ、センセイ、なんだか無性に恥辱ちじょく的な気分なのですがっ』


 礼人の背後でひつ字が目をおおう。赤ん坊に鏡を見せて自己意識を測る実験があるが、これも一種の鏡像認知きょうぞうにんちだろうか。


「刀祢さんが筆を折ったときいて駆けつけたの。1日と1時間32分前にね」

「お前が来たのは今朝だったろうが」


 刀祢が突っ込む。ちなみに今は午後4時だ。


「無駄にきざんで細かく言うとキャラが立つと思うの。私だけ?」

「だったらせめて正確な時間を言えっ! お前のそういうパンチ力だけで設定を決める作風が俺は大嫌いだ!」

「売れてるけれどね、くす。ノリで生やした設定を、後半でちょっと拾って伏線ですって顔するだけで読者は大喜びするの。小説って簡単ね」

「こ、殺してやる……!」


 かつてない怒りのオーラをまとった刀祢が腰を浮かせた。どうもこの二人、創作論において水と油らしい。

 クシビは悲しそうに長いまつ毛をふせた。


「けれどひどいわ刀祢さん。私を追い返そうだなんて、なぜそう無駄な手間を増やそうとするの? どうせ最後には泣いて作家に戻りたいって言うに決まっているのに」

「言うか! どうしてお前はそう自分の成功を信じて疑わないんだ!?」


 礼人はようやく本来の目的を思いだした。


「そうだ八ケ代先生きいてください。誤解なんです。ひつ字はニンゲン作家に取って代わるためのものじゃありません!」


 ヒートアップする二人――沸騰ふっとうしているのは刀祢ひとりだが――に割り込もうとするあまり、つい声が大きくなる。


「……どういうことだよ?」


 身を乗り出した礼人の圧に、刀祢は胡散臭うさんくさそうにしつつもあぐらを組み直す。

 礼人は見てもらった方が早いとバッグに手を伸ばした。

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