二十三匹め『ぶちっとキック』

 ドアの向こうは殺風景な三畳ほどの部屋だった。

 リノリウムの床に高めの敷居があり、入り口から奥行き5分の1くらいのところを手前と奥で仕切っていた。


 ザッと視界にノイズが走り部屋全体をARが上書きする。


 敷居の奥は畳が敷かれ、手前は下足場だと分かった。

 畳まれた布団に行李――竹編みの荷物入れ――それに文机。置かれた日用品といえばそれくらいのもの。

 だがもっとも目を引くのは左の壁に作られた壇だった。最初の堂で見たのと同じ構図の仏画が掛けられ、その下に獣の木彫りがふたつ供えてある。それは生木のままの姿であり、形や彫りのクセから同じ手によるものと思われた。

 壇の前で頭を剃り上げた男がひとり、小刀を手に無垢木へ向かっている。


(この人が“上戸浩信”?)


 再度強いノイズ。


 木彫りが五つになり男が割烹着の女と入り口で、つまり礼人のすぐ隣で楽しげに話している。礼人は思わず後ずさった。

 割烹着の胸には“谷中”と札が縫いつけられている。その顔をみて遅れて入ったクシビもぎょっとした。


「梓、さん?」


 そっくり、というかまんまだった。よく見れば服装に加え体型が微妙に違っている気はするが。


「これは――」


 クシビが曲げた指を下唇へあてた時、みたび画面の転換が起こった。


 部屋の奥、仏壇に供えた九つの木彫りを背にして上戸浩信が尻餅をついている。

その前に仁王立ちするのは梓――もとい世話人の谷中。


《――私も――連――――って!》


 ノイズがひどい。ボオオ、とまるで船倉の中にいるように声が遮られ反響する。

 訴える女に上戸浩信は怯えるように首を振った。


《こ、困らせないでくれ! 僕には信じて送り出してくれたひとがいるんだ!》


 トンネルを抜けるように徐々に鮮明になっていく声。


《いやっ! どうしてそんな嘘をつくの? 私、ワタシは……!》


 ぶるぶると震える女の手には金属製のスキットルボトル。ちゃぷちゃぷと音を立てるそれの蓋が落ち着きない手つきで開けられる。


《こんなにあなたを慕っているのに! ねえ!》


 上戸浩信が片腕で胸をかき抱くように後ずさった。


《許してくれっ、病で滅入っていたんだ! 君とのことは気の迷いだったんだあっ!》

《いやっ、いやーっ死んでやる! 死んでやるわ! あなたも一緒に……!》


 ボトルの中身がぶちまけられ上戸浩信にかかる。女の擦ったマッチがその上に落ちた。

 彼が燃え上がり断末魔の絶叫がひびく。女はうっとりとして、もがくそれに折り重なると高く持ちあげたボトルをかたむけた。


「…………」


 炎が巻きあがり視界をふさぎ、まるで映画のカットのようにシーンを変える。


 真っ黒に焼け焦げた部屋の残骸だけが広がっていた。耳を覆うノイズもなくなっている。

 ヒュゥッと息を吸い込む音が隣でした。


「ただのヤンデレじゃないっ!」

「抑えてください先生!」


 スカートで蹴り足をふりあげたクシビを礼人はなだめる。

 ぴぽん、というSEと一緒にひつ字のアイコンがフキダシを表示した。


  <[心中ですか?]


「え? ああ、うん」


  <(@^-^@)


 嬉しいらしい。たぶん電車で言っていた認識と事実のすり合わせというやつだろう。今はそれどころじゃないが。


「だいたい大戦前の女が『あなたを慕っているのに』なんて臆面もなく言うと思って!? 火か水か、くらい言ったらどうなの!?」

「そこに怒るんですね!?」


 明治女性のスタンダードが平塚雷鳥らいてうというのも大概だと思う。というか声が大きい。


「そ、それよりこれで終わりでしょうか?」


 もういいだろう。結局笑いの極意とやらも掴めなかったし。


「そうね、あとはお約束のアレかしら」


 クシビが床の仕切りをまたぐ。

 焼け跡のなか、仏壇の掛け軸だけがずり落ちた状態で残っている。

 不思議と焦げひとつない仏画を床の不自然な盛り上がりからはぐった。


「……」


 下から現れたのは人型の炭。熱のためか膝を曲げて丸まるような形で転がっている。

 クシビは平然と焼死体の胸元に手をつっこむと組まれた腕をひっぺがした。ボロリと崩れたそれが礼人の足元へ放られる。


「うへぇ」


 大変にリアルだ。怪奇要素がないぶん生々しい。礼人は閉口した。

 はがされた死体の胸に光るものがある。


「これが最後のキーね」


 クシビにならって手を伸ばした。


  [アイテムを取得:病気平癒のお守り]


 直後、あたりがさらに暗くなる。代わりにぽつぽつと、熾火おきびのような炎が立ち始めた。


 ザガ――ッギキイイィィィィ――


 あの音だ。

 そう、いわゆる逃げ系と呼ばれるホラーではお約束の展開。

 振り向くと女が立っていた。その姿は先ほどまでと何ら変わりない。


――カ――エシ――テ――!


 ひび割れた声と共にその輪郭が変化する。本堂前でみた異形そのままに。

 ぐっと横へ腕が引かれた。


「逃げるわよ」


 掴みかかってきた異形をかわし回り込むようにクシビと移動する。

 ドアをくぐる直前クシビが振り返って足を止めた。


「思いの残骸。……そうね、いっそ永遠に続けば貴女もそんな姿にならずに済んだのにね」


 ――カエシ――テ――アノ――ヒトノ――


 クシビは浮かんだ痛ましそうな表情をふり払うようにきびすを返す。

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