二十四匹め『秘密基地どたんばたん』

 廊下にも火の手は回っていた。

 むろんARによる映像で、一般のゲームでいう生命ライフポイント等の数値も持たない礼人たちに実害はない。せいぜい炎の音が耳障りなくらいだ。であるなら。


「……こんなにっ、急いで逃げる、必要あるんですっ、かね?」


 来たルートを駆け足で戻る途中、礼人は訊ねる。


「あるに決まってるでしょうっ」


 せわしなくスマートグラスを外した視線を左右させてクシビは答えた。


「何のために来たと思っているの。このイタズラをしかけた犯人を暴くためよ」

(挑戦じゃなかったんだ)

「犯人が私たちを呼びこんだ理由は何だと思う?」


 問われ考える。が大したことは思い浮かばなかった。


「えと、びっくりさせたかったから、とか」

「まさにそれよ。そうするとこの場に足りないものはなに?」


 フィールドにモンスター、それに犠牲者。あとは――


「……観客?」

「そう、ここには驚く私たちを覗き見る目が欠けている」


 ふわりと何かの芳香が風に混じった気がした。


「そこ!」


 クシビが礼人から見て炎の中へ踏み込む。わあっと甲高い悲鳴がした。

 スマートグラスをずらすとクシビが何やら布をかぶった子供くらいの塊をひっつかまえている。

 ちょうど頭部というべき辺りが切り抜かれ、スマートグラスをかけた目がのぞいていた。


「うふふふふ捕まえたわ。あなたが監視役ね?」


 闇になじむ暗色の布がはぎとられる。

 中身は夕食のときに見た覚えのある3、4年生くらいの子供だった。


「ほ、本当に子供? いや、でも……」


 それにしては全体のクオリティが異常だ。クリーチャーひとつとっても獣の口や毛皮などモチーフの統一はなされていたし、舞台も現実の歴史にのっとったものだった。

 ちぐはぐだ。素人仕事でないのは歴然で、なのにかなりの箇所で稚拙さもある。


「子供は好きよ。折れないし、文句は正面から言ってくれるし」


 クシビはほんの一息つくように吐き出した。


「でも、悪戯には罰が必要ねぇ」


 子供の顔がさっと色を失うのが暗い中にもわかった。


「私ねぇ、あなたくらいの子の舌や指を集めるのが大好きなの」


 がたがたと震えながら自分へ向けられた視線に礼人は沈痛な表情でこたえた。


(ごめん、どうすることもできない)


 子供の顔に絶望が色濃く影を落とす。

 異形に勝るとも劣らない軋んだ声でクシビは彼に囁いた。


「ここにはぁ他にィ誰もォいないからねェえ」


 泣き叫んで暴れる子供の腕がパッと放される。

 脱兎のごとく遠ざかる背中を満足げにクシビは見送った。


「さて追うわよ。これできっと秘密基地まで案内してくれるでしょう」

「怒られても知りませんよ、あんなに脅かして」


 もし礼人が同じ目にあったら間違いなくトラウマになる、そんな演技だった。


「探偵は真実にたどりつくまであらゆる不道徳が許されるのよ。いざとなればあなたを身代わりにすることも厭わないわ」

(厭ってください)


 文字通り命懸けの逃走を、クシビも礼人もそれなりに本気で追いかける。最初の分かれ道を今度は右側へ進み、角を曲がった所でその姿を見失う。

 だがガチャン、と閉まる戸の音が次の角の向こうから聞こえた。

 木の引き戸が両側に二つ、三つと続くうちの一つ、中から明かりがもれドタバタと騒がしい戸をクシビは問答無用で開け放つ。


 ぱっと差した光に礼人は目を細くした。

 部屋の中は修養部屋に似た小部屋、だが面積はやや広く物も散らばっていて生活感がある。

 室内には数人の子供。そして。


「神辺、さん?」


 ヘッドマウントディスプレイをかぶり、せわしなく宙をタップする彼の姿があった。

 甘い臭気が鼻をつく。

 わっと子供たちがクシビの脇を抜け飛び出していく。そこにはクシビが腕相撲で最後に負かした少年の姿もあった。全員が全員スマートグラスをかけている。

 礼人はひどく動揺している自分に気付いた。


「あなたが実行犯ね」


 神辺の顔がこちらを向く。ディスプレイで表情はうかがえないが、その口元はぼんやりと開いていた。


「……あぁ、あなたッスか」


 その声はクシビを通り越して礼人へ向けられたものらしかった。親しげな、しかしどこかうつろな声が部屋に微かにこだまする。


「どうもすみません。子供らには人に迷惑かけないようにって頼んだんッスけど……」


 話しながらもその指は止まることがない。彼だけに見える作業空間に何が展開されているのかはもはや容易に想像できた。


「どうして、こんなことを」


 予感はあった。

 歴史を語る口調や眼差しから、創作に身を置く人間かもしれないと感じた。

 だが的中してほしくはなかった。

 その語り口は軽やかで、視線には思いやりを感じたから。


「いやあ、ジブンはここへ来る前にこういうイベントやゲームを作る会社にいたんッスけど。何か作ってないと落ち着かないんスよねぇ、イライラするっていうか」


 史実をいたずらにグロテスクに加工し、ぞんざいに恐怖の対象へ押し固めたようなホラーが彼の手によるものだと思いたくはなかった。


「これ実は辞める前から温めてたアイデアで。ここに来てから、それと最近で一気に形になった感じッスね。いやぁ、子供の発想力ってスゴいッスねぇ」


 合点した。それでか。作品のトーンが途中から歪んで感じられたのは。

 惜しい、と思う。せめて彼自身が最後まで向き合い作りあげた作品と出会いたかった。


「……」


 クシビが無言で神辺に歩み寄る。

 その手が神辺の頭からディスプレイをとりあげた。


「ぁ……?」


 神辺がきょろきょろと辺りを見回す。何が起きたのか分からないようにその手が宙を幾度も往復する。

 その形相に礼人は目を疑った。目の下は黒々とクマができ、頬はこけおちている。

 やがてその目がぎょろりとクシビの手を捉えた。


「何するんスか! 返してくださいよ!」

「――現実感覚の鈍化、手足の多動、判断力低下に離脱症状」


 座ったまま手を伸ばした神辺をクシビは後退することで避ける。

 彼女の並べた単語に礼人は覚えがあった。


「典型的な仮想現実障害VRDね。もしかするとこの施設自体が、」

「返せよォオっ!」


突如として立ちあがり掴みかかった神辺をクシビは紙一重でかわす。


「助手!」

「はっ、はい!」


 礼人はよろめいた神辺へ間合いを詰める。

 かっと目を見開いた彼が追い払うように腕を振り出した。

 その手首を取り上外へひねってたいを崩す。そのまま振り下ろすように床への引き倒し。


「すみません」


 うつぶせにし、後ろ手に腕を固めてわずかに体重をかけた。

 クシビがディスプレイを下からのぞいて言う。


「へえ、何かやってるだろうとは思ったけれど、警察にでもいたの?」

「……そういう方に習いました。デカい奴が半端な抑え込みをやると死人が出るからって」


 部隊時代のことだ。もう使うこともないと思っていたが忘れていなくてよかった。

 クシビはふうん、と気のない相槌をうつ。その間、ディスプレイの内側へ滑らせた指をすんすんと嗅いでいた。


「なんですか?」

「ファンデーション、お安い海外物ね」


 言われ礼人も気付く。さっきから香料のような匂いがずっと漂っている。


「まあその顔色じゃ丸わかりだもの。たぶんろくに寝てないんじゃないかしら」


 押さえこんだ手の下で神辺が身じろぎした。その口からは呻き声。


「う、ぅ、頼む、返してくれよ……作業しないと落ち着かないんだ。ぐぅ、手足が窮屈でしょうがないんだよ……現実はインターフェースがクソ過ぎる……」


 クシビはそれを冷然と見下ろした。


「伝えたい世界が、描きたいキャラクターがあるから書く。それ以外のどんな理由でもってしても良い作品は創れない。吐きたいならゴミ箱に吐いていればよかったのよ」

「落雷坂先生!」


 言いすぎだ。礼人とて何かに追われる形で作品を仕上げてしまったことはある。けれどそこには結末を急かしてしまった申し訳なさと、それでも何とか形にしてやりたいという思いが必ずあった。

 クシビは眉間にシワを寄せて目をつむると、やがてゆっくり開く。


「……作品が可哀想だわ。産みの親からさえ愛してもらえないなんて」


 神辺が身を固くしたのが分かった。

 その顔がクシビを見上げ、すぐに伏せられる。ゴンッと額が床を打った。


「畜生っ! やめろ、それを俺に見せるなッ! そんな物さえなかったら俺は……!」


 クシビはディスプレイを弄んでいた手を止める。

 険しい、沈痛な表情でそれを神辺の目の前の床へ置いた。


「あなた自身が拒絶するのよ」


 冷たい、けれど少しだけ柔らかくなった声音。


「道具は道具。こんなものが無くたって人は創作の喜びを得られる。ジャンルの受け手として、好きな気持ちと憧れがあればね。あなたは少し作り手であることに偏りすぎたんだわ」


 それからひとつ間をとって、宣誓するように告げた。


「いい、創作っていうのはね、仕事にするものじゃないのよ!」

(言い切った!?)


 正論、正論だがクシビほどの売れっ子作家がそれを言えるものだろうか。もし心からそう信じ楽しんで書いているとすればそれこそ天賦の才に違いない。

 クシビが目くばせする。手を離せ、と言いたいらしい。

 礼人はゆっくりと手を緩め立ちあがった。


「……っ!」


 神辺がディスプレイに手を伸ばす。

 しっかりと掴んだ手は一瞬停止し、そのあと両腕にしっかりと抱え込まれた。

 当然ディスプレイも一緒に。

 クシビがぐわっと眉を逆立てる。その時。


「――神辺さんっ!?」


 飛び込んできた声があった。

 息を切らしパジャマ姿の梓は、礼人たちを見て目を丸くした。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る