二十五匹め『もやもやお開き』

 梓は髪をほどいて眼鏡をはずしたラフな格好だった。

 例にもれず明かりにしばたたいた目が室内の三人を捉え、やがて悲しげに細まる。


「お怪我はありませんか、皆さん」


 一歩踏み入ったその表情は決然としていた。


「ええ、おかげさまでね。ついでにやっと説明らしいものが聞けそうでホッとしてるわ」


 クシビが悪びれもせず肩をすくめる。夜半を騒がせた度合いで言えばこちらとて大差ないと思うのだが。

 梓はその言葉に何かを察したように肩を落とした。


「ごめんなさい。お客様にお話することじゃないと思っていましたが、ウチは市指定のVRアークをやっているんです」


 仮想現実依存回復施設VRARC――バーチャルリアリティ技術の普及に伴いあらわれ始めた症候群のうち、とくに『止められない・現実が苦痛』といった依存症を改善するための施設だ。


「長期休みのあいだ軽度の子供も受けいれていて。こっそり持ちこまれたスマート機器なんかを預かって金庫に入れていたんですが、いつの間にか開けられていて」


 礼人はついさっき見た子供たちが全員スマートグラスをしていたのを思いだす。牧歌的な田舎などというものは子供社会にはないのかもしれない。


「なるほど? それが巡って重度な人の手に渡っちゃった、と」


 クシビが腰に手を当て神辺を見下ろす。梓は申し訳なさそうに目を伏せた。


「はい、すみません……実は前にも似たようなことがあって気をつけてはいたんですけど」


 言うと座り込んだままの神辺に歩み寄りしゃがみこんだ。


「神辺さん、大丈夫ですか?」

「……」


 彼の表情は窺えない。礼人は重心を少しだけ前に動かす。


「気分は悪くないですか。こんなに遅くまで起きていると明日が辛いですよ」


 神辺の丸まった体が震えた。

 それは次第に大きくなり、やがて中から嗚咽が漏れ始める。


「……ッス、すんませんッス、俺……っ」


 梓は何でもない風に笑うとその背中をさすった。


「あはは、まぁまぁ焦らず治しましょう。神辺さんならきっとその後でいいものがたくさん作れますから」


 顔をあげた神辺がおずおずとディスプレイを差し出す。梓と目が合うと再び額を床へ打ち付けた。


「ほっ本当に、ご迷惑をおかっおきゃけ……しました!」

「いえいえ、キチンと反省してくれたらそれで」


 朗らかに微笑むその背に礼人は後光をみたような気がした。

 クシビも怒りの芽をつまれたようにその光景をながめている。

 どすどすと荒らかな足音が近付いてきた。


「おい、捕まえたぞ。まったくこんな夜更けにやかましい」


 不機嫌な顔の刀祢が顔を出す。その脇に抱えられているのは出ていった子供のうち一人。

 ぐすぐすと鼻をならす子供をみて梓が立ちあがった。


「ちょっと、丁寧に連れてきてって言ったでしょ? もー」

「しょうがないだろ、口裂け女がどうのって喚いて暴れるんだ。こら」


 子供が顔を上げ、クシビを見た途端じたばたともがく。それは先の廊下でクシビと礼人が脅かした彼だった。

 刀祢は礼人たちに目をむける。


「で、何でお前たちまでいるんだ。このホラー空間はそんなに広く造られてるのか?」


 その片手にはさっきまで子供がかけていたスマートグラスがあった。

 クシビがふんと鼻息をはいて胸を張る。


「ええまったく、趣味の悪いパーティね! おかげでここまで出かかってた至高のアイデアが引っ込んでしまったわ!」

(取材だって言って強引に首をつっこんどいて何を……)


 内心つっこむ礼人に刀祢の目はすでに向いていた。


「そうかそれは気の毒だったな。アヤトも大丈夫か? 悪いな、余計なことだと思ったんだけど話しておけばよかった」

「いえ、そんな。大事なかったですし」


 夜の時間をいたずらに消費したこと以外は何も。


「あとはこっちで片付ける。お前たちは戻って休んでくれ」

「待って。どうして私たちを呼んだのか、その理由を聞いてないわ」


 クシビが向き直っただけで、刀祢から降ろされた子供が半泣きで後ずさる。

 刀祢が握った手でそれを引きとめた。


「こら、逃げるな。おとなしく謝れば食われはしない」

「ごめんなさい! 自分らで遊ぶのも飽きたから他の人にやらせようってなって……だったらお姉さんにしようって……ひくっ」


 しゃくりあげる彼を真顔で見下ろすクシビに刀祢が何かを言いかけた時。


「そう、まあいいわ。許してあげる」


 クシビの手が竦められた頭をなでる。

 一方で視線は隣の刀祢へ向けられていた。


「運が良かったわね。お姉さんはまだこれからとっても楽しい予定があるの」


 それだけ言って部屋を出ようとする。

 礼人も慌てて続こうとして、彼女の背中を睨む刀祢に気付いた。


「この場所を見てまだあんな物に頼る気か」


 遅ればせながら悟る。刀祢がもつAIへの不信感はきっと家業にも根差したものなのだと。

 クシビは振り向きもせずに返した。


「当然ね。器が違うわ。私は機械に使われたりなんてしない」

「みんなそう言うんだ、馬鹿」

「それに人には不健康なことをする権利もあると思うの。少しくらい生き急いでやりたいことがなきゃ毎日が味気なくなっちゃうでしょう?」


 それで話はおしまいとばかりに出ていってしまう。

 刀祢がため息をついて頭を振った。


「処置なしだ。アヤト、お前もアレと同意見か?」

「いえ、えーと、その……」


 口に出すのをためらう。だが答えは決まっていた。


「とにかく明日、読んでください。僕らにはそれしかないですから」


 刀祢はじとっと礼人を睨む。その口が何かを言う前に、礼人はさっと頭を下げて退室した。

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