二十二匹め『巻いてたったか』

 通路の両側には時おり扉や飾り棚があり、その意匠は一様でない。

 天井からうねり出てきた毛皮つきの触手を無視する。

 礼人は天啓にしたがいひつ字に訊ねた。


「恋を諦めかけてる人を励ます言葉って何かない?」

『こんなのはどうですか?』


 画面に小さくフキダシが浮かびテキストが表示される。

 前を走るクシビへそれを読み上げた。


「――男なんて星の数ほどいるじゃないですかー」

「大きなお世話よッッ! 喧嘩うってるの!?」


 うん違うな。もっとこう自信をつけるような言葉がいい。


「そうじゃなくてええと、背中を押す感じの」

心中しんじゅうですか?』

「違う。なんでそこだけ近世文学フォローなんだ」


 捕捉するとひつ字は納得したようだった。


『えーと、じゃあこうです?』

「――好きになっちゃったものは仕方ないじゃないですか!」

「っ」


 ぴくりと反応したクシビの背中がやや近付く。


「よし、もうひと押しだ、頼む」

『わたし的には次の行でもうデレが来てほしい感じなんですけど。テンポが……』

「そういうのはいい! あと一言欲しいんだって!」


 つい急かすように言うとひつ字はぷうっと両頬を膨らませた。


『むうう、本来の用途以外に使わないでくださいっ。こんなことで評価を受けるのは不本意ですっ』


 言うなり画面端へとびこんでアイコンに戻ってしまう。


「ごっ、ごめん。ああそうか、なんてことを……!」


 書き手の意向を無視して修正だけを要求するなど非道の極み。礼人自身そんな仕事相手に四苦八苦したことも少なくない。なのに同じことをひつ字にしてしまった。

 後でちゃんと謝るとして、この場ではもうひつ字には頼れない。


(そもそも人を励ますのに借り物の言葉が使えるか、どれだけ頭ゆだってるんだ!)


 奥歯を噛みしめて脳に活を入れる。

 足元からあらわれた巨大なあぎとを蹴散らして言葉を絞り出した。


「たっ、例えふさわしくなくても好きになるのは自由じゃないでしょうかっ!?」


 反応はない。そうだ、自由とはいえその先に光が見えなければ。

 けれどそれは、いや。そう、だからこそだ。


「そもそも人の何がどう影響し合うかなんて分からないじゃないですか! 分からないことを気に病むより相手にかれるかどうか、それだけで考えるべきだと思います!」


 クシビが走るのをやめる。

 その目がちらと礼人を返り見た。


「つまりあなたは、あの小説のラストが間違いだったと認めるのね?」

「そ、れは……」


 『旧世界の印』は恋愛をテーマにとった作品ではない。だが愛は俗事から切り離された観念であるべきという先ほどの言葉と、ヒロインを己の使命に巻き込むのをよしとせず突き放す主人公の行動とは矛盾しているのかもしれない。

 礼人は少しの間考え、答えた。


「そうは思いません。あの時はああするしかありませんでした。……でも今考えれば視野が狭かったとは思います」


 もしもあの夜に今の自分が臨んだなら他の結末を書くかもしれない。けれど結局それは仮定でしかなく、書き上がってあるものが全てだ。

 クシビは何も言わずじっと礼人の目を遠間からのぞきこむ。

 その横顔がふいと前へ向いた。


「着いたわ」

「え?」


 廊下のつきあたり。これまでのものと変わりない扉がある。

 ただその脇に小さなオブジェクトがあった。

 “上戸カミド浩信ヒロノブ”と書かれた名札と、その下に“巡回簿”と題された厚紙が吊ってある。帳簿には時間と担当者名らしきものを書く欄があり、名欄のすべてに“谷中”と記してあった。


「ここが最後。もし犯人にまともな頭とひと欠片のプライドが残っているならすべてにケリがつくはずよ」

「……どうして」


 闇雲に走ってきたと思っていた。

 だがスマートグラスの記録ログにはいつのまにか“修養部屋の鍵”や“新聞記事 《修養院で小火・患者と世話人焼死》”といったフラグの回収通知がたまっている。


「女が逃げて男が追う、それで大抵の物語はラストシーンへ辿り着くのよ。私の理論の正しさがまた証明されてしまったわね」


 クシビが気取った仕草で髪をかきあげた。礼人はどっと疲れが出てもうそれでいいかという気分になる。


「あとは分かれ道で拾った“鍵”と案内図であたりをつけて、その後拾った“新聞記事”から患者名を特定して、ね。いちいち扉を確認するのが面倒だったけれど」

(ときどき速度を落としてたのはもしかしてその為に……?)


 まるで気付かなかったが彼女はダッシュしながらもしっかり攻略を進めていたらしい。


「あなたもなかなか真に迫った演技だったわ。よく私についてこれたわね」

「え、演技……? 演技だった? いや、さすがにそれは」


 無理がないだろうか。大泣きしていたとは思えない探索力ではあるものの。


「何か言ったかしら?」

「いえ、どうも恐縮です」


 が、その指摘を礼人は飲みこんだ。彼女が黒といえば黒なのだと受け容れる従属精神がすでに心に育ちつつある。零細作家の悲哀といえよう。


「けっこう。さて、あまり気乗りしないけどここまで来て帰るのもね」


 クシビは嘆息ひとつ。礼人へ役を譲るように動く。

 礼人は自分を指さした。


「はあ、えっと、開けても? 気乗りしないっていうのは……?」


 まさか今更怖いということもあるまいと思う。

 その証拠にクシビの表情は恐怖というよりウンザリとした色が強い。


「何ていうのかしら、道中ひどかったでしょう。最初のしっとりホラー路線はどうしたのって感じで」


 言われてみれば。しっかり見てはいないが何というか、洋物ホラーゲームのクリーチャー的な要素が混入していたように思う。


「そういえば落雷坂先生ってグロ耐性は高そうですよね」


 なんせ作風がスプラッター寄りだ。趣味でも取材でもそういったものには慣れていそう。


「というよりおざなりなのよ。『これしかない』っていう作者の魂がこもらないギミックなんて怖くもなんともないわ。そういう意味ではいい線いっていたボス回りくらいは綺麗にまとめてほしいものだけど……」


 クシビは肩をすくめた。礼人は取得した手がかりの記録ログを見返す。


「新聞記事には小火の原因が“患者の錯乱か”って書かれてますけど。世話人はそれを助けようとして巻き込まれたってことでしょうか?」

「まあ妥当ね。あんな姿でさまよっているのは……なぜかしら、こんな闇鍋世界観にいれば魂くらい簡単に変質しそうではあるけれど」


 すっかり興がさめているらしいクシビに促され礼人はドアノブに手を掛ける。

 ガチャリとSEが鳴り“鍵”を使用した旨が表示された。

 外開きのドアをゆっくりと引く。


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