二十一匹め『ぴしゃっと天啓』

 クシビが呆然と礼人を見つめる。

 その目からぽろりと雫が流れ落ちた。


「い゛っ?」


 礼人はびくりとする。予想外のリアクションにどんな顔をしたらいいか分からない。


「刀祢さんと同じことを言うのね」


 クシビは目を伏せた。

 はらはらとこぼれる涙を隠すようにぬぐう仕草は外見とのギャップがなさすぎて、初めからそうであったかのような錯覚すら与えてくる。


「あの人にも言われたわ。リアルとフィクションの区別がつかない空想女だって」

(さすが八ケ代先生はハッキリ言うなあ)


 ちょっと憧れてしまったのを顔には出さずに礼人は無言。


「でも小説家は小説を考えるのが仕事じゃない。小説家の頭と小説がイコールでも問題ないと思うの、私だけ?」


 問題あるに決まっている。せんべい屋の脳みそがせんべい100%だったならコミュニケーションどころか雨の日に出歩くことすら困難だろう。さすがにシンプルに過ぎる。


「仕事には支障ないかもしれませんが、その、他のことには分別ふんべつが必要なんじゃないでしょうか。危機管理とか、人付き合いとか……」

「……恋愛も?」


 涙の珠散るまつげの下からクシビが礼人をみつめた。


「へ?」

「恋愛も、ダメかしら。頭ライトノベルの女は恋もできないのかしら。ぐす」

「そ、それは……」


 どうだろうと考える。少なくとも礼人自身はちょっと遠慮したい。刀祢は……分からないがだからといって適当なことを言うわけにもいかないだろう。


「私、あなたの作品を読んでひとつだけ感じ入ったの。理想を抱くことは孤独なんだって」


 か細い声で秘めた胸の裡をさらすように告げられどきりとする。


「誰かと同じ夢なんてありえない。皆それぞれの目標へ向いて歩いていて、もしそこへ辿り着いたならきっと一人。でも、」


 意外にも。まったく響いていないように見えた礼人の作品は多少なりともクシビに刺さる部分があったらしい。


「でも、そんな人達と同じものを見たい、追いかけたいって思うことはレベルの低いことなのかしらって、思って……」


 礼人はそういえばと、以前来島から聞いた話を思い出した。


〈――落雷坂先生は典型的なフォロワータイプの作家です。面白いと思ったものはどんどん自作に取り入れていくスタイルで、出来上がるのは無数の作品の良いとこどり。あれも一種の天才だと思います〉


 誰かの真似をして、そうなりたいと願う。

 きっと誰しも初めはそうで、しだいに無理だと気付いて自分なりの方向へ舵を取る。けれどその願いを非常に高い水準で叶えてしまったのが彼女だと。


 いよいよクシビは顔を覆って泣き出してしまう。礼人はとっさに何か言おうとした。


「そ、んなことは。でも」

「いやっ聞きたくない!」


 だがそれより先にクシビは身をひるがえした。

 お手本のような角度と向きで堂を飛び出していく。


「ちょっ!?」


 しかも廊下を奥の方へ曲がって。どうしてわざわざ未知のほうへ行こうとするのか。


「待ってください、危険です!」

「放っておいて!」

(あとで何も言われないならそうするけども!)


 礼人はやむをえず後を追った。クシビほどではないにせよ礼人も物書きである以上お約束的パターンには引きずられてしまう。この状況でじゃあ、と一人戻れるほど無恥ではない。これまでさんざん頼まれもしないのに追いかけ慰める聖人のごときキャラクターに物語を助けてもらっているのだから。


「誰かを追いかけるのも立派な目標ですよ!」


 バリン、と窓ガラスが割れ降りそそぐ。ARだ。そこから真っ黒な犬型の影が飛び掛かってきた。


「心にもないことを言わないで! あなたの物語の主人公も最後はヒロインを置いていってしまったじゃない!」

「うっ、そ、それは――」


 視界を埋める影をかいくぐるように頭を振って走る。

 あれはテーマ上やむを得ないことだった、と心の中で弁明する。死に行く主人公にヒロインをいつまでも連れ添わせてはラストシーンがぼやけてしまうと思った、のだろう。あの夜のことはハッキリ思いだせないが。

 影を気にも留めず直進するクシビをなんとか捕捉する。


「物語の都合です! 現実には作者もプロットもありません、好きに生きていいかと!」

「……いえ、迷惑だわ! 憧れて追いかけて、いずれ追い抜いてしまったらどうするの? そんなの、目指した相手に顔向けできないじゃない!」

(なんだその天井知らずの自信!)


 言葉は否定しつつもクシビの速度はいくぶんか落ちたようだった。

 ならば、と礼人は畳みかける。


「八ケ代先生はそんなこと許しませんよ! 例え一度追い抜かれても必ず立ちあがって抜き返す人です! だから落雷坂先生もあんな勝負を持ちかけたんでしょう!?」


 話を聞く限りクシビが口にしていた絶筆うんぬんが本心からのものでないのは明らかだった。彼女は礼人が目論んだのと同じ方策を、より効果的に偽悪的に行っていたに過ぎなかった。


「っ、だからよ」


 クシビの足が止まる。

 廊下はつきあたりで左右に分かれていた。正面の壁に古い銅製の案内図が打ちつけられている。

 古いLEDライトがまだらに暗闇を払うその隅でがりがりと音がした。


「そんな人に追いつきたい、同じ場所に立ちたいって思っているのに、私にはたしかな信念や理想がない。私は――」


 暗がりに目をこらせばそれは人型だった。壁に沿うように這いつくばった人型が、一心不乱に柱を噛んでいる。

 不意に歯音がやみその首がこちら向きへ回った。擦りつづけほぼ無くなった鼻と白く濁った眼、乱杭の歯には木屑がびっしりと詰まっている。そこから甲高い唸りが漏れ始めた。


「――私はしょせん、小説と現実の区別もつかないラノベ女なのよーっ!」

「そこに戻ってくるんですね!?」


 こちらへ向かって這いずり始めた異形をまるで気にせず踏みどかしてクシビは再び走りだす。左の通路へ。

 さすがにマズい。近付くなと言われた建物内でダッシュしているだけでも無礼なのに、このうえ大騒ぎすればいくら刀祢や梓とて気分を害するだろう。そうなる前にここを出るか、叶わないならクシビを落ち着かせなければいけない。

 礼人はグチャリという肉片のSEに眉をしかめつつ追いかけた。


「だ、大丈夫ですよ、八ケ代先生はそういうこと気にしないと思いますし……!」

(八ケ代先生スミマセン!)


 わが身可愛さに根も葉もないことを口走ってしまったことを胸の中で謝罪する。

 行く手に巨大な生白い塊がカラカラと音をさせ立ち塞がった。


「いい加減なこと言わないで! 私をピエロにしようとしたってムダよ、あんなに刀祢さんと仲睦まじいところを見せつけておいて!」

「どういう意味ですかっ!?」


 それは獣骨の集合体だった。クマの頭骨を頭とする白骨の巨人。それをクシビが正面からブチ抜いていく。嵐のような絶叫に耳が痛くなる。直後それが急に緩和された。


『――センセイ、あれは嫉妬じゃないですか?』


 今まで最小化したアイコンになっていたクシビが現れ礼人の耳を塞いでいる。どうやら執筆中の雑音をカットする機能を使っているらしい。


「嫉妬ぉ?」

『はい、センセイとトウヤさんの仲を羨ましがっているんじゃないかと』

「……いや、恋愛と友情は別じゃあ」

『トウヤさんって小柄で童顔で、男の娘っぽくないですか? センセイのことも好きみたいですし!』

「頭の中ライトノベルか」

『ライトノベルですよ!』


 本人には絶対聞かせられない妄言だ。憤激するのが目にみえている。

 そのときピシャアッと礼人の頭に電撃が奔った。


(そうだ、ライトノベルにはライトノベルをぶつけるんだ!)


 作家の脳は追いつめられるほど素晴らしい閃きを生む。

 ……が、そうでないこともある。一見つじつまが合っているようで合っていない言葉遊び同然のアイデアを至上のものと誤認することもある。一種の神懸かり状態なので本人にはどうしようもないことなのだ。仕方がないのである。


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