電気ヒツジの海を往くハコブネ

みやこ留芽

プロローグ

一匹め『もこふわの人工知能』

 ヘッドホンから打鍵音が響く。

 平面キーボードを指がすべるのにこたえて。

 目から耳、後頭部をのように巡るヘッドマウントディスプレイをかぶったまき礼人あやとは、乾いた唇を噛みしめながらタイプする。

 大柄な背中に筋肉が浮かびあがった。


 リビングの景色と重なり浮かぶのはワープロソフトの罫線けいせん

 ARとよばれる拡張現実技術により、まるで原稿がそこにあるかのように操作ができる。

 その紙上では暴走する軍事兵器と現代魔法使いの戦いが佳境かきょうを迎えていた。いわゆるライトノベルと呼ばれるジャンル。その草稿。


 ――あらゆる人智を学習し成長する兵器に魔法使いは古い技術の限界を感じずにはいられない。だがこれは生存戦争にほかならず、敗者には消え去る道しか残されてはいない。


 つづられた文章を目が往復し修正し書きかえていく。

 より分かりやすくテンポよく。感情は激しく視点は食い入るように。


『おぉ……おおーっ』


 ごく近くから興奮したアニメ声。

 礼人はそれに少しだけ気を良くするとシーン終わりのセクションマークにカーソルを置いた。


「どうだろう、ひつ字」

『すっごくアツいです!』


 呼びかけに答える合成音声。

 紙垂しでひつ字、と名付けられた彼女は人工知能。礼人がいま書き直した物語の作者だ。

 16種のストーリーラインと108の舞台設定を備えた“小説を書くAI”。数年前に開発され驚きをもって迎えられたAI作家・《敷島初穂シキシマハツホ》のあとを追うニューブランド。

 礼人にとっては商売敵しょうばいがたき以外の何ものでもない存在。

 だが職業小説家として、たび重なるボツとスランプにより今年度の新作なしという窮状きゅうじょうが今の状況へと礼人をひきずりこんだ。


「いや、そうじゃなくてさ。ちゃんと学習が、で――ッ!?」


 言葉がひっこむ。正面へ回り込んだひつ字の姿に。

 宙に浮かぶそのアバターは18歳。その名のとおり羊のようなフワフワの白い髪とそこからはみ出した曲がり角、ファンシーなケープ付きワンピースが目印だ。無名だが気鋭のデザイナーにより描かれた3Dモデルは公式サイトのアイコンにもなっている。そのはずだが。


「何で脱いでるんだ!?」

『アツかったので!』


 いま拡張現実ARとして浮かぶ彼女はワンピースの上半分をはだけていた。腹部やぽやんとした胸元は白く均質で火照ったように上気している。


『とくにこのシーンなんか激アツで……脱ぎます!』

「アツいってのはそういう意味じゃない!」


 きゅっとしたウエストにひっかかったスカート部へ手を掛けたのを静止した。

 ひつ字はきょとんとしてこちらを見返す。


『あれ、違いました?』


 礼人は強くうなずいた。キャラクターといえど目のやり場に困る。

 AIの書いた作品を添削てんさくし評価する教師役。それが礼人の今の仕事だった。


(……そういや来島くるしまさんがインターフェース部分は既存システムの流用って言ってたっけ。予算の都合で)


 礼人にひつ字を押しつけた張本人たる編集・来島。彼女とこのあと約束があるのを思い出す。

 そろそろ切り上げようかと思ったところでひつ字が声をはずませた。


『でもこの文章、ホントにすごく良いです! わたしも最適解さいてきかいを書いたつもりですけど、こんな組み方もあるんだって思えて。センセイに弟子でし入りしてよかったです!』


 組み方、最適解。彼女はおよそ執筆という行為からは縁遠えんとおい言葉でそれを表現する。プログラムに沿って出力するからそういうことになるのだろうが。

 まあ悪い気はしないと礼人は思った。

 なんせひつ字はテスト稼働かどうですでに5万人以上のファンをもつ新鋭のAI作家だ。そんな彼女にない視点や感性は今後の武器となるだろう。むろん、彼女といやがおうにも争っていくための。


『ぱく、つまりは、むしゃむしゃ……ごくん、こんなカンジですよね! えいっ!』


 ワープロソフトから原稿をむしりとって頬張ほおばったひつ字は、新しく表示された白い用紙へぱっと手をかざした。するとそれを真っ黒に文字が埋め尽くす。


「も、もう新しく作品をッ?」


 礼人は目をみはった。

 これがひつ字、というよりAI作家の強みだ。中編だろうが長編だろうが一瞬で組み上げてしまう。彼女のファンは5万人と言ったが公開された作品数はすでに50を越えている。


「ぅ、おおおっ、こ、れは……ッ!」


 うながされるまでもなく文章に目が吸いつく。

 無心で読む。時間を忘れて。

 整然とした文の連なりとアクセントのようにあらわれる機械ならではの奇抜きばつさ。さらに驚くべきことに、そこには礼人の文体があった。

 仮に自分が記憶を失い、これを己の若書きだといって見せられれば首をかしげながらも信じるであろうレベル。


「ふう……っ、ふう……っ」


 中編のクライマックス。物語は身近な場所からはじまって時空を超える規模へと当然のように展開し、やがて主人公の存在理由すら巻き込んだバトルへと突き進んでいく。


「くうっ、あ、熱い……ッ!」


 じわじわと汗の溜まるポロシャツのえりが不快だった。背中がじっとりとして、ズボンの中が蒸していた。


『どうですかセンセイ。わたし、ちゃんとできてます? えへへ、やっぱりセンセイの文章って素敵』


 ひつ字が同じようにのぞきこみながら無邪気にささやく。


『でも、そのテクニックもわたし、学習しちゃいました! えへっ』

「うわあああああああああっっ!」


 礼人はヘッドマウントディスプレイをむしりとった。

 椅子を蹴倒けたおし立ち上がった勢いそのまま、服を脱ぎ捨てパンツ一丁になってフローリングの床へ崩れ落ちる。


「はあ……っ、はあ……ッ!」


 おぞましい体験だった。まるで自分の偽物に出会ったような。

 存在意義がおかされる。いや、だが少なくとも礼人が書くのはあんな華やかなエンタメではない。礼人の作風はどちらかといえば――


「そう、そうだ、それくらいで僕をしぼりつくしたと思うな、ひつ字!」


 四つんいの体勢から顔をあげる。

 郊外こうがいリゾートマンションの一室に響いた叫び。他に誰も聞くはずのないそれを。


「……何してるんですか、牧先生」


 冷たい目が見下ろしていた。すらりとプリーツスカートから伸びる足が礼人の目の前にある。

 編集・来島朝霞あさかがそこにいた。

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