二匹め『編集さんのぴりぴり』

 小柄な背にほんのりウェーブしたボブカット。常に頭に何か乗せているかのごとく憂鬱ゆううつな表情はせっかくの容色をくすませている。

 礼人の担当編集、来島くるしま朝霞あさかとは一目見てそんな女性だった。


 リビングには机とソファ、テレビに仕事用のデスクがある。窓の外は避暑地ひしょちだった往時をしのばせるだだっ広い駐車場と高原、その向こうに深い森が続いていた。


「来島、さん」

「はい」


 半裸四つんいのまま礼人は目の前に立つ彼女を見上げる。


「どうしてここに?」

「13時からお約束を……」

「じゃなくて! なんで普通に玄関を開けて入ってきているのかを聞ンッ!?」


 ぐ、とこんストッキングに包まれたひざが礼人の下あごを押さえていた。


「もう少しボリュームを下げてください。親に見られた中学生じゃないんですから」


 眉根まゆねを寄せて片耳をふさぐと、膝をそのままにデスク上のヘッドマウントディスプレイに手を伸ばす。


「んがっ、それは……!」


 礼人の静止も届かず、さっとハンカチでいてそれをかぶった彼女は辺りを見回す。その視線がある一点でぴたりと止まった。


(お、終わった……)


 その空間にいるはずのひつ字のあられもない格好を思いだして礼人はがっくりとうなだれる。来島の意外に幼く見える口元が動いた。


「はい、おはようございます。ひつ字」


 穏やかな声音こわね。ややあって礼人の頭にディスプレイが再びかぶせられた。


かぎが開いていてご在宅のようだったので。一応、インターホンは鳴らしたんですよ」


 かすかに良い香りのするその内側で礼人が視線を巡らせると、デスクの上をただようひつ字と目が合う。その服装はデフォルトに戻っていた。


『えへ』


 いたずらを隠す子供のような笑みに大きく息を吐く。

 来島が自前のスマートグラス――情報機器とペアリングしてAR上での操作を可能にする眼鏡型デバイス――をバッグから取り出しながら釘をさした。


「何をされてたかは聞きませんけど、あまりいかがわしいことを吹き込まないでくださいね。ひつ字は我が局の重要プロジェクトの中核なんですから」

「誤解ですって。ひつ字の書いた話を読んだらあまりのアツさに脱いじゃっただけで」


 礼人は弁明する。散らばった服をかき集めながら。

 それに来島は呆れたような、さげすむような目で応じた。


「もう少しマシな誤魔化ごまかし方をしてください。それとも先生だけナンセンスギャグ的世界観にお住まいなんですか?」

「そ、そう言わず見てくださいよ。ひつ字、さっきのをプリントに出して」


 はぁーい、とマイペースな返事と共にデスクのプリンターが原稿を吐きはじめる。

 現物を見てもらえば分かるはずだと礼人は思った。

 自分の文体だからというひいき目もあるかもしれない。だがもはや他人の作品には思えなかった。脳裏のうりに焼き付いた一文一節が魂の炎となって今なお燃えている。

 手渡したそれに来島はざざざっと目を通す。そして。


ビリィッ!


「ああっ魂の炎が!」

『ひどいですアサカさん!』


 引き裂いた原稿を放り捨てるといよいよ不機嫌な表情で来島は詰め寄った。


「牧先生、たしかにひつ字を弟子としてお預けしましたがそれは先生のウェットでぴりっとした叙情じょじょう表現を学ばせるためだとご説明しましたよね? それがどうして宇宙ガンアクション小説なんて書いてるんです?」

「いや、それは……」


 礼人は一応エンタメ作家にその名を数えられてはいるものの、評価されるのは情緒じょうちょ的な語りだ。作風も私小説向きと言っていい。エンタメ小説を書いているのはそういう形式というか制約をさなければ作品がただの思いのれ流しでしかなくなってしまうからだ。


「その、重い文体を添削てんさくしたんですけどイマイチ手ごたえがなくて。ストーリーラインの傾向なのか本人もあまり書きたがらないんですよ。だからまずライトな戦闘部分をと思って」

「そういうのは落雷坂らくらいざか先生がやってくださるのでいいんです。牧先生にお願いしたのはもっとぐずっとして鬱々うつうつとした先生のデビュー作みたいな作風の学習なんですよ」


 礼人は押し黙る。ちなみに落雷坂先生というのはAI製が猛威を振るう娯楽小説界にあってなお第一線を張り続けるライトノベルの名人だ。


「デビュー作そのものをひつ字の学習に使えないんですか?」


 礼人は小説を書くことはともかく、学ぶAIというものの理屈がいまいち理解できていなかった。

 来島が目を細める。


「彼女の学習システムについては先日もご説明しましたよね?」

「いやぁ、その、半分くらいは聞いてたと思うんですが」


 あとの半分はふと浮かんだ疑念のせいで聞き流してしまっていた。疑念とは、ひつ字が自分そっくりな作品をより早く弾力だんりょく的に作るようになれば自分はおはらい箱になるのではないか、というもの。


「あの原稿を彼女に読ませて『こういうのを書いて』と言ったらそのままの文章が再出力されるだけです。必要な情報はむしろ先生の頭の中にあるんですよ」


 小柄な来島を間近まぢかにすると礼人は見下ろす姿勢になる。それでも何故かこちらがちぢこまってしまうような雰囲気を彼女はまとっていた。


「言葉の選び方、リズムの取り方。また前文のどこを見てそれを選んだのか。書き直しの過程は特に貴重です。意味の近い言い回しを関連付け、さらに細かくレベル分けすることができますから。そうして得た“感性”をひつ字は自分のストーリーラインで運用します。先生のそれよりダイナミックで効果的に」

「それってやっぱり、僕はいらなくなるんじゃ……」


 ひつ字が自分に似せて書いた小説を礼人は思いだした。すでに力の何割かが吸い取られつつある気がする。

 じっとこちらを見上げた来島はやがてふいと目をらした。


「……書きたいなら書かれたらいいと思います。売れるかどうかは分かりませんし、企画会議にかけるとお約束も出来ませんが」

「そ、そんな、やっぱり……!」


 間違いない。このプロジェクトは礼人のような枯れかけの作家を放りだす前にそのノウハウだけは確保しておこうというものなのだ。つなぎと思って引き受けた仕事で自分は己の首を絞め落としにかかっている。


「あんまりじゃないですか、最後の仕事がこんなンン゛ッ!」


 ぱしむ、と来島の掌底しょうていが礼人のあごと口をわしづかみにした。


「ツバを飛ばさないでください。そう思うなら良作を書かれたらいいでしょう。業界の水準に達しない作家は淘汰とうたされる、もとからそういう所ですよ、ここは」


 物理的にぐうの音も出ない礼人。

 ぱっと解放された時には来島は置いたカバンへ手を掛けていた。


「あのっ、このあと食事でも。そこで――」


 次作の打ち合わせを、と言おうとした目の前で彼女は取り出したゼリー飲料をぢゅごぅっ、と自転車レーサーのように一瞬で飲み干した。


「……すみません、もう済ませてしまったので」

「あ、ハイ」


 すごすごと引きさがり言葉を飲みこんだ礼人を、来島はきた時と同じ憂鬱な表情で一瞥いちべつすると玄関を出て行く。少しして爆音と共に真っ赤なスポーツカーが山道を走り去っていくのが窓から見えた。


「結局なにしに来たんだろう?」


 少なくとも見限りつつある自分に用はないはずだと礼人は思う。

 あるとすればそれは――


『わたしの様子を見にきてくれたんじゃないですかっ?』


 まあ、その線だろうとひつ字の言葉に納得した。ひつ字を持ってきたとき、オリジナルへのデータ混入を防ぐため学習は独立して行うと言っていた気がするし。


『センセイ、アサカさんと喧嘩したんですか? 元気だしてください。センセイの文章、わたしは好きです!』

「あー……うん、ありがとう、ひつ字」


 自分の仕事を奪おうとしているAIになぐさめられる。皮肉に思いながらも、無邪気な笑顔を前にそれを顔に出すことも愚かしく感じて礼人はあいまいに笑い返した。

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