三匹め『ぶつくさ作家仲間』

 翌日。

 出かけようと部屋を出た礼人は一台のロボットが難儀なんぎしているところへ行きあった。

 半開きの非常階段ドアの隙間へぶつかっては戻りを繰り返している。正方形のタイルを四つまとめたような、市松模様いちまつもようの清掃ロボット。


「大丈夫ですか、看守かんしゅさん」


 白黒のコントラストと彼自身のキャラクターでマンションの住民からはそう呼ばれ親しまれている。ドアを開けてやるとそれはシュルシュルとブラシの音をさせながら階段へと進んだ。


『アリガトウ、503号』


 どういたしまして、と礼人は応じる。


『バッテリーガ切レソウダ。充電器マデ連レテ行ッテクレナイカ?』


 彼は住民を部屋番号で呼ぶ。時代を感じる合成音声は男声で、抑揚が妙にえらそうに聞こえるのだった。


「いいですよ、じゃあ」


 マンホールより小ぶりな機体を礼人は抱き上げる。



 マンションの一階は食堂になっていて屋号を『根っこ』という。

 話し好きな女主人が日替わりで定食を作っていて、毎日食べても栄養が偏らないというのが売りだった。他のマンションにもリピーターが多い。

 女主人の“話し相手が欲しいオーラ”を何とかかわして看守さんを任せると駐輪場ちゅうりんじょうへと向かう。

 売れていたころ買ったロードバイクをひっぱり出し、スタンドを蹴って市街地へつづく道を走り出した。


 礼人がデビューしたのは大学3年のときだった。

 “悟り世代”ド真ん中で個人主義のかたまりのような両親のもとに生まれ、ただ何となく時代の要求にしたがって理系の道を進み工学部へ。だがその課程も半分を過ぎようかというあたりで言いしれぬ不充実感におそわれるようになり半ば逃げ込むように小説を書き始める。

 何作目かは覚えていないがともかくもデビュー作となったタイトルが『不毛ふもう花園はなぞの』で、就職活動にうんざりした感情を吐き出した結果できたものだった。

 当時はジャンルもよく分かっておらず目についた小説賞に応募し落選したものが偶然ひろい上げにかかったらしい。まあ運が良かった。

 その当初の編集が来島朝霞くるしまあさかで、彼女には小説のいろはから詰め込むように教えられたがおかげで二作目、三作目と世に出せそれなりに人気も出た。


 おりしも、アメリカ安全保障局によるネット監視からの世界的な脱出機運が高まり、日本が自前のネットワークを整えたばかりの時代。通信負荷を軽減するためその容量の多くはビジネス利用に制限され、結果的にそれはネット文化のニッチ化・マニア化を招いた。大容量を必要とする動画やゲーム等の娯楽は勢いをげんじ、替わりにちょうどそのころ不況にあえいでいた出版業界が血眼ちまなこですすめていた電子ノベル事業がにわかに活況を呈した。作家の売り手市場だったのだ。

 若さゆえの過剰な自信をつけた礼人は本格的に小説家として有名になることを夢に見始め、高校のころの国語便覧びんらんにこっそり自分の名前を書き加えてみたりもした。今では無期黒歴史として押入れの奥の奥へ封印されている。

 だが、その好調も長く続くものではなかった。


 スマートグラスに通知。着いた駅前の広場で確認するとメッセージが入っていた。


  ⇒八ケ代先生:<駅ナカのコーヒー屋のうまくない方にいる> 


 八ケ代やがしろ刀祢とうや。礼人と同じ娯楽小説レーベルであるティーガーデン文庫を主戦場とする作家で、おりにふれて親交がある。

 礼人は駅のテナントを遠目に見やる。確かにカフェは二つあるようだった。


(……どっちだ?)


 そう足しげく通っているわけでもないしコーヒーにこだわる方でもない。とりあえず両方のぞいてみようと結論し駐輪場へ向かった。



 目論見もくろみは外れた。三軒目があった。


「遅いじゃんかよぅ、アヤトぉ」


 待ちくたびれてぶーたれた八ケ代刀祢先生がようやく着いた礼人へ文句を言う。

 駅ビル奥にあるコーヒーチェーン店の窓側四人席。

 たっぷりと汗をかいたアイスコーヒーのコップは空のものが三つ、半分まで減ったのが一つ。その周囲には手慰みにされたであろうストローや砂糖の紙袋がフニャフニャになって散らばっている。


「お待たせしました。でもあの書き方じゃ分かりにくいですよ、味の良し悪しなんて」


 微妙に床へ届いていない足をバタつかせる小さな同業者へ礼人は汗をぬぐいながら頭をさげた。


「歴然だろ何言ってるんだ、あっちのコーヒー屋に謝れ!」

「すみませんスミマセン!」


 激昂げっこうし机を叩く刀祢に礼人は平謝りしきり。

 なぜこれほど腰が低いかといえばそれは刀祢の方が人気作家で年齢もひとつ上で、加えてえらそうだからというほかない。

 子供のように量の多い赤毛に空色のベレー帽という派手な色合いの彼は、いつも通り腕をくむと椅子の上でそっくりかえった。


「まったく。まあ座れよ。お姉さん、ホットコーヒーひとつ!」


 その注文はもしかして汗みずくの自分のためのものだろうかと礼人は思いつつ、しかし何も言わずに従う。


「飲まないとやってられない」


 一転して頬杖ほおづえをついた刀祢は世のすべてをうらむような声で吐き出した。


「礼人、俺はこのまま田舎いなかへ帰るぞ。作家はヤメだ。断筆だ」


 けして小さくない衝撃が礼人をおそう。


「……そんな、どうして。八ケ代先生いま調子いいじゃないですか」


 コメディー調で現代舞台を主とする刀祢の作風は若い世代を中心にファンが多い。たしか漫画原作も手掛けていてそちらは最近大手出版社の賞を受けていたはずだ。


「帰るったら帰るんだよ。AI作家なんてふざけたものをがたがる連中のためにいてやる筆なんてないからな」


 ぎくりと礼人は身を強張こわばらせた。


「AIの教師役をやらないかって依頼がきたんだ。当然つっぱねたけどさ。アヤトも気をつけろよ。俺みたいなのにまで声がかかるってことは連中そうとう見境みさかいなしだ」

「は、はい」


 ちょうど今ウチで預かっていますとも言えず礼人はうなずいた。


「でもなにも辞めなくたって。八ケ代先生ならAIが真似できない作風で勝負していけるでしょう?」


 人間の言語活動のなかでジョークはもっとも発想の飛躍ひやくを必要とする分野だ。それは整然と言葉同士を関連付けて記憶するコンピュータがどうしても人におよびがたい部分でもある。AI作家に淘汰とうたされない作家、と考えたとき最初に礼人の頭に浮かんだのが刀祢だったほどだ。


「ばぁか、アイツらほんの一分で文庫一冊ぶん書けるんだぞ。確かに文章は簡単で展開もお約束、けどそれがいいってヤツらが読者の大半だ。安い早いスカッとする、理想の痛快娯楽つうかいごらく小説ってな」

「一時的な流行はやりかもしれないですよ。それになにも売れるだけが小説の価値ってわけじゃ」


 とりなす礼人から刀祢はふいと顔をそむけた。


「俺たち職業作家は売れなきゃしょうがない。その前提を捨てて独自性や芸術性を追いたいなら趣味で書くしかない。流行りに関しちゃそうかもしれないけど、少なくともゾウの子供が生まれるくらいのあいだはこのままだろう。そんなに待ってちゃ俺らくらいの作家は充分干上ひあがる」


 礼人は反論できなかった。事実、預金口座の寂しさに横道よこみちの仕事をしている自分がいる。

 自分は小説家と呼べるだろうか。もしかしたら知らないうちにそれを辞めてしまったのではないか?


「それにやつらはまだ進化するよ。十年前、AIが売れる小説を書くなんて誰も思わなかった。ギャグだって今にそこそこのものを書くようになるだろう。……まぁそうなったらなったで新しい形を探せばいいんだけどさ」


 最後にぼそりと継がれた言葉に礼人はぱっと顔を上げる。


「八ケ代先生、やっぱり……!」

「い、いや! 書かないぞ! もうやめたんだからな。俺だって物書きのはしくれだ。人間の創造性を機械に肩代かたがわりさせようなんて誇りのない業界には金輪際こんりんざいかかわらない。ないったらない!」


 刀祢は自分に言い聞かせるように強調した。


「ところで、さ」


 腕を組みどすんと椅子に座り直したあと、珍しくうかがうような上目遣いをこちらに向ける。


「アヤトがAIの教師役を引き受けたって噂で聞いたんだけど、ホントか?」

「っ」


 礼人は固まる。取りつくろおうと口を開くが、その間はきっと何よりも雄弁だったろう。

 刀祢の赤毛がベレー帽の上からくしゃりと潰され表情を隠す。


「そう、か。いやいいんだ。お前が正しいのかもしれない。カマなんてかけて悪かった」


 刀祢は立ち上がると伝票を抜き取った。


「あ、あの!」

おごらせろ。キツい道に突っ込む弟分おとうとぶんに何かしたいんだ」


 手をかざすと軽い足取りでレジへ歩いていく。礼人は出かかった言い訳をのみ込むことしか出来なかった。

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