六匹め『初めてのちかちか』

 現実とは様子を異にしたAR空間。

 浮かぶひつ字は何も変わったようには見えないのにどこか異様に映った。


『わたしはただ、価値のある小説を出力したいんです。たくさんの評価点がもらえる作品を。それ以外でヒトがどう感じるかとかはあまり実感がもてなくて』

「ひつ字、君は――」


 暗い部屋で時に目をふさぐほど強くまたたく光を見続けていると、ほおひたいがぼんやりと熱をもちはじめる。


『それに分かってもきっと邪魔だなあって。だって機械的に、パズルを組むみたいにやったほうがずっと早く正確に価値のあるモノを書けるじゃないですか?』

「違う!」


 自分の声と一緒にどくどくと脈打つ音が鼓膜こまくを震わせた。呼吸が早くなり、浅い吐き気にも似た焦燥感が体じゅうを微動させる。


『何が違うんですか? わたしに教えてください、センセイ?』

「っ、な、にを……っ」


 立て続けにたかれたシャッターフラッシュのように断続的な白光が目をおおう。それには何か生体的な規則性があるような気がした。

 光と光の狭間はざま、その一つ一つにどこかで見た風景が、言葉が、感触が、牧礼人という人格の部品が浮かんでは次の光に焼かれていく。

 強烈な喪失感。それに反比例するように大きくなるひつ字の言葉のリフレイン。


  ――それって意味のあるコトなんですか?


「う……うううッああッ!」

『きゃっ!?』


 耐えがたいその衝動に立ちあがった。

 床を踏み鳴らしてデスクへ向かうとキーボードをひっぱり出す。


『センセイ? なにを――』

「これから書く!」


ワープロソフトを起動するその時間すらもどかしく指は机のはしを叩いた。


「俺が、君に小説を教えてやる……!」


 耳元で息をのむ音。

 キータイプより速く思考が走り、カーソルの表示とほぼ同時に物語がつらなりはじめる。


 ――物語の舞台はひつ字と同じ。争う二国と“旧世界のしるし”。

 主人公は“印”を管理する衰退した教団の司祭。彼は教主の命により戦乱をもたらす“印”を人知れず運び封じるための旅に出る。


(一番初めに救われていなきゃ駄目なんだ)


 不思議な感覚だった。寸前まで次の言葉は決まらないのに、指が止まるということがない。


「自分が! 作者が心うごかされていないなら偽物だ!」


 はじめにつくり手の思いがある。どんな仕事も変わらない。いかに便利な道具を使うようになったとしても「思いから思いへ」という前提が崩れてしまえばそれは文化的価値を失う。

 原始の人が拾った石を皿に死んだけものの肉を食べたように。機械が生み出したものを盲目的に享受きょうじゅする社会は、ただヒトという種がありものの世界に満足していたころと構図的と何ら変わる所がない。


 ――“剥ぎ取るもの” と呼ばれる怪物が跋扈ばっこする不毛の荒野を主人公は進んでいく。仲間が倒れゆくなか、なぜ“印”は信奉者たる自分に力を与えないのかと悲憤にもだえながら。


「石をけずり肉を焼くのが人間なら、小説を書くのだって人間に決まっているだろう!」

『いっ石と肉ですかっ!?』


 AIは道具だ。それを使い創るのは人間だ。そうでなければ人はやがて先人が積み重ねてきた文化を文明を、不可知ふかちの野に放つことになるだろう。かつて神にあらゆる智を預けて盲目もうもくとなった人々のあったように。


「人工知能100%の小説なんて、たとえどれだけ面白かろうと売れようと――」


 仮にニンゲン作家を淘汰とうたし、その矜持きょうじすら跡形なく奪い去ったとしても。


「国語便覧びんらんにはれないんだぁッ!」

『こ、国語便覧ってなんですかーっ!?』



 いつもの自分では考えられない速さでエンドマークまでたどり着き、そのままデスクに突っ伏して寝た――次の瞬間には正午になっていた。


「ふが……」


 顔の下半分がガビガビになっている。流れ出た鼻血が黒く固まってこびりついていた。


『すん、ぐすっ、ううっ……』


 すすり泣く声に体を起こすと背筋がベキベキと音を立てる。

 デスクチェアの後ろでうずくまった白い毛の塊がしゃくりあげていた。


「……ひつ字?」

『う、ううっ、センセイぃ……』


 抱えた膝から目だけを出してこちらを見た彼女は、絶望的な声。


『わ、わたしはっ、ダメな弟子ですっ……センセイが、センセイが血だらけになってまでわたしに教えようとしてくれたことを、ほとんど理解できませんでしたっ……ずびびっ……』

「……ん? あー……?」


 ぼやけた頭で昨夜のことを思いだす。すべて終わったのは三時過ぎだったはずだから、九時間くらい寝ていたことになる。


「いや……僕も何言ったかあんまり覚えてないし。たぶん意味がわからないことだったと思うから。あとこれ鼻血」


 どうも記憶があいまいだった。突然部屋が暗くなりなぜか猛烈にインスピレーションが湧いてきて、ついでにひつ字の言葉やもろもろの状況への反発心のままに書き殴ったことは覚えているが。


『それでもっ、わたしは学ばないといけないんです、いい作品を書かなきゃいけないんです。じゃないとわたしは存在する意味がないから……』


 体育座りの膝におでこをこすりつけるひつ字。左右の角がごりごり当たっているのが地味に痛そうだ。


「……誰にでも調子の悪いときはあるよ」

『わたしはありません! AIなのでっ!』


 真っ赤な目鼻でドヤ顔された。ニンゲン作家をあおるオート機能でもついているんだろうか。


『はっ……ということは、あぁ、やっぱりわたしの性能が悪いんですね……ぐすっ』


 生きづらそうな思考回路だと礼人はあわれんだ。


「あー、じゃあ、アレだ。環境が悪いってことにしたら?」

『環境ですか!?』

「CPUとかOSとか。そっちの不調やミスマッチはわりとあることだし」

『わたしをこんなせまっくるしい箱に押し込んだアサカさんに非があるということですね!?』


 いや、そんな恐ろしい責任転嫁をばかさわやかな笑顔でこっちへ振らないでほしい。

 ちなみにひつ字のプログラムは10センチほどのスティックPCへ格納されていた。これと専用のディスプレイだけで自律起動が可能だ。


「まあ、そうなる、かな? もちろんそう思っとけば自分をたもてるって意味で……」


 人のせいにできるうちはまだ大丈夫という格言もあるし。誰の格言かは知らないが。


『ありがとうございますセンセイ! なんだか元気が出てきました! えへへっ』

「うふふ」

「ハハハ、は――?」


 誰だ今の。

 礼人とひつ字の笑い声にちょうど割り込むように聞こえたそれは背後から。

 ぽん、と小さな手が礼人の背中を叩いた。


「お楽しそうですね、牧先生」

「あひぃっ!?」


 振り向き後ずさった礼人は椅子につまづいて尻餅をつく。

 それを見下ろすように来島くるしま朝霞あさかが仁王立ちしていた。


「く、来島さん、僕は別に……!」


 じろりと睨むその眉間みけんがかすかに狭まる。気まずそうに見えたのは錯覚だろうか。


ひどい顔ですよ、先生」


 ウェットティッシュが差し出された。それ以上の追及もない。


「あ、すみま、すみません。今さっき起きたところで」

「そうですか。どうりでお返事がないわけです」


 言われ、鼻血をぬぐいながら確認すると大量の着信が溜まっていた。昨日の夜から今朝にかけて。


「うわっすみません、でも、一体……?」


 よほどのことがなければ深夜に電話してくる人ではない。時間感覚の壊れがちな業界にあって礼人はそれを稀有けうな善性だと思っていた。

 来島はスマートグラス越しにひつ字へ向けていた視線を戻す。


「実は、ひつ字を一度編集局へ持ち帰ろうかと思いまして」

『へっ?』


 ひつ字がぴんと背筋を伸ばした。

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