第一章

九匹め『ごとごと電車たび』

 生身ではとても耐えられないスピードで、身体は一つ目の壁を突きぬけた。

 ぱっと目を焼く光の中に巨大な緑と、そのまわりにあるモザイクのような色彩。


『おおおーっ、センセイ山です! アオミドロのような連山です!』


 冷房のほどよく効いた車内を飛び回りながらひつ字が嬉しそうに言う。

 新幹線の席はすいていて、トンネル直後のまぶしさにカーテンを引く音もまばらだ。

 ちょうど空の真ん中にきた太陽が、見えるものすべてに暑気を振りまいている。


「AIも景色を楽しむの?」


 礼人あやとは疑問を口にした。なんといってもひつ字は人工知能だ。それも小説を書くための。窓にべったりと張りつく彼女はそのアバター兼インターフェイスでしかない。

 移動中にヘッドマウントディスプレイをかぶっては目立ってしまうので、礼人はバッグに入れたそれと接続ペアリングしたスマートグラスを着けていた。見た目はイヤホンを付けた耳以外、普通のメガネと大差ない。

 ひつ字は煙のようにもぐりこんだ荷物置きからぶら下がるようにして目線を合わせてくる。


『正確には“○○ですね”って言って“そうだね”って言ってもらうのが嬉しいんです。価値観のすり合わせが上手くいってる証拠ですから』


 つまり学習の一環というわけだ。よくできている。


「でもそれならアオミドロっていうのはちょっと……ひつ字、降りてきて」


 やや奇抜きばつ過ぎる比喩ひゆへ異を唱えるより先に、声を抑えて命令した。


『……? なんですかセンセイ?』

「ここにいて」


 ふわりと降ってきたその身体を両手でかき寄せる。文字通り雲をつかむようだが、その動きを感知したプログラムはひつ字を礼人の膝上ひざうえに移動させた。


『ふああ!?』


 瞬時にひつ字の顔に朱がさし、漫画のような蒸気じょうきエフェクトが噴きあがる。


『な、な、な……!』


 背筋をピンとして唇をぱくぱくとする彼女を脇から抱え上げて、隣の空席へ移動させた。


「あまり遠くにいられるとつい声が大きくなっちゃうから。このくらいの距離でいてほしいんだけど」


 当然だがひつ字は他の乗客には見えない。ひとり宙に向かって話しかけている成人男性というのはほどほどにアブない光景なので、会話はささやくほどの音量を心がけていた。


『むむぅ、なんて自然かつ思わせぶりなボディタッチを……いいんですかっ、センセイのこと意識しちゃいますよ!?』

「いや、君はいつだって僕をモニターしてるじゃないか」


 我ながらウィットに富んだ受け流しだと礼人は自賛する。

 スマートグラスでも視線や腕の動きは感知され、ひつ字はそれに対応して動いている。


『もうすでに夢中だと!?  わたしそんなに簡単な女じゃありません! ああっでもこの反発ツンも後々の愛慕デレに繋がる布石ふせきになってしまうんですねっ、センセイの鬼畜!』

「思いもしないよ! ライトノベルか君の頭は!」

『ライトノベルですよっ!!』


 開き直られてしまった。まあそうだ、確かに。

 そして今のやりとりで静かな車内に礼人の声だけが響いた。礼人の日本人的遺伝子が集中する非難と奇異きいの思念をビシビシと受信する。


(スミマセン! うう、恥ずかしい……)


 大きな肩身をせいいっぱい縮めて心の中で謝る。反省の結果、こんなものをけているのが悪いと結論した。


『あっ、センセイなにを……』

「おやすみ」


 スマートグラスの電源をシャットダウンする。

 ただの度なしレンズになったそれ越しに窓の外を眺めると、礼人はこれまでの経緯を思い返すことにした。

 発端は半月前。

 初めて使日。帰ろうとする編集・来島くるしまを呼び止めたところに始まる。


§


 リビングのドアにほど近い場所で。

 礼人の答えを聞いた来島は少し考えるそぶりを見せた後言った。


「――学習強化型執筆アシストAI」


 礼人はまばたきする。始めて聞く呼称に。

 来島は礼人の背後へ焦点をあわせて続けた。


「ひつ字には従来の作家AIとは異なるアプローチが採用されています。はじめこそ教師役の作家を模倣もほうした執筆を目指しますが、データ蓄積ちくせき後はサポートモードに移行します」


 真剣な顔と声音には彼女らしからぬ“熱”がこもっているように感じられた。


「それってもしかして昨日みたいな?」


 礼人は訊ねる。

 まさに夢中ともいうべきぼやけた記憶。猛烈に進んだ筆。近ごろの自分らしからぬ、心の底まで裏返し吐き出したような内容。

 来島はうなずいた。


「はい。キャラクターや舞台設定、文脈や予測プロット、その他あらゆる分析から次に作家が選ぶであろう言葉や展開を候補予測サジェスト表示。加えて光による刺激により作家の脳を常に活性化させ、予測にない入力にも柔軟に対応する。いわば拡張された作家の一部となって創作を補助する機能です」


 ひつ字が脇から顔を出す。


『はえぇ、何だかスゴそうですね』


 君のことじゃないのか、と礼人は内心で突っ込んだ。とはいえ。


「そんなシステム、どこから……?」


 それは礼人が調べた限り前例のないもので、であれば業界初の試みということになる。

 来島が働く編集局はそれのみが独立して大手出版社へ営業をかける衛星えいせい編集局で、なぜそんな形態かといえば熱意があって金がないからに他ならない。


「新興の事業者からの売り込みだったようです。とにかく資金と実績の欲しい先方と、昨今の風潮に殴り込みたいわれわれの利害が一致した形ですね」

「殴り込み、ですか」


 礼人はごくりと乾いたのどを動かす。というのも、そういう不穏な言葉を使うときの来島は表面上平静であっても不機嫌であったり腹に据えかねていたりするからだ。


敷島シキシマ初穂ハツホをご存知ですか?」


 問われ、礼人はすぐに頷いた。


「それは、ハイ。日本で最初に商業作品を書いたAI作家ですよね。現役で著作トップシェアの」


 娯楽小説家の耳には嫌でも入ってくる名だ。その爆発的ヒットが今のAI隆盛のいしずえを築いた。

 来島の目がまっすぐに礼人のそれを見上げた。


「われわれは彼女に勝とうと考えています。正しく次世代の創作を担う者として。AI主体でなくあくまでニンゲン作家を人工知能がサポートする。その創造性でもって敷島初穂のシェアを奪いつきつけるんです。『AI作家など認めない』と」


 ざわりと興奮で肌が粟立つのを礼人は感じた。その言葉はたった三人の密議で交わされた反攻の合言葉のように思われた。


「改めて協力をお願いさせてください、牧礼人先生」


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