十匹め『妹ちゃっちゃか』

 ローカル線を乗り継ぎ、刀祢から渡された住所の最寄もより駅へ着くころには太陽も西へ傾きつつあった。

 八ケ代やがしろ刀祢とうや。礼人は彼の実家を訪ねるつもりでいる。

 半月前の決別に納得がいかなくなったのと、今ならひつ字への誤解を解けるのではないかという思いが半ばひとりでに足を動かしていた。


 編集・来島いわく、


『――お願いできるならぜひ八ケ代先生を説得してください。あの方も計画には欠かせません。担当からはまったく連絡がつかないらしく困っているんです』


とのこと。刀祢は手当たり次第というようなことを言っていたが、アシストAIを預けられた作家はごく限られた一握りであるらしい。


 本当はもっと早くに来たかったが急に忙しくなり叶わなかった。驚いたことに半月前、礼人がひつ字を使って衝動書きした小説『旧世界のしるし』が出版される運びとなったのだ。作品単体ではなくひつ字が同じ世界観で書いたライトノベルのおまけ扱いではあるものの。


「暑い……」


 電車を降りた瞬間ふき出したひたいの汗を、ホームの端へ着くころには眉の上でぬぐっていた。

 八月の半ば。地球温暖化は国連が防止条約を採択して半世紀に迫ろうという現在もかわらず進行中で、かつて五十年、百年に一度と言われた熱波が月一でやってくる冗談のような気候が例年のものとなっている。


(たしかバスが)


 一線だけ出ていると書かれていた気がする。

 モルタルの駅舎を出れば迫る山の緑。その侵食に耐えかねているようなひびわれたアスファルトの道がある。

 案内板かと思い近付いた小さな屋根の下には、ナスやキュウリが『代金入れ』と書かれた箱と共に並べられていた。

 すさまじい田舎だ。去っていった電車の音がいまや懐かしく思いだされる。


「……これがバス停かな」


 バス停の形をしたなにかが脇にぽつんと立っていた。赤びたそれは文字が読めず、時刻表があるべき場所には引きちぎれた防雨ビニールだけが残る。


(まっさきにバス会社のサイトが検索に出ない時点で予感はしてたんだよな……)


 運行していたのは昔の話らしい。

 このままではマズいので地図を見ようと思いスマートグラスの電源を入れた。


『ひどいです、センセイ!』

「うわ」


 シートに座ったままの姿勢で現れたひつ字は、状況を把握するなり礼人へ詰め寄ってきた。


『いきなりシャットダウンするなんて! データが飛んじゃったらどうするんですか!?』


 ご立腹らしい。腰に手をあてななめ上空から見下ろしてくる。


「いや、スリープモードだからそこまでの危険は」

『もっといろいろ見たかったです! センセイともお話を……むうぅ!』


 ひつ字の目尻に涙がうかんだ。プログラムと分かってはいてもこう人型でやられると罪悪感が湧く。そも彼女は学ぶことにとても積極的で、その点についていえば人間とそう変わる所はないと礼人は考えていた。


「ごめん、次からは声をかけるよ」

『約束ですよ!』


 むくれ顔でも涙をひっこめた彼女は、今までタップできないように隠していた地図アプリのアイコン前から身体をずらしてくれる。……いちプログラムにしては権限が強すぎないだろうか。


「電波が悪いなあ」


 駅前なのに都心の半分以下の速度しか出ない。

 焦れていると自転車のブレーキ音がした。


「こんにちはーっ」


 かろうじて線の消えていない駐輪場に赤いママチャリが停まっている。

 ジーンズとシャツ姿の女性が顔をこちらへ向けたままスタンドを立てた。礼人はとっさに会釈えしゃくする。


「よっ、とぉ」


 女性は荷台から下ろした一抱えほどのダンボールを野菜の無人販売所にドサリと置く。

 振り向いた眼鏡の奥が人懐っこく笑ったように見えた。


「何かお困りですか――あら?」


 齢は礼人より少し若いくらいだろうか。歩み寄ってきたその顔が怪訝けげんそうな色を帯びる。


「……もしかしておはらい?」

「へ?」


 礼人は面食らう。あ、と女性は丸く開けた口を手でおおった。


「違ったらごめんなさい。他意はなくて。なんだかそんな顔してたもんだから」

「ええと、はい、違います」


 宗教やセミナーの入り口にしては押しが弱い。化粧っ気のない顔にシンプルな一つ結び髪の彼女はどう見ても家の農業を手伝う娘さんにしか見えない。


「やだごめんなさい。それじゃあどちらへ?」


 よほど自分が縁起の悪い顔をしていたのだろうか。礼人は表情筋を動かすように頬をこねた。


「ええと、この住所ってわかりますか?」


 刀祢に渡された紙片を見せる。女性がんー、と目を細めた。


「あらぁーウチのすぐ近く……ってウチじゃないこれ!」


 驚いてます、と言わんばかりの顔が礼人へ向けられる。つい礼人もつられて目を見開いた。


「ひょっとして、兄のお知り合いでしょうか?」

「はい、あの……」


 何といったものか迷う。

 作家の中にはペンネームはおろかその仕事自体を身内に隠している人も多い。礼人とてペンネームの何たるかを知っていれば本名で本を出すなどという社会的自傷に手を染めはしなかった。その点でのみ編集・来島を恨みに思っている。


「か、彼の、ど、同僚で。牧礼人と申します」

「はー!」


 女性はのけぞって口を手で覆った。なんというか絵に描いたようなリアクションをする人だ。なぜか食堂『根っこ』の女主人が頭に浮かんだ。もっともあちらは御齢50を過ぎた貫禄あるご婦人だが。


「お話は兄からかねがね。戦地では特にお世話になったそうで。私、さやの妹のあずさと申します」


 そういうと彼女は深々と頭を下げた。今度は礼人が恐縮する。


「いえっそんなこちらこそ、……サヤ?」

「兄の、八ケ代刀祢の本名です。ご存知なかったですか?」


 そういえば出会ったころは名前どころではなかったし、再会は彼が作家になった後だったと思いだす。名字は変わっていなかったので、てっきり本名のまま書いているのかと思っていた。


「まったくもう兄さんてばしようのない。あ、暑いですよね。すぐ車呼びますから」


 梓は時代がかったスマートフォンを取り出し、どこかへかけ始める。

 聞けば、無くなったバスの代わりにコミュニティタクシーが一台あるということだった。

 5分ほどで6、7人乗りのミニバンがやってくる。


「後ろへどうぞー」


 促されるままにスライドドアを開けると、どこか異国めいた音楽とともに陽気な中国語があふれだす。


「もーおじいちゃん、また海外ロトぉ?」


 助手席に顔をつっこんだ梓が文句をいうと、運転する老人はあわててラジオのボリュームをしぼった。


「いっけねえ、へへっいいじゃねえか梓チャン、年寄りの楽しみだ」

「またお孫さんに怒られるよーもう」


 山道を発進した車内は前座席の世間話ですぐ賑やかになった。


『……センセイ、戦地ってなんのことですか?』


 ふと、それまで静かだったひつ字がこっそりと訪ねてくる。礼人もまた前の二人に聞こえないよう声を落として答えた。


「二年くらい部隊にいたんだ。大学卒業して就職が決まらなくて。八ケ代先生とはそこで知り合った」


 小説だけで食べていくなんて考えもしなかった。調子はよかったが年に4作、5作とコンスタントに執筆するなんて芸当は不可能に思えたし、最初に3作連続して出せたのもそれまでの人生で蓄積したストックを吐き出したからだと思うようになっていた。

 おりしも大国同士の思惑の中結成された“東アジア治安支援部隊EASAF”が広く支援機械のオペレーターを募っており、理系でしかも語学にそれほど苦手意識もなかった礼人は転がり込むように入隊した。


兵士ソルジャー、だったんですか』

「大きなくくりで言えばね。やってるときはあんまり実感なかったけど」


 本当に。戦争をしているという意識さえ薄かったように思う。

 大型輸送機で連れて行かれたどことも知れない土地で、陣を設営し火砲を運び、より上位のオペレーションに従って発射するだけの仕事。標的がなんだったのか、射撃の成否すら末端である自分には知らされなかった。


「ずっときりが出てるような山の中でさ、最初の一年は。そのあと移動して再編されて、一コ上の班長が八ケ代先生だった」


 諸々もろもろあって二人して部隊を辞め、これまた二人して作家をしているのだからそれなりに根の深い付き合いといえるだろう。


「何かおっしゃいました?」


 助手席の梓が振りむく。礼人は慌てて首を振った。


「そうですか。ごめんなさいおかまいもなしで」

「いえ」


 気付けば景色は山の緑からやや開けた村落へと変わっていた。整然とした畑の間や道路沿いに、まったく画一的でない人家がぽつぽつとある。池のある庭や畜舎、ビニールハウスがあるところなどさまざまだ。


「おじいちゃん、野菜あましてるけど持ってくー?」

「いつも悪ぃなあ梓チャン」


 車が止まったのは民家にしては大きな瓦門。

 寺のようだと思って見回すと本当にそれらしき看板がかかっている。字は擦り切れて読めないが。

 梓が再度ふり返って両手を合わせた。


「お構いなし続きで申し訳ないんですけど、先にお上がりになっていてください。すぐに私も行きますから。玄関入って右が応接間です」

「は、はい」


 降りて門をくぐるとまんま寺社の境内けいだいだった。正面に本堂、左に寺務所じむしょ然とした建物があり、左に木立。その向こうにも何か建物が見える。

 梓に促されるまま寺務所へ向かった。ちょっと脇へ回ったところに入り口があり傘立てと泥落とし用のマットが置かれている。ここだけなら普通の玄関だ。


「……お邪魔しまーす」


 民芸品の乗った靴箱、黒光りする廊下。野菜のつまった箱。

 うす暗い中はいよいよ生活感に満ちていた。寺務所というよりは管理人一家の住居部分なのかもしれない。

 一応声をかけてからあがり込んだ礼人は、廊下の向こうから近付いてくる足音にぎくりと身をこわばらせた。


「はいはーい」


 聞き覚えのある声。はっとしてそちらを見た礼人は、混乱した。

 女の子だ。青地に赤い朝顔の浴衣が、淡く光るように暗がりに浮かぶ。黒く長い髪はウェーブして、顔の輪郭をあいまいにしている。


「……八ケ代、先生?」


 女の子だと思った。少なくとも、そう形容するほかない装いだった。


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