十九匹め『わくわく夜回り』

 一度玄関へ回り、本堂の方へ向かう。


「もう少し庭を調べないでいいんですか?」


 夜の境内はひんやりとして足裏でこすれる砂利粒じゃりつぶの音がいやに響いた。

 礼人は隣を歩くクシビへく。


「初歩的な質問ね。そんなことで作家がつとまるのかしら」


 クシビは楽しそうに不機嫌な声色を出しながらぴんと指を立てた。


「あの子は言うなればアリスの兎よ。私たちは誰かが引いたストーリーラインに取り込まれたの。たかだか冒頭に重要な手がかりがあると思う?」


 礼人は想像する。幽霊を配置した人物の考えを。


「あれだけで終わりかもしれませんよ、ほんのイタズラとか」

「浅いわ読みが。だからあなたは助手なのよ」


 いつ助手にされたのだろう。


「おどかすのが目的なら演出はもっと派手に、霊の挙動は攻撃的にするでしょう。だいたい少し考えればタネがわれる仕掛けなのだから、一秒あたりの攻撃力DPSをこそ重視する必要があるはずよ。冷静になる時間を与えれば恐怖も消えてしまうのだから」

(消えてたかなぁ)


 つまりお化け屋敷のようなドッキリ系の仕掛けであるべき、ということだ。そう考えると確かにあのオブジェクトでは要件を満たしていないように思えてくる。


「でもまだ僕たちは最初の謎すら提示ていじされていませんよ。それが見つかる可能性は?」


 例えば暗号やメッセージ。そういったものがなければストーリーは起動しない。もし相手にこちらを誘い込む意図があったなら、あの場でもう少しなにかしらのヒントなり興味なりを与えるはずだ。

 例えるなら自分たちは冒頭を読み切らず予断で次章に首をつっこんだようなものではないか?

 クシビはチチチ、と立てた指を振る。


「甘いわ。今日び冒頭に意味なんてないのよ」


 境内をよこぎり本堂正面へ。門へ続く白い石畳がほの明るく月明りを返している。


「その存在価値はいかに読者の気を引くか。演出のためならミスリードや意味のないエログロも躊躇ちゅうちょなく突っ込まれる無法地帯。観客としてならともかく探偵が触れるべき部分ではないわ」

(あ、やっぱり探偵ノリなんだ)


 さっきから妙に気取った仕草をすると思っていた礼人は納得した。楽しそうで何よりだ。

 

「でもそういうメタな読みをした時点でストーリーの導線から外れることにはなりませんか?」


 作中で示される情報以外、特に物語のお約束や作者の意図を考慮して謎を解く行為をメタ読みという。自らも書く立場にある作家はこれを意図せずやってしまいがちで、やるとたいてい読書の楽しみが半減する。


「ツカミの内容なんて読者は読むうちにさっぱり忘れてしまうものよ。本当に重要な情報ならまたどこかで説明されるから大丈夫……あら?」


 クシビが石畳の上で足を止めた。

 視線は地面の一点に注がれている。そろえたひざを折ってかがむと手を伸ばした。


「これは――ひっっ」


 拾い上げた何物かを明かりにかざした瞬間。


「へ? あ、大丈夫ですかっ!?」


 悲鳴とともに尻餅しりもちをついた彼女に礼人は駆け寄る。同時に周囲を見渡すも特に変わったものはない。

 礼人はクシビのとなりにひざをつくと、彼女の着いた後ろ手にてのひらを重ねた。

 もう一方の手で地面に落ちた何かを拾い上げる。


「これは……」


 白く半透明な爪の先ほどの丸い板。どこかで見たようなそれをもっとよく調べようと目の高さに掲げたとき、視界の端に白い影がよぎった気がした。直後。

 


 ザガ――ッギキイイィィィィ――


 耳を覆うような異音。

 それが目の前に立って自分をのぞき込む異形いぎょうの、パックリと裂けた口腔から発せられた声だと認めることを理性が拒絶した。

 獣のあぎとから鉄の擦れるような音があふれる。顔のパーツは確かに人であるにもかかわらず、配置や輪郭りんかくはおそらくイヌ科のそれ。焼けただれた肌にかかる頭髪や眼鏡が、それでも人間だと主張しているようでおぞまししかった。


「う、わあ!」


 間抜けな悲鳴をあげてのけぞりそうになるが、クシビをカバーしているのを思い出し踏みとどまる。


  [GPS機能をオフ]


 とっさにスマートグラスを操作する。異形の姿と声がふつりと消えた。

 瞬間的にあがった心拍数を抑えるように長く呼吸。


「……位置情報を利用しているみたいですね」


 ARにも種類がある。バーコードを読むことで情報を表示するものや特定の場所・モノに反応して映像を重ね合わせるもの。ただしこれらは事前に目印となる標識と、重ね合わされるデータをひもづけたアプリやデータサーバが必要になる。

 唯一の抜け道として多くのスマートグラスは国土交通省の運営するAR標識ひょうしきサービスに初めから接続しており、今回のはそれを利用していると思われた。

 つまり街の店頭マスコットと同じシステムで幽霊は表示されている。


  [GPS機能をオン]


 少し落ち着いた頭で再度表示された異形を観察した。


 ――ヒィ、ロ――ノォ、ブ――サン――


 油の切れた鉄扉が閉まるような声を最後に、その姿は溶けるようにかき消える。


「――っふう……」


 一瞬とめていた息を吐き出した。かなり真に迫ったディテールだ。

 するりと、掌の下からクシビの手が抜け出した。

 立った彼女がつまらなそうに髪をかき上げる。


「初歩ょ的なトラップね」

(噛んでるし探偵役ならそこはトリックとか言うべきでは)


 出かかった言葉をのみ込んだ。唇を押さえて睨んでくるクシビに気圧されて。


「引っかかりましたけどね」

「あえてよ、あえて!」


 むきになったようにクシビ。

 まあこれで導線から外れてはいないと証明されたことになる。礼人は先の幽霊を思い返して提案した。


「明らかに公益性を欠いたオブジェクトですし、管理システムに通報すればデータ削除されると思いますけど」

「それじゃあ取材にならないでしょう」


 このまま進めば取材になるのかという疑問が胸をよぎる。だが相手は超売れっ子作家だ。ここはひとつノウハウを盗むつもりで従うべきだろう。止めるのが徒労とろうに思えてきたわけではない。


「今の幽霊、さしずめ中ボスの顔見せってところでしょうか?」


 ならばと礼人は所感しょかんを述べた。

 最初に見た目の衝撃を与えておいて、その後の展開で情報を集めさせる。よくある手法だ。ホラーにおけるツカミの一種といえるかもしれない。


「いえあれは……たぶんラスボスね。そういう造形だわ」

「ビジュアルですか?」


 確かにグロテスクだったが。それこそ作品の色によりけりではないだろうか。


「彼女、男性の名前を呼んでいたでしょう?」

「そういえば……ヒロノブさん、でしたっけ」


 姿と声のいびつさばかりに目が行ってそこまで意識を伸ばせなかった。


「きっと色恋にからめたバックストーリーがあるはずよ。彼女に同情をいだかせるような悲恋がね。私ならそういうテンポをゆるめそうなしっとりしたエピソードは終盤に持ってくるわ」


 エンタメ作家らしい視点だった。確かに和系ホラーには幽霊を単なる恐怖の対象として終わらせない人情にんじょう話のような側面もある。


「なるほど。……? 落雷坂先生、あれ」


 礼人は本堂前をめぐる外廊下を指さす。何かが光っていた。それは異形が現れる直前に見えた白い影と同じあたり。

 階段から外廊下へ上がり、ちょうど角に落ちた一枚のそれへ手を伸ばす。


  [アイテムを取得:世話人の名札 《谷中》]


 AR上に文字が表示された。

 触れても単なるメッセージオブジェクトと同様で反応はない。たぶんスマートグラスのIDにひもづけられたフラグ管理だろう。以前、本屋のたなを回ってARマスコットを見つけておくとレジで福引きができるというイベントに礼人も参加したことがあった。これも今後の展開で役に立つのかもしれない。


「谷中、っていうのがさっきの霊の名前ですかね……世話人?」


 夕食の席で聞いたこの寺の由緒ゆいしょを思いだす。

 動物霊を専門にした霊能寺れいのうでら。精神をんだ患者たちが共同で暮らした治療院。であれば世話人というのは今でいう看護師のようなものだろうか。


「わかったわ、このストーリーを引いた犯人が」


 同じように名札を拾い上げたクシビが言った。


「犯人は――子どもよ」

「は?」


 礼人は大口を開けた。

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